2020年4月号
特集
命ある限り歩き続ける
対談
  • 鈴木大拙館館長木村宣彰
  • 石川県西田幾多郎記念哲学館館長浅見 洋

鈴木大拙と西田幾多郎

二人の哲人が目指したもの

禅の文化を世界に伝えた仏教学者・鈴木大拙。独自の哲学体系を生み出し、世界にも広く知られる日本を代表する哲学者・西田幾多郎。二人は共に明治3年に石川県に生まれ、生涯の親友として互いに支え合い、尊敬し合い、禅と哲学というそれぞれの立場から学び教え合うことで、世界的な人物へと成長を遂げた。二人の哲人が歩んだ道と遺した教えや言葉を、鈴木大拙館館長・木村宣彰氏と石川県西田幾多郎記念哲学館館長・浅見 洋氏に縦横に語り合っていただいた。

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思索し、体験し自ら考える場に

浅見 木村先生と直接お会いしたのは2007年、鈴木大拙だいせつ館設立に向けた懇話会の席でしたね。
宗教哲学者の上田閑照しずてる先生(故人)や晩年の大拙に師事した岡村美穂子さん、金沢市長や北國新聞社の社長さんなど、錚々そうそうたる方々がメンバーに名を連ねる中で、座長を務めた私が1番若く、たぶん木村先生が2番目に若かった(笑)。皆がいろいろな意見をおっしゃるのですが、木村先生だけは行司役のような存在として発言してくださり、非常に助けられました。

木村 ええ、座長の浅見先生を除けば私が1番若かった(笑)。そしてその時に、若い人が訪れる施設をつくりたいと市長がおっしゃったので、私は、もし建物に「記念館」という名称をつけたら、その瞬間に鈴木大拙は過去の人になってしまい、若い人は見に来なくなりますよ。遺品や掛軸を展示する「記念館」ではなく、そこに行けば大拙に会えるような建物を作らないとだめだと言ったんです。
その2番目に若い私の意見を最終的に市長が取り入れてくださったことで、2011年、金沢市に単なる記念館ではない、現在の鈴木大拙館が建ちました。私が発言した後、上田先生が「木村君、僕も賛成だ」とおっしゃってくださったことはいまも忘れません。

浅見 私も木村先生の考えには大賛成でした。というのも、私がいま館長を務める西田幾多郎きたろう記念哲学館も、1968年に設立された当初は「西田記念館」でした。
それをいろいろな事情から建て替えようとなった時に、やはり訪れる人が西田の遺品などに触れられるだけでなく、哲学的思索にふけったり、自己を見つめる体験ができる場にしようということで、「哲学館」という名称をつけ、2002年に再出発したのですね。そうした流れがありましたから、木村先生が「記念館ではだめだ」と言われたのがよく分かりました。

木村 鈴木大拙館は、設計も非常に工夫していましてね。玄関から入って内部回廊を通り、展示空間、学習空間、思索空間を巡ってまた元の場所に戻ってくると、入った時とはちょっと違う自分を実感できるような構造、仕掛けになっています。だから、設計者の谷口吉生たにぐちよしおさんは大変だったと思います。

浅見 西田幾多郎記念哲学館も思索のオアシスをつくりたい、西田が思索したように来館者もまた思索できる空間を実現したいということを一つのモチーフに、世界的な建築家である安藤忠雄さんに設計していただきました。例えば一階展示室には、古今東西の哲学者たちと対談ゲームで遊ぶことができるタブレットや、水面に映った自分自身と向き合うことができる井戸を設置するなど、自らを見つめ、思索するきっかけとなる仕掛けをたくさん用意しています。
その点でも、鈴木大拙館と西田幾多郎記念哲学館は、考え方として共通する部分が多いですね。

木村 あと、来館者の方々に、まずは何かを感じ取ってほしいとの思いから、鈴木大拙館には何の説明文も出していないのです。

浅見 「鈴木大拙館に行ってみたら何もなくて呆気あっけにとられた」という方もいらっしゃいますね。

木村 そうおっしゃっていただいたら目論見もくろみ通りです(笑)。どうして何もないのだろうか、そう疑問に思えば、いろいろと自分で考え始めます。まず問いがなければ、答えもないのです。

鈴木大拙館館長

木村宣彰

きむら・せんしょう

昭和18年富山県生まれ。41年に大谷大学文学部仏教学科卒業。同大学大学院文学研究科博士課程を満期退学。専門は仏教学(中国仏教)。図書館長、文学部長を経て、平成16年学長(22年まで)、25年より鈴木大拙館館長。

書物を紐解けば大拙の声が聞こえてくる

浅見 きょうはせっかくの機会ですから、木村先生と鈴木大拙の出逢いをお話しいただけますか。

木村 私は大谷おおたに大学(京都府)の学生だった19歳の時に、幸いにも大拙の講話を聴くことができました。大拙は当時、90歳を過ぎておられましたが、いま当館の名誉館長の岡村美穂子さんを連れ、大学までお出でになった。その時の服装や仕草まで全部覚えています。大拙は水玉のちょうネクタイをつけ、耳を引っ張る独特な仕草をしながらお話しをされました。きょう私がつけているのも同じ水玉のネクタイです(笑)。
そして、一つにはこういうことをお話しくださいました。「大事な問いをずっと持ち続けなさい。問いを忘れなかったら、必ずいつか分かります」「人間は、90にならないと分からんこともあるのですよ」と。要するに何歳になっても勉強しなさいというわけです。

浅見 常に問いを持って、学び続けることの大切さを語られた。

木村 もし大拙の声を聞くことができなかったら、大拙の書物を読んでも音がない、声がないわけです。ただ、一度でもその謦咳けいがいに接すれば、書物を読んだ時に大拙の声が聞こえてくる、耳の底に残っている。例えば、親鸞しんらんの弟子である唯円ゆいえんが書いた『歎異たんにしょう』という書物がありますね。これも親鸞が亡くなってから、唯円が耳の底に残っている師の声を思い出して書いていったわけでしょう。
その講話会の数年後に大拙は亡くなりましたから、ご存命中にお目に掛かれたのは、本当に稀有けうな機会だったと思います。用事があるから聴くのをやめておこうという気になっていたら、取り返しのつかないことになっていました。

浅見 得難い機会でしたね。

木村 さらに、私はその講話会をきっかけに、岡村さんとも面識を持つことができたのです。カーディガンを肩に引っ掛けた岡村さんが「あなた、何を勉強なさっているの?」と声を掛けていただいたのをいまも覚えています。
いま、鈴木大拙館の名誉館長と館長の立場で一緒に仕事をさせていただいていることを思うと、本当に不思議なご縁を感じます。

石川県西田幾多郎記念哲学館館長

浅見 洋

あさみ・ひろし

昭和26年石川県生まれ。金沢大学大学院文学研究科哲学専攻修了、博士(文学、筑波大学)。国立石川工業高等専門学校教授などを経て、現在、石川県立看護大学特任教授・名誉教授、西田幾多郎記念哲学館館長などを務める。