2020年4月号
特集
命ある限り歩き続ける
インタビュー③
  • 車椅子トラベラー三代達也

誰かが一歩を踏み出すために

車椅子で実現した世界一周一人旅

高校時代のバイク事故で歩けない身となりながら、車椅子で世界一周を成し遂げた三代達也氏。絶望の淵から見事に立ち直った旅人が、世界を歩いて掴んだもの、そしていまもなお歩き続ける理由を伺った(写真:生涯の約束を交わしたイースター島にて)。

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どんなバリアも人の手で越えられる

——三代みよさんは、車椅子いすで世界一周をなさったそうですね。

2017年の8月に日本を発ち、270日かけて世界23か国、42都市以上を回ってきました。途中、体調不良や所用で2度帰国しましたけど、最後まで介助者に同行してもらうこともなく、単独で世界一周を実現することができました。

——介助者もなく単身で。それは驚くべきことです。

僕は18歳の時にバイク事故で頸髄けいずいを損傷して、歩けない体になってしまいました。両腕も十分動かなくてバンザイもできませんから、車椅子をあやつるのも大変で、障碍しょうがいのランクではかなり重いほうになります。
でも、そんな僕が一人で世界を旅するのを誰かが見て、一歩踏み出す勇気を得てもらいたい。自分はダメだ、自分には無理だと思い込んでいる人が、心のバリアを破るきっかけを得てくれたらいいな、という思いがあるんです。

——とはいえ、一人で世界を旅するのは容易ではないでしょう。

確かに大変ですね(笑)。通常の荷物に加えて、排泄はいせつ用の道具など、障碍を補ういろんなアイテムも必要ですから、外ではいつもひざの上に60リットルの大きなかばんを載せて、車椅子にバックパックをつるし、ウエストポーチを装着して移動しました。
飛行機に乗る時は、僕のような車椅子の客はスタッフの方の介助を受けるために最初に乗って、最後に降りなければなりませんから何しろ時間がかかります。目的地に着いても車椅子に対応するタクシーやホテルがなかなか手配できなかったり、ネットでようやくバリアフリーのホテルを確保して行ってみたら、入り口が階段だったり(笑)。
厳しい現実を何度も突きつけられましたけど、その度に誰かが救いの手を差し伸べてくれました。イタリアのフィレンツェで車椅子の車輪が外れた時には、近くにいたイタリア人家族が総出で修復してくれました。ギリシャのパルテノン神殿では30段もある急な階段をインド人とスペイン人が僕を車椅子ごと担いで上ってくれました。ブラジルのコルコバードの丘で脱水症状になった時には、現地にいた人たちの助けで何とか体調を取り戻して、ホテルに戻ることができました。
世界はバリアにあふれているけど、どんなバリアも人の手で越えられる。これは世界を旅した僕の実感です。

車椅子トラベラー

三代達也

みよ・たつや

昭和63年茨城県生まれ。18歳の時にバイク事故で頸髄を損傷。車椅子生活となる。会社員時代に一人でハワイ旅行。海外の暮らしに憧れ、ロサンゼルスやオーストラリアに短期滞在。その後世界一周を決意し、約9か月間に23か国42都市以上を回る。帰国後は講演を通じて車椅子だから“こそ”の旅の魅力を伝える一方、旅行会社のスペシャルサポーターとして国内外観光地のバリアフリー調査やツアーの企画などに関わっている。著書に『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』(光文社)がある。