2024年6月号
特集
希望は失望に終わらず
対談
  • 理学博士佐治晴夫
  • 文学博士鈴木秀子

希望は失望に終わらず

理学博士の佐治晴夫氏は、長年宇宙の摂理を探究する中で、宇宙生成法則が生き方の法則と不思議なほど一致しているという結論を得た。人生で直面する様々な困難や試練もその法則を知ることで解決の糸口が見えてくるという。シスターとして信仰の一道を歩み、多くの人たちを幸せに導いてきた文学博士の鈴木秀子氏と共に語り合う失望を希望に変えていく道とは。

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大きな希望ではなく小さな希望を

佐治 鈴木先生、しばらくです。先生との対談は僕の念願でしたので本当に光栄です。

鈴木 佐治先生とはNHKの文化講座などで何度もご一緒させていただいていますのに、こうしてじっくりお話しする機会は初めてですね。先生のご専門の宇宙や量子力学について私はまったく分からないのですが、なぜか量子力学に強くかれるものがあるんです。それで私もきょうはお会いできるのを楽しみにしていました。

佐治 最初にお目に掛かったのは、確か先生がエニアグラムを日本に広められていた30年以上前だったかと記憶しています。その後、僕も関わりができたたつむらじん監督の『地球交響曲ガイアシンフォニー』の上映会で一緒にお話をさせていただいたり、日本野鳥の会でお会いしたりしていました。
鈴木先生のご著書を拝見していますと「人生で起こるすべての出来事をよきものとして受け容れる」というようなお言葉がたびたび出てきます。これは現代宇宙論の考え方にも通じるものであり、以前から共感していたんです。

鈴木 お聞きするところによると、先生は10年ほど前に大きな病気をされたそうですが、とてもお元気そうですね。お肌もつやつやされていますし。

佐治 気持ちは元気なのですが、体はなかなか思うようにはいきません。僕は2014年から北海道えいちょうに仕事の拠点を移し天文台長として宇宙の素晴らしさを伝え続けています。しかし、定期的な検査や治療のこともあって、最近では神奈川と美瑛と半々の生活です。
発病したのは9年前、80歳を迎える直前でしたが、その頃は2県にわたって幼稚園から大学まで7つの学校を構える学園の長を引き受けておりましてね。いま思うといろいろとストレスを抱えていたのではないかと思います。
僕は定期健診の血液検査などの結果をグラフにしていましたので、数値の推移を見て「危ないかな」と予測はしていました。ドクターからはがんと診断され前立腺の全摘手術を受けたのですが、取り出した臓器をみて「これは悪性前立腺導管がんという非常に珍しいがんで、標準治療法はない」と。その場で余命3年と宣告されました。

鈴木 ショックは受けられませんでした?

佐治 最初は「えっ」と思いました。だけど、ショックでご飯も喉を通らないということはありませんでしたね。というのも、余命3年というのは数学的に考えると3年を中央値として山型にグラフが広がる平均値なんですね。2年で亡くなる場合もあるし、5年、10年と生きる場合もあるので、長生きできるほうの可能性に懸けてみようと思いました。
それと大きかったのは、『SALサルUSース』という東急の月刊誌に連載を求められたことですね。この仕事は僕自身の生存証明になりました。はるかな大きな希望ではなく、毎月毎月の小さな希望を持ってステップ・バイ・ステップでここまで歩いてきた感じです。それに僕は音楽が大好きでピアノとパイプオルガンを少したしなみますので、毎月の月刊誌の連載と併せて年1回の発表会もまた一つの希望となりました。

