「掃除の神様」の異名を取り、弊誌も深いご縁を賜っていたイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏が、去る1月2日、91歳でお亡くなりになりました。
鍵山氏は1933年東京生まれ。疎開先である岐阜県の高校を卒業後に上京。会社勤務を経て、1961年にローヤル(現・イエローハット)を創業。自転車の行商から始めた同社を日本有数の自動車用品チェーンへと育て上げました。
鍵山氏の人生と切っても切り離せないのが掃除です。鍵山氏は創業期、社員さんに少しでもよい環境で仕事をしてほしいと願い、会社のトイレ掃除を始めました。黙々たる実践が10年続いた頃には1人、2人と自主的に手伝う社員さんが現れるようになり、やがて全社に広まることで社風が格段に向上したといいます。
「人の心の荒みをなくしたい」。鍵山氏の願いに共感する有志により、各地に立ち上げられた「掃除に学ぶ会」を通じて、活動は社外へも伝播。「日本を美しくする会」という社会運動へと発展した掃除の輪は、全国に留まらず、世界へも広がっていきました。
弊誌に初めてご登場いただいたのは、1990年8月号。人間学を追究する弊誌に深く共感してくださった鍵山氏は、対談、書籍、セミナーなど様々な場で、厳しい体験を通じて会得された経営のあり方、人生のあり方を伝授してくださいました。1998年3月号より寄稿を始めていただいた「巻頭の言葉」は、一時中断を経て、2018年12月号まで続き、毎回大きな反響を呼びました。また、1994年に発刊された『凡事徹底』は、30年以上経ついまも版を重ね続けている弊社屈指のロングセラーの一つです。
「大きな努力で小さな成果」
「平凡なことを非凡に努める」
「微差、僅差の積み重ねが遂には絶対差となる」
等々、人が疎かにしてしまいがちな真理に光を当てる言葉の数々は、いまなお多くの人に指針を与え続けています。
最後にお寄せいただいたメッセージは2023年、弊誌創刊45周年に際してのご祝辞でした。
「日本人が失ってはならない尊い精神性、清く美しいものを守るというのは、並大抵のことではありません。(『致知』が)それを45年間もやり遂げてこられたことに、私は敬服しております。(中略)日本のために、どうか皆さん方の手で『致知』を広めていただき、美徳に満ちた世の中になってほしいと切に願っております」
弊誌は、鍵山氏のこの願いを心に深く刻み、一層の誌面充実に邁進してまいります。
ご生前の一方ならぬご厚情に感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「日本をよりよくしたい」活動を共にした尊敬すべき同志
「松下政経塾の塾生諸君が、塾長である松下幸之助さんから『掃除をしっかりやりなさい』と言われて、素直に『ハイ分かりました』と従っていたら、あなたとお会いすることはなかったでしょう。塾頭のあなたが塾生諸君に掃除をさせるのに手こずったおかげで、2人の縁が生まれましたね」と、鍵山秀三郎さんは笑いながら、私に向かってしばしばおっしゃっていた。
松下政経塾の創設当初、塾生諸君が掃除をなかなか真剣にやらないことに手を焼いて、私は鍵山さんの懐に、必死の思いで飛び込んだ。もう40年ほど前のことだ。黙々と、真剣に掃除に励んでおられる鍵山さんの実践の姿に衝撃を受けた。職場の荒んだ雰囲気を正したいと、床に這いつくばり、お一人で黙々とトイレ掃除をしておられる姿を見て、私は、教育のあり方の根本を教えられた気がした。
それから40年、「日本をよりよくしたい」との一点において、2人の思いは全く一緒だった。おかげで、松下政経塾の塾生たちの研修はもとより、各地での選挙も親身に応援していただいた。私が設立した〈志ネットワーク〉にも最初に参加していただき、「青年塾」の運営に全面的に協力いただいた。『致知』で対談の機会を得て、『志を継ぐ』という本を出版するに至った。まさに、尊敬すべき同志だった。
そのご恩に心から感謝し、「日本をよりよくすること」に微力を尽くすことを、改めて、鍵山秀三郎さんの御霊前に誓いたい。
鍵山秀三郎先生に初めてお目にかかったのは、致知出版社主催のセミナーでありました。控え室にご挨拶に行くと、端然とお坐りになっていました。その腰を立てたきちんとした姿勢と、そして満面の笑顔とに、「これが鍵山先生か」と、感動したことを覚えています。
その後、円覚寺では2度御講話をしてもらいました。また何度も対談をさせてもらったのでした。忘れがたいのは、平成27年の10月に鍵山先生が大病を患われた後のことです。ご退院なされて間もない頃に、円覚寺で対談をさせてもらいました。寒い年の暮れでしたが、そんな大病のあとを全く感じさせないたたずまいに感激したものでした。
令和2年の2月に、ご自宅にお見舞いをしたのが、生前お目にかかった最後となりました。
とある出版社の企画では、5回にわたって対談をさせてもらっています。その間にお伺いしたお話の数々はいまも私にとってかけがえのない財産となっています。この現代に誇るべき偉大なる日本人であられたと思います。ご冥福を心よりお祈りしています。
バブル崩壊の大波に呑み込まれ、なすすべもなく苦しんでいた平成3年11月23日、恵那はがき祭りの夜のこと、初対面の鍵山相談役から「私は30年間、毎日トイレ掃除をしています。人生も会社も変わってきました」との言葉を聞いて衝撃を受けました。
翌朝から近くの神社の清掃を始めたところ、数か月で神社が見違えるほどに荘厳な雰囲気を醸し出し、本来の姿を取り戻しました。そこで掃除を職場に導入すると同時に、鍵山相談役の指導で平成5年11月6、7日と岐阜県恵那市明智町の日本大正村で第1回掃除に学ぶ会を35名で開催いたしました。
