2023年7月号
特集
学を為す、故に書を読む
対談
  • ジョルダン非常勤監査役窪田哲夫
  • 福岡工業大学教養力育成センター教授上寺康司

佐藤一斎に学ぶ
人間学

幕末の大儒・佐藤一斎が40年以上の歳月をかけて著した「言志四録」は古来、多くの人の人生や仕事の指針となってきた名語録である。「学を為す、故に書を読む」という言葉のように、一斎その人が書物を通して自らを鍛え錬り磨いた人であった。共に岐阜県恵那市「佐藤一斎 言志四録 普及特命大使」を務める窪田哲夫、上寺康司両氏に一斎の人生や「言志四録」からの学び、今日的意義についてお話しいただいた。

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「一斎への思いを引き継ぎたい」

窪田 上寺さん、しばらくです。お会いするのは何年ぶりでしょう。

上寺 令和元年10月26日に、佐藤いっさいゆかりの岐阜県岩村町のイベント(第23回 げんさい~佐藤一斎まつり~)でお会いして以来です。きょうはお話を伺えるのを楽しみにしてきました。

窪田 いや、僕は「げんろく」を深く学んだというよりも、その言葉のいくつかを心の支えにしてきただけですから、「言志四録」を研究テーマに掲げられてきた上寺さんには到底及びません。
実は今回、対談をお受けするに当たっても、自分が一斎についてきちんとした話ができるのかと随分ちゅうちょしたんです。しかし、ある理由からお受けすることにしました。それは上寺さんに引き継ぎをしなくてはと思ったからです。

上寺 引き継ぎですか。

窪田 僕も77歳と高齢になりましたし、もともと治療をしていた血液のがんが再発したことが3週間ほど前に分かりましてね。だから、自分の力量はともかくとして若くて力のある上寺さんに思いをお伝えしようと。

上寺 そうでしたか。それは存じ上げず失礼いたしました。

窪田 上寺さんも僕も恵那市の「佐藤一斎 言志四録 普及特命大使」という肩書をいただいていますが、そもそも普及特命大使にあなたを推薦したのは僕だから、その責任もある(笑)。

上寺 5人いる普及特命大使の一人に選んでいただけて、とても光栄です。それにしても窪田さんの特命大使としてのご活躍にはいつも感心していますが、どういうきっかけで大使になられたのですか。

窪田 10年以上前、岐阜県で人事を巡る大きな事件がありました。当時、僕はジェイアール東海エージェンシーという会社の常務でしたから県の職員とはつながりがあって、一斎の『重職心得箇条』について書いた原稿を添えて、悩んでいた局長に励ましの手紙を書いたんです。ところが、その原稿が独り歩きして、ある日、恵那市の市長から「会いたい」という連絡が入りました。この原稿を職員全員に配りたいというんですね。
それを了承すると、今度は「あなたはJR東海の関係者だから、ぜひ恵那市の観光大使になってほしい」と依頼を受けました。既に常務の立場でしたからお断りしましたが、再三おっしゃるので「もし『佐藤一斎 言志四録 普及特命大使』という役割をいただけるならお受けします」とお答えしたんです。それで僕が第一号(笑)。
その後、上寺さんが「言志四録」研究者として恵那市でされた講演を2回ほどお聴きして、「この人なら特命大使に相応ふさわしい」と思って推薦させていただいたわけです。

ジョルダン非常勤監査役

窪田哲夫

くぼた・てつお

昭和21年新潟県長岡市生まれ。慶應義塾図書館に勤務し拓殖大学商学部を卒業。鉄道労働組合中央執行委員、新幹線地方本部委員長、国鉄改革を経て、ジェイアール東海エージェンシーマルチメディア室長、営業部長、マーケティング部長、常務取締役を歴任。現在ジョルダン非常勤監査役、富士社会教育センター幹事、岐阜県恵那市 佐藤一斎 言志四録 普及特命大使。

