2019年2月号
特集
気韻生動
  • 公益財団法人泉屋博古館分館長野地耕一郎

東山魁夷の歩んだ道

日本画の新たな地平を切り開いた巨匠・東山魁夷。自然が湛える豊かな生気を、独自の作風で描き出した風景画の数々は、いまもなお人々の心を魅了して止まない。その生前に学芸員として交流を重ねた野地耕一郎氏に、巨匠の横顔と、作品に込められた思いについてお話しいただいた(写真:「唐招提寺御影堂障壁画」制作風景)。

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日本画の求道者

どこかで見たことのあるなつかしい風景。心にじんわりと残る温かい余韻よいん。生きる力を静かに与えてくれる作風で、いまなお多くの人をきつけてまない画家・東山魁夷ひがしやまかいい
 
初期の代表作である『道』は、敗戦で打ちひしがれた日本人の心をやし、再び歩み始める勇気を与えた。「白い馬の見える風景」の連作では、人々の希望や祈りを架空の白い馬に描出した。東宮御所や新宮殿などの障壁画では、日本を象徴する風景を見事に描いて、国の要人ばかりでなく海外からの賓客ひんきゃくももてなした。
 
その画業を辿たどると、人々のために描くことを運命づけられた画家のように私の目には映る。
東山との縁の始まりは私が10歳頃のこと。父親が支援していた画廊の催す企画展のオープニングに、父に連れられて出席したのが始まりだった。
 
私よりもちょうど50歳年長の東山は当時60歳頃。私にその絵の真価はまだ十分理解できなかったが、既にいくつもの傑作を世に問い、画壇に確固たる地位を築いていた東山が、柔和にゅうわな笑顔を絶やさずに関係者と挨拶を交わす姿が印象的だった。
 
長じて美術館の学芸員になった私は、仕事を通じて晩年の東山と幾度となく交流する幸運に恵まれた。大家でありながら若い私にも気さくに接してくださり、また何事にも真摯しんしに取り組まれる姿勢に大変感銘を受けた。東京美術学校(現・東京藝術大学)時代の恩師・結城素明ゆうきそめいの展覧会を企画した際は、準備段階から全面的に協力してくださり、自身を導いてくれた師への思いの深さがうかがえた。
 
私は仕事柄数多くの画家に接してきたが、制作に懸ける東山の厳しい姿勢は際立っていた。弟子を取らなかったのは、自分の作品世界を深めていくための修練にほとんどの時間を費やしたためである。
 
美術史の研究にはとりわけ熱心だったのも特筆すべきことだろう。東京美術学校を卒業後、昭和8年から当時美術史研究で世界トップクラスの研究者がそろっていたドイツのベルリン大学に留学している。東山のような日本画家が西洋に留学すること、しかも美術史の勉強をしに行くことは極めて異例であるが、彼はそこで世界的な視野から自身の画家としての立ち位置を確認するとともに、数多くの名画に触れ、自分が何を描くべきかを模索したのである。
 
何事もきわめていこうとする東山の根底には、自分は絵描きである前に人間であり、よい絵を描くためにはよい人間でなければならないという思いがあった。その思いのもとに自分という人間をどこまでも高め続けた東山は、まさに日本画の求道者であった。

公益財団法人泉屋博古館分館長

野地耕一郎

のじ・こういちろう

昭和33年神奈川県生まれ。成城大学卒業。美学美術史専攻。58年より山種美術館の学芸員として勤務。その後、練馬区立美術館学芸員、主任学芸員を経て、平成25年泉屋博古館学芸課長。現在同館分館長。