理学博士

佐治晴夫

さじ・はるお

昭和10年東京生まれ。東京大学物性研究所、ウイーン大学などで研究し、玉川大学教授、県立宮城大学教授、鈴鹿短期大学学長などを歴任。平成26年に神奈川県から北海道美瑛町に拠点を移し、28年同町郷土学館「美宙」天文台長に就任した。〝ゆらぎ〟の理論研究で知られる一方、宇宙研究の成果を平和教育の一環と位置づけるリベラルアーツ教育の実践を全国的に展開している。著書は『14歳のための宇宙授業』(春秋社)『詩人のための宇宙授業』(JULA出版局)など多数。日本文藝家協会所属。

人生はいま、この時を生きていくこと

佐治 確かに年を取ると病気はするし運動能力は落ちる。いろいろなネガティブな面が出てくるのですが、逆に年を取ってからでないと分からないこともたくさんあるんですね。また、年を取ったからこその出会いもある。僕も89歳のこの年まで生きたからこそ、本日の対談も実現できたわけです。

鈴木 人間年を取ると面白くなるというのは本当ですね。何より生活がシンプルになります。物を欲しいと思わなくなり、「こうでなくてはいけない」というこだわりのようなものもなくなっていきます。

佐治 鈴木先生は僕よりも少し人生の先輩ですが、とてもお若くていらっしゃる。ご病気とは無縁のように見えますね。

鈴木 おかげさまで、これまで大きな病気をしたことは一度もありません。私は40年間大学で教えてきましたが、大学院を含めて常に18歳から25歳の学生しか目の前にいませんでしたし、修道院ではほとんど同じ人たちと生活を共にしています。周りにあまり変化がないからか、年を取ったということを考えないんです。
もちろん、この頃では足が弱ってゆっくりとしか歩けなくなったり、すぐに疲れたりするので「ああ、やっぱり年かな」と思うこともあるんですけど、同じ修道院に96歳で元気に生活しているシスターがいるんですね。聞いてみると、自分はいまも18歳だと思って生きているんですって。

佐治 そうですか。自分はいつも18歳だと。

鈴木 年のことを全く考えないから、マイナス思考なんて起きないんでしょうね。そうやって自分に言い聞かせるのも元気の秘訣ひけつなのかもしれません。
私は1日に最低5,000歩歩くことを心掛けていますし、ストレッチとボイストレーニングを組み合わせた訓練に月に数回、通っています。だけど、一番の健康法は自分が健康であると信じていることですね。いまは講演をしたり原稿を書いたり、悩んでいる方の話に耳を傾けたり、ワークショップをしたりという生活ですが、コロナパンデミックが終息した後、ますます忙しくなって、この年でも全国の方からお声を掛けていただけることをありがたく思います。

佐治 人生を完全燃焼しようとされるお姿が伝わってくるようですね。ご自身の使命に向かって日々精いっぱい歩まれているのもお元気の理由なのでしょう。
僕は人間の寿命について、いつしかこう思うようになったんです。私たちは身近な人や友人など「他者の死」に遭遇します。これは現実として受け止めることができる。しかし、自分が死ぬ「一人称の死」は意識することができません。人間は生まれた時も死ぬ時も覚えていないんです。だとしたら、自分にとっての時間とは一体何なのだろうかと。カトリック教会の司教で哲学者だったアウグスティヌスは「現在イコール永遠」と定義しました。僕たちは過去を過ぎ去ったものと考えますが、そう考える自分は現在にいる。先のことを考える自分も現在にいる。つまり過去も未来も現在に含まれ、それが永遠に続くというんです。
ということは、私たちの人生は、「いま、ここに」しかないんです。カトリックには「自分が死ぬことを忘れるな」、その対語として「今日の花を摘むように、今を生きなさい」という教えがありますが、人生は突き詰めると、「いま、この時を生きていくことだ」というのが、89年間生きてきた僕の人生観です。

文学博士

鈴木秀子

すずき・ひでこ

東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本にエニアグラムを紹介。著書に『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』『幸せになるキーワード』(共に致知出版社)『悲しまないで、そして生きて』(グッドブックス)など多数。最新刊に『名作が教える幸せの見つけ方』(致知出版社)。