この時をきっかけに鍵山相談役は、社会規範が乱れ、凶悪犯罪が多発する日本の状況を憂え、「掃除を通じて心の荒みを失くし、世の中をよくしていくための活動」として「日本を美しくする会」を設立されました。
それ以降、鍵山相談役は、各地の大会、学校、海外にも赴き、下坐に徹し、多くの人たちに影響を与え、掃除人の心の支えとなってこられました。この間、掃除を通じて人生も会社も学校も地域も大きく変わった事例が数多く生まれるようになり、年間10万人が参加する社会活動にまでなりました。
私は、これからも鍵山相談役の思いを大切にし、より一層、掃除道の普及に努めてまいります。長い間、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
1月2日、相談役ご逝去の訃報は翌日に入りました。「そろそろ昨年のご報告を」と思っていた矢先のこと。
よい意味で考えると、2024年は凄まじい年明けだっただけに、今年は何もない元旦を過ごしての旅立ちと思うと相談役らしいと微笑ましくもありました。
31年前、IT業界を襲った大津波は弊社(日本企画㈱)を呑み込む勢いでしたが、意を決して、当時の㈱ローヤル(現・㈱イエローハット)に伺いました。北千束の本社に着くと鍵山社長が出迎えてくださり、ご挨拶もそこそこに早速トイレ清掃など数々の心磨きを伝授いただきました。
そして、机上の講話では経営の大変さを説かれ、「でも大丈夫」とあの笑顔で囁かれました。藁にもすがる想いでしたから、この方の一挙手一投足をとにかく実践してみようと思った瞬間でした。凡事徹底、良樹細根、大きな努力で小さな成果、よい社風づくりと涙を流しながら聴きました。
日本を美しくする会の三代目会長を引き受ける時もご相談に乗っていただき、応援するから頑張りなさいとエールをいただいたおかげで、低空飛行でしたが、今期で8年間の要職を全うすることができました。不自由の御身になってからは1年に1度のご報告の機会でしたが、いつも会のことや国のことを案じていました。
掃除を通して心の荒みをなくし、世の中をよくする掃除道実践を使命にいたします。鍵山相談役、私たちの活動をどうか天空よりお守りください。そして、ありがとうございました。
誰も思いつかぬことを誰にも知られぬように行動に移した父
令和7年1月2日に91歳の生涯を閉じた父・鍵山秀三郎は、過去数回救急搬送のお世話になったことがあります。その都度、どこの救急隊であったのかを調べてお礼に行くようにと、私に指示を出していました。
今回もそんな氣持ちで旅立ったことは明らかで、その想いに応えるべく、この度の搬送時に出動し、お世話くださった消防署をお訪ねして、ご挨拶をさせていただきました。
このように、およそ誰も思いつかぬことを、誰にも知られぬように行動に移すことに、父の凄さを感じます。
さらに現在も多くの方から「鍵山相談役のお蔭で自分の人生が変わった」とご連絡いただいております。特に亡くなってから耳にする機会が急増しました。
人間は、元来「自分本位」の生きものではないかと思うのですが、父との出逢いがあまりに衝撃的で、出逢われた方の生き方が「他人本位」にスウィッチしたからだと思われます。それこそ、父の一挙手一投足に感動された結果だと思います。
これから生きていく上で大切なことは、この父の生き方を〝風化させない〟ことだと思っています。とても足元にすら及びませんが、父から学んだことを忠実に実践していく所存です。
最後になりましたが、温かいご弔意をたくさんお寄せいただき、親族を代表して、厚くお礼申し上げます。
鍵山秀三郎氏に初めてお目にかかったのは、私が致知出版社の社長に就任した1992年。以来、長きにわたりご指導を賜ってきました。
ご縁をいただいた翌年の2月には、弊社主催の木鶏本部例会でご講演を賜りました。社員の心を一つにすることに腐心していた当時の私にとり、そのお話は乾いた砂に水が染みこむように心に深く響きました。創業から30年の体験を踏まえ、確固たる人生哲学を披瀝された鍵山氏が、当時まだ還暦前であったことには驚きを禁じ得ません。
鍵山氏は創業期、社員のために職場環境をよくしたいと思い立ち、毎朝六時に出社して会社のトイレ掃除を始めました。社員に一切強要することなく、一人黙々と床に向かい掃除を行う鍵山氏の手の上を、当初は跨いで通る社員もいたともいいますが、やがてその後ろ姿に感化を受けた社員が少しずつ手伝い始め、20年で全社的な活動になり、30年で理想の社風が出来上がったという話には胸を打たれます。
「与えられた枠を使い尽くさなければ、枠は逆に大きくなる」「力耕 吾を欺かず──努力は必ず報われるが、自分の思惑とは異なる形で報われることが多い」。体験を踏まえた鍵山氏の言葉の一つひとつに、毎度目の開かれる思いがしたものです。取引先で埃をかぶっていた商品に光を当てヒットさせた逸話は、人が見捨てたものの中に宝を見出してきた鍵山氏の生き方を雄弁に物語っています。「手元にあるものの価値を生かす」は、鍵山氏の信条でした。
人の心が荒むことを何より厭い、掃除を通じて社風を高めることで会社を大発展させた鍵山氏。共感する人々を通じて、実践の輪は、全国、世界にも広がっていきました。その原点は、高校時代の恩師から繰り返し説かれた「君たちは自分の人身を浄化して、それをもって国家を厳浄せよ」という言葉にあったといいます。鍵山氏の人生は、まさしくこの言葉を体現する人生であったといえるでしょう。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。