2022年11月号
特集
運鈍根
  • 東洋思想研究家田口佳史

安岡正篤
『百朝集』に学ぶ人間学

東洋思想の研究と後進の育成に生涯を捧げ、政財界のリーダーから師と仰がれた碩学・安岡正篤師。その安岡師自らが精神の糧としてきた古今先哲の片言隻句を紐解いたのが『百朝集』である。終戦直後の混迷期に多くの日本人に勇気を与え、人生の羅針盤となった不朽の名著がこの程弊社から新装版として発刊された。本書を40年以上にわたり愛読してきた田口佳史氏に、その出逢いや魅力、特に心に残る言葉を語っていただいた。

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人生最大の苦境の時に出逢った1冊の本

若い頃よりはんりょごとく一緒に歩んできた愛読書の一つが、この程新たな装いをもって、それも致知出版社から登場してくれたことは、無類のよろこびであります。

私の座右に置く『ひゃくちょうしゅう』は、東洋思想家・安岡正篤先生の呼び掛けによって結成された全国師友協会から発刊されたもので、奥付には「昭和五十三年八月十五日第三刷」と書かれています。調べてみるとこの本と出逢ったのは昭和54年、37歳の時でした。当時のことを思い出すと、何とも言えぬ感情が込み上げてきます。

新進の映画監督だった25歳の時、タイのバンコク郊外で撮影中に水牛2頭に突然襲われ、生命の危機にひんしました。九死に一生を得て日本へ帰ってきたものの、病状は一進一退でとく状態が続いた時期もありました。何とか一命を取り留め、通院しながらリハビリに励んでいましたが、ある時、医者から「もう為すすべはありません」と見放されてしまったのです。何のために生きているのか。存在意義を見失い、猛烈な不安や自己不信に駆られました。

それでも生活のを得なければいけません。ベッドの上で寝ていてもできる仕事は何か。そう考えて始めたのが物書きです。経験を積むうちに経営者のスピーチライターを頼まれるようになり、財務諸表の読み方をはじめ、経営の基本を必死に勉強していきました。

たった一人の経営者をサポートすることによって、その背後にいる数百人、数千人の人たちを助けることができる。これは素晴らしい仕事だと思い、30歳の時に当時住んでいたアパートの一室を事務所にしてイメージプランという会社を設立したわけです。

スピーチライターの腕が上がるにつれ、仕事の幅が広がっていく一方、本当にやりたいことは何なのか、命を助けられた者としてどうご恩返しをしていくのか、自問自答しました。そこで湧き上がってきたのが、ひんの重傷を負った時にバンコクの病院で読んで救われた東洋古典『ろう』を深めたいとの思いでした。そのためには漢籍の勉強をしなければならない。大学できょうべんる中国史の先生に徹底的に指導してもらいながら、老荘思想や儒教について学んでいきました。32歳の時です。

2年後には千代田区こうじまちに事務所を移し、3名の社員を雇うことになりました。2人の子供に恵まれましたが、仕事も家庭も金銭的に余裕のない日々。その上、私は重度の身体障害者です。

水牛の角で腎臓を刺されており、定期的に人工透析に行かなければならない。おうとっこつというようついにある骨の突起がすべてくだけたため、直に神経そうに皮膚が触ってしまい、呼吸をするたびにズキンと痛む。さらにはPTSD(心的外傷後ストレス障害)がひどく、突如として襲われたトラウマから、急に目の前に人が走ってきただけで、足がすくみ立ち往生してしまう。

こういう状態とも闘わなければならず、「助けてやったのに、何をやっているんだ」といつも天から言われているようなプレッシャーを抱えていました。

ちょうどその頃、スピーチライターの顧問先だった会社の広報室長さんに、「東洋古典に興味があるなら私の代わりに行ってくれますか」と言われて参加したのが全国師友協会の例会でした。受付の横には安岡先生の本が数多く並べられており、当時お金がなかったため、その中で一番安くポケットに入るサイズという理由で購入したのが『百朝集』だったのです。

東洋思想研究家

田口佳史

たぐち・よしふみ

昭和17年東京生まれ。新進の映画監督としてバンコク郊外で撮影中、水牛2頭に襲われ瀕死の重傷を負う。生死の狭間で『老子』と運命的に出会い、「天命」を確信する。「東洋思想」を基盤とする経営思想体系「タオ・マネジメント」を構築・実践し、1万人超の企業経営者・社会人・政治家を育て上げてきた。配信中のニュースレターは海外でも注目を集めている。主な著書(致知出版社刊)に『「大学」に学ぶ人間学』『「書経」講義録』他多数。