2017年7月号
特集
師と弟子
インタビュー
  • 山本化学工業社長山本富造
我が師を語る①

教えずして教える

経営の師・越後正一の流儀

トライアスロン用ウエットスーツの分野で世界シェアナンバー1を誇るなど、ラバー開発技術で世界のトップを走る山本化学工業。同社を率いる山本富造氏が経営の師と仰いだのが、伊藤忠商事「中興の祖」と謳われた故・越後正一氏だった。晩年の越後氏と若き山本氏との間に交わされた、異色の経営問答を振り返っていただいた。

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経営者の極意

——山本社長は若い頃、伊藤忠商事「中興の祖」と謳われた越後正一氏に師事されていたそうですね。

はい。越後さんを知る方もだんだん減ってきましたけど、伊藤忠商事を繊維専門商社から総合商社にしたのは、まさにあの方でしたからね。越後さんを語らずして伊藤忠は語れないという意味では、やはりいまでも有名人ですわ。

——その越後さんと、どのようなきっかけでご縁があったのですか。

いまから30年くらい前の話ですけど、伊藤忠に仕事上の関係で仲のよくなった友達がおりまして、ある時彼が転勤だと言うのでどこの部署かと聞いたら、「越後さんの秘書やねん」って言う。その時に、「越後さんは有名な人で、普通は会われへんから1回来いや。俺が紹介したるわ」って言われたのが始まりでした。
本社ビルの最上階にある役員室に連れていってもらうと、広い部屋の窓側に越後さんが座られていました。挨拶を済ませて、長いテーブルの一番端っこにある椅子に案内されると、越後さんが開口一番、「ええ? あんた社長? 何年やってるの」と聞いてこられたので、2年目ですと答えました。そうしたら、「今度から名刺を刷る時には、社長心得と書け」とおっしゃるわけですよ(笑)。

——社長心得、ですか(笑)。

「そんな名刺は見たことないかもしれんけど、10年経つまでは一人前じゃないから書け」って。最初はそんな話から始まりました。
あとは越後さんの足が浮腫んで、夜にこむら返りになるから、何とかならんかという話になってね。うちの会社で健康関連の仕事もやっていたので、それなら今度来た時に足の寸法を測って越後さん用の器具(現在の医療機器メディカルバイオラバー)をつくりますよと言って、その日は帰ったんです。
それから何度かお伺いするうちにいろいろと話をするようになったんですけど、ある時、経営者の極意を教えてくださいよって切り出してみたら、「健康管理のできないやつは経営者にあらずや」って言うだけで、何遍聞いてもそれだけなんです。

——他には何もおっしゃらないと。

時折、「よい時は心を引き締め、悪い時は心を弾ませろ」ってことは社内でも言っておられたようで何度か聞きましたけど、あとは健康管理のことばっかり。
そのうちに行く用事がなくなって2、3か月も経つと、突然電話がかかってきて、「最近どうしてんねん」って言うわけです。何か用事があればいつでも行きますとお伝えしたら、「そんなの関係ないから、とにかく来い」って。それでお伺いすると、「ご飯を食べる時は、残す勇気を持って」とか、また健康の話になるんです。

山本化学工業社長

山本富造

やまもと・とみぞう

昭和34年大阪府生まれ。56年近畿大学経営学部卒業(在学中にフロリダ州立国際大学に留学)後、山本化学工業に入社。59年25歳で5代目社長に就任し、現在に至る。著書に『1人1億稼ぐ会社の鉄則』(ダイヤモンド社)がある。