2022年11月号
特集
運鈍根
対談
  • 大阪大学名誉教授(左)宮本又郎
  • 作家(右)北 康利

明治の実業家たちの
気概に学ぶ

運鈍根とは、1代で古河財閥を築いた古河市兵衛の座右の銘である。古河に限らず、明治という激動期を生き抜いた実業者たちは、等しく凄まじい苦労と努力の中で成功を掴み取っていった。日本経済史の視点で大阪大学名誉教授の宮本又郎氏と実業者を題材に詳伝を執筆する作家の北 康利氏に彼らが生きた明治という時代と彼らの抱いた志、気概について語り合っていただいた。

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人物の研究なくして経済史は分からない

宮本 北先生、ご無沙汰しております。きょうはわざわざ大阪企業家ミュージアムまで足をお運びくださり、恐縮しています。

 とんでもありません。僕は関西の実業者の評伝を多く書いてきましたので、大阪企業家ミュージアムの館長でいらっしゃる宮本先生とお話しできるのをとても楽しみにしてきたんです。このミュージアム所蔵の資料はどれも貴重なものばかりで、私も参考にさせていただいているのですが、開館したのは20年ほど前でしたね。

宮本 はい。2001年です。もともとは大阪に商業博物館をつくろうという構想からスタートし、バブル崩壊により規模を縮小して企業家ミュージアムという形になりました。経営の物や事ではなく人物に光を当てるというのがそのコンセプトですね。
失われた10年、20年という言葉に象徴されるように、1990年代以降、日本経済が低迷して元気な企業家があまり出てこなくなりましたでしょう? しかし、歴史を辿たどるとかつては大阪でも元気のいい企業家がたくさんいたんですね。このミュージアムをつくるに当たっても300人くらい候補が挙がり105人に絞ったほどです。
ミュージアムでは亡くなった方を中心に事跡を顕彰していますが、最も新しい方でいえば1999年に亡くなったサントリー中興の祖・敬三さんです。

 ということはそれ以降の方はいらっしゃらない。かつてのようにごっつい経営者が出てこなくなっているのは残念ですね。

宮本 私はミュージアムの設立準備段階から関わってきたのですが、90年代以降、元気な企業家がいなくなったのはなぜなのかという疑問を抱き、企業家のことをいろいろと研究するようになりました。
もちろん、それ以前から企業家は私の研究テーマでした。専門である経済史を研究するほど、人物を抜きに語ることはできないと考えるようになったんです。経済史は、マルクス経済学でいえば産業資本や資本主義体制がどうであるというように、主体である人間を抜きに語られますし、近代経済学でいえば本源的生産要素は土地と労働と資本であるとして企業家は出てこない。しかし、それでは本当の意味で経済の歴史にならないという疑問を抱いたわけです。

大阪大学名誉教授

宮本又郎

みやもと・またお

昭和18年福岡県生まれ。神戸大学経済学部、同大学院修士課程修了。63年大阪大学経済学部教授、平成18年から関西学院大学大学院経営戦略研究科教授。20年より大阪企業家ミュージアム館長。専門は日本経済史・日本経営史。著書に『近世日本の市場経済』(有斐閣)『日本の近代 企業家たちの挑戦』(中央公論新社)など多数。

実業家の評伝を通して日本に気合いを

 僕のことを少しお話しさせていただくと、人物評伝を書くようになったのは人間に関心があったからです。そして、かつてはビジネスの世界に身を置いていましたので、実業家の評伝が多くなるのは自然な成り行きでした。自分が育った関西の地を元気にしたいという思いに加え、そもそもユニークな経営者が多いことから、関西の実業家を題材にすることが多くなっています。
宮本先生のお話とも重なる部分があると思いますが、昔は上方だ、「だいおおさか」だといわれていた大阪がいま元気をなくしている。一方で人口単位の刑法犯の犯罪発生率はワーストワンを独走している。ここはやはり先人に気合いを入れていただこうというので松下幸之助(松下電器産業創業者)や小林一三いちぞう(阪急東宝グループ創業者)、太田垣士郎(京阪神急行電鉄、関西電力社長)、稲盛和夫(京セラ創業者)といった関西の経営者を書いてきました。もちろん、どのような人物を取り上げるにしろ、日本という国自体に気合いを入れたいという思いが僕の一貫したテーマになっています。

宮本 そうですか。素晴らしい志をお持ちですね。

 やはり人間、生まれてきたからには、人生の意味や人間の本質について知りたいという気持ちがあります。偉人と呼ばれる人たちを研究していけば、その答えが自ずから演繹的えんえきてきに得られるのではないかと思ったのです。その意味では、僕にとって作家という仕事は、自分探しでもあるんですね。
とりわけ実業家を取り上げるのには理由があって、日本の発展に貢献した実業家がお札の肖像にすらなっていないのがとても不満だったのです。ビジネスマンに対する敬意が不十分だというわけです。江戸時代以来の金儲けに対する負のイメージがまだ残っているのかもしれません。世の中の役に立つものをつくって儲けて、それで雇用を確保して従業員の家族を幸せにし、子供を育てその子供たちがまた社会を支えていく。社会のインキュベーターとしての役割を担うのが企業であり実業家なのです。
大阪を日本の商工業の中心地にしただいともあつ(才助)は、世の中のために大きく集めて大きく散じることの大切さを説きました。松下幸之助さんや稲盛和夫さんがそうですが、散じ方が重要なのです。大きく集めて月旅行を、などと言い出す最近の経営者とは志が違います(笑)。

五代友厚

宮本 実際、いまなお企業家がリスペクトされているとは言い難いですね。私が時代考証をさせていただきましたが、NHKの朝ドラでようやく広岡浅子(大同生命創業者)が取り上げられ、大河ドラマでは渋沢栄一くらいでしょう。
子供たちに「どんな人物になりたいか」と聞いても、イチローだとか大谷翔平だとかスポーツ選手の名を挙げる子はいても、企業家になりたいという子はほとんどいません。北先生がおっしゃるように、企業家が物をつくりサービスを提供することで社会に利益をもたらす素晴らしい存在であることを正しく評価してもらえる時代になってほしいものだと思います。
このミュージアム設立の目的の一つもそこにあって、見学に訪れる小学生から高校生、あるいは大学生たちに少しでも企業家の志や本当の姿に接してもらえたら、というのが私の願いでもあるんです。

作家

北 康利

きた・やすとし

昭和35年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券業務企画部長等を歴任。平成20年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社)で第14回山本七平賞受賞。著書に『日本を創った男たち』(致知出版社)『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)など多数。近著に『本多静六 若者よ、人生に投資せよ』(実業之日本社)がある。