2019年1月号
特集
国家百年の計
座談会
  • 衆議院議員、元内閣総理大臣野田佳彦
  • 衆議院議員逢沢一郎
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃
  • 参議院議員、前杉並区区長山田 宏

日本の政治に
国家百年の計はあるのか

日本の政治には国家百年の計がない―この強い危機感のもと、1979年に松下幸之助が立ち上げたのが、松下政経塾である。時に松下幸之助84歳。既に功成り名を遂げた経営の神様が、この塾に込めた思いとはいかなるものだっただろうか。松下幸之助のもとで塾頭として運営に尽力した上甲 晃氏と、創成期の塾生として薫陶を直に受けた逢沢一郎氏、野田佳彦氏、山田宏氏に、当時の思い出を交えながら、日本の国家百年の計について語り合っていただいた。

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84歳松下翁の呼びかけに応えて

上甲 経営の神様とうたわれた松下幸之助塾主(以下、塾主)が、私財を投じて松下政経塾を立ち上げたのは84歳の時でした。既に松下電器産業(現・パナソニック)の創業者として功成こうなり名をげた人が、日本の政治はこのままではあかん、我が国を導く真のリーダーを育成するんやと、あの年齢で決意したわけです。
その松下政経塾に40歳で出向した私も、もう77歳です。塾主が政経塾を立ち上げた年齢に近づいてくるに従って、塾主のやむにやまれぬ思いというのが少しずつ分かってきましてね。日本の政治への危機感が高まる中で、「ところで松下政経塾の卒業生は、何をしているんですか?」と聞かれる度に、塾主に託された思いをいまこそ果たしていかなければ、申し訳が立たんという思いを募らせているんです。
そこできょうは松下政経塾の第1、2期生の皆さんに、国家百年の計という観点から日本の政治に対する思いをお話しいただきたいと考えてお集まりいただきましたので、よろしくお願いします。

一同 よろしくお願いします。

上甲 第1、2期生の皆さんは、言ってみれば松下政経塾の長男坊です。塾主にほとんど会ったことのない塾生が多くなった中で、薫陶くんとうを受けた貴重な世代でもありますから、そうした個人的な思い出も交えながら、まずはなぜ松下政経塾に入ろうと思ったのか、そこからお話しいただけませんか。

野田 動機は、ふとしたことなんです(笑)。
大学では政治学科で学んでいましたが、就活で新聞社とテレビ局から内定をもらって、ほぼそのどちらかに行くつもりでおりました。ところが「松下政経塾第一期生募集」という新聞広告をたまたま親父が発見して、「こんなのがあるぞ」と見せてくれましてね。「政治を正さなければ日本はよくならない」というメッセージにかれてパンフレットを取り寄せてみたら、まだ実態がなくてイラストばかり描いてあるわけです。しかし私は、鶴嘴つるはしを担いで道を切り拓いていくような魅力を感じて、ふと応募してみたら、なぜか最終面接までいって、松下幸之助さんに面談していただいて入ってしまったということなんです。
大学で政治を学んではいましたが、政治家になろうとはまったく思っていませんでした。全然向いていないと思っていたんです。しゃべるのは嫌いでしたし、生徒会長選挙で落選したことがトラウマになっていました(笑)。それが、ふとあのパンフレットに引っ張られてしまった。ふとしたことで人生というのは変わるものなんですね。

逢沢 私もその新聞広告を見ましてね。とにかく松下幸之助という人に会ってみたいというのが最初の思いでした。あの立志伝中りっしでんちゅうの人が、「いい日本をつくろうやないか」と呼びかけているのを見て、もう自分の行くところはここだと勝手に決め込んでいたんです。

