弱虫で本の虫だった少年時代を送った蔡 焜霖氏は、時代の荒波に翻弄され、言われなき罪によって青春時代に服役刑に処せられるなど、波乱の人生を歩んできた。戦前戦後の台湾を見てきた時代の生き証人として、その数奇な半生を振り返っていただくとともに、50年に及ぶ植民地時代、そして戦後台湾の発展にも寄与した日本との関係をお話しいただいた。
蔡 焜霖
さい・こんりん
昭和5(1930)年日本統治下の台湾・台中州生まれ。18(1943)年台中第一中学校に入学。後に学徒兵として召集、台中の陸軍航空隊飛行場駐屯時に終戦を迎える。1950年白色テロ影響で懲役10年の刑に処せられ、火焼島(現・緑島)で服役。1963年国華広告公司(現・電通国華)に入社。1966年児童雑誌『王子』を創刊。国泰生命保険に勤務後、再び国華広告公司に入社。副社長、社長、副会長を歴任後、1999年に退任。現在は国家人権博物館の創設に尽力するとともに、白色テロ事件の真相究明に挑み続ける。