2024年12月号
特集
生き方のヒント
一人称
  • 日本航空元会長補佐専務執行役員大田嘉仁

稲盛和夫に学んだ
運命を高める生き方

稀代の名経営者・稲盛和夫氏の側近として30年近く行動を共にしてきた大田嘉仁氏。稲盛氏と共にJALの再建に携わり、2年7か月という短期間での奇跡の再上場に大きな役割を果たした。その大田氏がこのたび弊社より、稲盛氏の傍らで聞いた言葉を書き留めた60冊の秘蔵ノートの中から、特に心に残った言葉をピックアップしてまとめた『運命をひらく生き方ノート』を刊行した。
大田氏が稲盛氏から学んだ「生き方のヒント」とはどういうものだったのか。書籍発刊に至る歩みと共に振り返っていただいた。

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2,000個近くの言葉をピックアップ

1978年、新卒で京セラに就職した私は、1991年春に稲盛和夫さんが政府の第三次行政改革審議会部会長にばってきされた際、突然、特命秘書に任命されました。それ以来、京セラを退任するまでの30年近い時間を共有し、稲盛さんのけいがいに接してきました。

その間、私は稲盛さんと話をしていて気になったこと、気づいたことなどをノートにメモし、そのノートは退任時には60冊ほどになっていました。そのことを日頃から親しくさせていただいている致知出版社の藤尾秀昭社長にお話しすると、「貴重な記録なので、そこから印象に残る稲盛さんの言葉を抜き出して書籍としてまとめてみたらどうですか? きっと、世の中に役立つはずです」とのご提案をいただきました。

私自身もせっかくのノートをそのままにしておくのはもったいないという気がしていたので「分かりました」とお答えし、改めてノートを読み返してみることにしました。

いざノートを開いてみると、走り書きでよく読めない字も多く、言葉を選び出すまでに膨大な時間がかかりました。ただ、不思議なことに、8割くらいノートを読み終えたあたりから、「私をピックアップしてほしい」と言葉のほうから目に飛び込んでくるように感じ始め、読み返す作業は少し楽しくなりました。

また、「あの時、稲盛さんはああ言っていたな」と懐かしく思い出したり、「こんなにいい言葉をなぜ覚えていなかったのだろう」と残念に思ったりすることもありました。夢中になってそのような作業を続けていると、目の前に稲盛さんがいて会話をしているような感覚に襲われたりもしました。

その意味では、ノートから2,000個近くの言葉を抜き出し、それを分類・整理し、さらに言葉を選ぶという作業は、苦労は多かったものの、結果として貴重な経験になったように思います。

稲盛さんと私は22歳の差があります。普通ならば子供扱いされても仕方ないでしょう。実際、周りの人からも「あんな若い人間をなぜ稲盛さんは連れて歩いているのだろう?」といぶかしげに見られることもありました。私自身も不思議に思うのですから、それも当然でしょう。そんな未熟で若輩の私に稲盛さんは「納得できないこと、疑問に思ったことは、何でも聞いてくれ。お前の意見も遠慮なく話してくれ」と言われました。

その言葉に従って、私も思ったことを率直に稲盛さんに伝えました。この本の中には、そうした二人で会話をしている時に出てきた言葉も数多く含まれています。

私は社会人となって、大半の時間を稲盛さんの近くで過ごしてきましたので、親子ほどの年齢の差があることなど、あまり意識したことはありませんでした。しかし、稲盛さんの三回忌を迎え、それは普通ではあり得ないことであり、極めて恵まれていたことが初めて分かるようになりました。

稲盛さんは、世の中には偶然は何もない、すべて必然であり、意味があると語っています。私を長年にわたりそばに置いてくれたことが必然であるなら、そこにも大きな意味があるはずです。その意味の重みをいま改めて感じ、心から感謝すると同時に何をなすべきかを考えなければならないと思っています。

(日本航空元会長補佐専務執行役員)

大田嘉仁

おおた・よしひと

昭和29年鹿児島県生まれ。53年立命館大学卒業後、京セラ入社。平成2年米国ジョージ・ワシントン大学ビジネススクール修了(МBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、22年12月日本航空(JAL)会長補佐・専務執行役員を兼務(25年3月退任)。27年12月京セラコミュニケーションシステム代表取締役会長に就任(30年3月退任)。令和元年㈱MTG取締役会長就任。現在は、立命館大学評議員、八坂神社崇敬会常任幹事、日本産業推進機構特別顧問、鴻池運輸社外取締役、新日本科学顧問、МTG相談役などを務める。著書に『JALの奇跡』『運命をひらく生き方ノート』(共に致知出版社)などがある。