上甲 逢沢さんは代々政治家の家系でしたね。

逢沢 ええ。ただ私は政治の道に進むつもりはなく、慶應の工学部に進んでいたんです。けれども20歳くらいになると世の中を見てみたい年頃じゃないですか。親父が選挙で苦労する姿を見て、親子の情にもほだされましてね(笑)。授業を少し休んで親父の選挙を手伝ってみたら、これは面白い世界だなと。政治や日本に対する関心とか、どうせならやりがいのあることをしたいという気持ちが芽生えていたんでしょうね。そんな時に幸之助さんの呼びかけがあって、これに応えようと思ったんです。

山田 私も最初は政治家になろうという気はありませんでした。政経塾の3次面接で、幸之助さんから「何になりたいんや?」と聞かれた時には、「政治家を養成する塾をつくるためにここへ来ました」と答えたんです。
なぜそう思ったかというと、高校の時にロッキード事件で世間がショックを受けている中で、NHKの大河ドラマで『勝海舟』をやっていましてね。同じ日本人なのに政治家はなぜここまで変わってしまったんだろうと疑問を抱いたんです。そこで勝の『氷川清話ひかわせいわ』を読んでみたら実に面白い本で、人物というのはこうやってつくられるのか。やはり日本には政治家を養成する場が必要だよなと考えて大学に入ったんです。
大学では「政治思想研究会」というのを立ち上げて、どうやってそういう塾をつくるかということに没頭しているところで、松下政経塾ができたことを知りましてね。同じことを考えている人がいるのかと、無性に行ってみたくなったんです。特に海外へ行かせてくれるのが非常に魅力的で、当初は政治家になるという意識はありませんでしたね。

参議院議員、前杉並区区長

山田 宏

やまだ・ひろし

昭和33年東京都生まれ。56年京都大学法学部卒業。松下政経塾に入塾。60年東京都議会議員に史上最年少で当選。平成5年日本新党に入党。衆議院選挙で初当選。6年新進党結党に参加。11年杉並区長。22年日本創新党党首。24年衆議院選挙に日本維新の会より出馬し当選。26年次世代の党幹事長。28年参議院選挙に自民党公認で出馬し当選。著書に『政治こそ経営だ』(日経BP社)など。

成功の要諦は成功するまで続けること

上甲 塾主と接して、特に印象に残っていることは何ですか。

野田 私は他の多くの塾生と同じように、親族に政治家がいるわけではないんですね。地盤、看板、かばんなしで、いかにして政治活動を手掛けていくかが大きな課題でした。ガスの検針をやったのもそういう事情からです。

上甲 ガス屋さんに丁稚奉公でっちほうこうして、家庭のガスの検針をしながら民の暮らしを見ていかれたのでしたね。

野田 戸別訪問の練習です(笑)。
とにかく自分の話を聞いてもらいたくて、あらゆる力を総動員して公民館に人を集めようとしたんですが、たった一人しか来ない(笑)。これではいつまで経っても政治家にはなれないと思い悩んで、幸之助さんに相談したんです。すると幸之助さんは、無理して人を集めるのではなく、皿回しのように人がいる前で何かやればいい、とアドバイスをくださったんです。
あぁなるほどと得心して、私はその時から毎朝街頭に立つようになりました。1日13時間ずっと喋り続けたら、朝は素通りした人も、夕方には「こいつ、まだやってる」と集まってくる。逢沢さんにも応援に来てもらいましたけど、最初のデビューで500人くらい集まったんです。

公民館に一所懸命人を集めようとした時はダメだったけど、街頭で13時間喋り続けたら人は集まってくる。幸之助さんからいただいた作戦には、目からうろこが落ちる思いでした。今朝も3時間喋ってきましたけども、あれからほぼ31年間、街頭演説を続けてまいりました。地盤も看板も鞄も何にもなくても、工夫すれば道は拓けるんですね。政経塾では、
「常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、道は必ず拓けてくる。成功の要諦ようていは、成功するまで続けるところにある」
と教わりましたけれども、幸之助さんの教えの一番大事な原点だったとしみじみみ締めています。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書多数。最新刊に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(致知出版社)がある。