激しい組合闘争の嵐の中で

上寺 窪田さんが一斎について関心を抱かれたきっかけをお聞かせいただけませんか。

窪田 僕は新潟県長岡市の出身です。ご存じのように長岡は河井つぐすけを輩出した土地で、継之助は一斎の弟子・山田ほうこくびっちゅう松山(現・岡山県たかはし市)に訪ねて1年間学んでいる。だから、継之助は一斎の孫弟子に当たるわけです。
その継之助の幼友達に〝米百俵〟の逸話で知られる小林虎三郎がいます。虎三郎はやはり一斎の門下生・佐久間象山に学び、吉田松陰(寅次郎)と共に「象門の二虎」と呼ばれました。戊辰ぼしん戦争後、焼け野原となった長岡に学校を設けて学問の振興に努めるわけですが、このように長岡は大変勉強熱心な藩だったんです。
僕は働きながら大学に通うために東京に出てきて、書店でたまたま「言志四録」を手に取って学ぶようになるのですが、そういう風土がなかったら、勉強に関心がなかった僕が一斎を学ぶなんていうことはなかったと思いますね。

上寺 土地の空気というのは確かに大きいでしょうね。

窪田 僕にとって一斎の教えが大きな心の支えになったのは、鉄道労働組合の中央執行委員をしていた40年以上前です。当時、鉄労は国労(国鉄労働組合)や動労(動力車労働組合)に比べたら、とても小さな組織でした。鉄労は自由で民主的な労働運動を目指していて、安保闘争に明け暮れるような運動とは一線を画していました。そのために国労、動労からは御用組合とののしられて、ひどいいじめや暴力、おどし、るし上げに遭うこともしょっちゅうだったんです。
小さな組織が大組織に闘いを挑むためには、体を張ることも大切ですが、精神的な支柱が必要であり、その支柱が僕にとっては「言志四録」でした。もっとも、僕は漢文が得意ではないので、「言志四録」の言葉を五七五に直してそれをA4の用紙に印刷していつも持ち歩いていました。
天に仕え、心を開き、事を成せ!発憤し、振るい立て志士 励みて!
人々の気質は異なれ、良知は同じ!
一人ち、自信と情熱、行動す!
最善と、決する勢い、事をなす!
青年よ、励みの心、強くもて!
上寺 窪田さんのすさまじい闘志が伝わってくるようです。

窪田 「言志四録」研究の第一人者・川上正光さんを組合の研修にお呼びして講義をしていただいたのもその頃です。ちなみに川上さんも長岡技術科学大学の初代学長で長岡とは縁の深い方なんです。
それから、その頃のもう一つの大きな出合いといえば千葉県船橋市の中学校校長をされていた越川春樹先生の『人間学言志録』という本を読んだことです。越川先生も「教育現場を職場闘争の場にすべきではない」という考えで「言志四録」を支えに日教組と闘った方ですから、僕の思いにとてもフィットしました。校長室には、
とうこん毀誉きよおそるるに足らず。後世の毀誉は懼るし。一身のとくそうおもんぱかるに足らず。子孫の得喪は慮る可し」
(現世で悪く言われようが、褒められようが恐るるに足りない。後世に悪く言われたり褒められたりすることは恐ろしい)
という『言志録』89条の言葉を大書して掲げられていました。この越川先生は日本農士学校で安岡正篤先生に直接指導を受けられた人でした。僕も全国ゆう協会の機関誌を読むうちにどうしても安岡先生にお会いしたくなり、ある時、新宿の事務所をお訪ねしたことがあります。だけど、お約束していた日に風邪をひかれて事務所にはおられず、お会いできなかったのがいまでも悔やまれます。

福岡工業大学教養力育成センター教授

上寺康司

かみでら・こうじ

昭和35年広島県生まれ。関西学院大学経済学部卒業。広島大学大学院教育学研究科教育行政学専攻博士課程前期修了、同後期単位取得退学。広島大学教育学部助手、東亜大学専任講師、東亜大学助教授を経て平成18年福岡工業大学教授。剣道教士七段。岐阜県恵那市 佐藤一斎 言志四録 普及特命大使。