2017年5月号
特集
その時どう動く
インタビュー④
  • 四国管財社長中澤 清一

営業は不要。
3,700件のクレームで、
会社を伸ばす

営業も広告宣伝も一切せずに、四国一の清掃会社へと成長した四国管財。社長の中澤清一氏は、いかにしてその奇跡を実現したのか。経営や人生の試練に直面する度、どう動いたのか。経営や人生の試練に直面する度、どう動いたのか。これまでの足跡を交えて、そのユニークな経営手法についてお話しいただいた。

この記事は約11分でお読みいただけます

僕は将来、この会社の社長になろう

──中澤さんの経営する四国管財は、清掃業で四国一の売り上げを誇るそうですね。

他の事業もやっている大きな会社はありますが、お掃除の売り上げではたぶん当社が一番大きいと思います。
最近はビル清掃の比率が半分くらいに減っていて、代わりに施設管理、警備業務、医療機関の受付業務、院内託児、介護士の補助や移送なども手掛けています。お清除でお客様との信頼関係が深まって、こちらから営業はしないんですけど「おたくにやってほしい」と頼まれて、気がついたらここまで業容が拡大していました。

──従業員さんも随分増えてきているのでしょうね。

パートさんも含めて620名です。当社は私が小学2年生くらいの頃、高知新聞元社長の福田義郎さんが立ち上げた会社を、ご縁があって父が譲り受けたんですけど、その頃はたぶん百数十名くらいだったと思います。最初はなかなか軌道に乗らなくて苦労したようで、よく泊まり込みで県庁の仕事をやっていたものですから、母と一緒に替えの下着を持っていったのを覚えています。
あいにく父は、私が中学2年生の時に亡くなり、その後は専務がずっと経営を見てくれていました。

──お父様はどんな方でしたか。

小学2年生までしか行っていなかったこともあって、小卒で宰相にまで上り詰めた田中角栄さんを尊敬していましてね。頭を下げてナンボ、仕事はとにかく一所懸命やるというタイプで、非常に幅広いネットワークを築いて事業を伸ばしていました。誰にも優しくて、困り事の相談をたくさん引き受けては笑顔で解決していく姿が格好よくて、子供心に随分憧れたものです。
ある時、父がホテルに社員さんを集めて慰労パーティーを催したことがありましてね。壇上で家族の紹介をしてもらった時、「僕は将来、この会社の社長になろう」と心に決めました。その決意は一度もブレたことはないです。

四国管財社長

中澤 清一

なかざわ・せいいち

昭和37年高知県生まれ。大学卒業後、四国管財に入社。現場の仕事を経て、経営幹部として組織改革に邁進。平成9年社長に就任し、現在に至る。