2021年6月号
特集
汝の足下を掘れ
そこに泉湧く
対談
  • (左)相澤病院所属スピードスケート選手小平奈緒
  • (右)ALSOK所属レスリング選手伊調 馨

頂点の先に見えたもの

女子個人として前人未到のオリンピック4連覇を成し遂げたレスリング選手の伊調 馨さん。2018年の平昌オリンピック・スピードスケート女子500メートルで、日本女子スケート選手として初の金メダルに輝いた小平奈緒さん。共に世界の頂点に立ったお二人に、人生の歩みを交え、いつまでも変化・成長し続ける要諦、終わりなき道を極めていくことの楽しさを語り合っていただいた。

この記事は約28分でお読みいただけます

求める心が導いた出逢い

小平 伊調さんと初めてお目にかかったのは、2011年のことでしたね。伊調さんが私の地元の長野県でトレーニングをされることを知り、コーチを通じてお願いをして、1日だけでしたけど参加させていただいた。
その時、他にも多くの選手がいる中で、伊調さんは1人だけどこか雰囲気が違うというか、おごらず実直に自分の目指す方向に向かっているんだなっていう印象を強く受けて、自分もそういう選手になれたらいいなと思いました。
当時、伊調さんはアテネオリンピックと北京オリンピックの2大会連続で金メダルを獲得されていましたが、私はまだ実力不足で世界のトップというレベルにはいなかった。ですから、伊調さんの姿から金メダリストがまとっている雰囲気、メンタリティーを初めて肌で感じさせていただいたんです。

伊調 小平さんが1人で私たちの練習に来られた時は本当にびっくりしました。他の競技の練習に1人で参加するだけでもなかなかできることではないのに、練習にも積極的に取り組んで何かを学び取ろうとされていた。その姿から、ひたむきさ、自分の追求したいものがあるんだなってことが伝わってきました。

小平 ただ、直接お話しする機会はあまりありませんでしたね。

伊調 人見知りですから、お互いに(笑)。

小平 確かに人見知りです(笑)。

伊調 その後は、表彰式などで顔を合わせるようになって……。

小平 私も少しずつ世界の舞台で結果が出せるようになり、表彰式で伊調さんと再びお会いできた時には本当に嬉しくて。やっと近づけたんだなって。ただ、やっぱり表彰式でも、お話しする機会はあまりありませんでしたね(笑)。

ALSOK所属レスリング選手

伊調 馨

いちょう・かおり

昭和59年青森県生まれ。兄と姉の影響で幼少期よりレスリングを始める。愛知県の中京女子大学附属高校(現・至学館高等学校)、中京女子大学(現・至学館大学)を経て、ALSOKに所属。世界選手権10度優勝。平成16年アテネ、20年北京、24年ロンドン、28年リオデジャネイロオリンピックで女子個人としては前人未到の4大会連続金メダルを獲得。同年国民栄誉賞受賞。

すごい努力をさらっとやってしまう

伊調 いま小平さんはちょうどシーズンを終えたところですよね。最近特に意識して取り組んでいることはありますか。

小平 そうですね。2018年の平昌ピョンチャンオリンピックで金メダルにまで辿たどり着くことができて、次はその先を目指していこうとなった時に、いまの自分ではまだまだだという気持ちがありました。でも世界記録を目指す、未知のスピードに挑戦していく中で、体に少し無理がかかってしまって……。その蓄積が出てきたこともあり、昨年12月、シーズン只中ただなかだったんですけど、改めてしっかりと自分の弱点や違和感と向き合い、改善する取り組みを行いました。

伊調 ああ、シーズン中に。

小平 とはいえ、改善しながらですから、よい結果は出なかったんですけど、敗戦を重ねる中で負けて悔しいという気持ちよりも、負けをいさぎよく受け入れている自分がいることに気づいたんですね。
負けを潔く受け入れることができれば、やるべきことをやってきた自分自身を肯定することにもつながりますし、負けをさらに強くなるためのステップにしていくこともできる。なので、いまは結果というより、そこに至る過程を自分の中ですごく大切にしながら、目の前の課題に向き合っていきたいなって思っているところです。
伊調さんはいかがですか。現役を続けながら、最近は後進の指導にも力を入れていると伺っています。

伊調 後進の指導……確かに学生とスパーリングをしていつもやっつけています(笑)。ただ、やっぱり自分のことではないので、後進を育てるのは難しいですね。スパーリングをしながら、「こうすれば少しずつ前に進めるんだよ」「ちょっと環境を変えてみようか」などと、いろんなことを口うるさく言っているんですけど、なかなか伝わらない。だから、どんな指導法がその子に合っているのか、毎日コミュニケーションを重ねて、一人ひとりを見ていくことが1番の近道なのかなって思います。私自身選手として日々の積み重ねを大事にしてきましたし、それは指導者の立場でも同じことなのかなと。

小平 選手と指導者を両立できるというのはすごいことですね。

伊調 自分の中では、選手と指導者の境目がどこにあるのか難しいところがあります。もちろん体が動く限り現役でありたいという思いもありますし、後進に教えながら自分の技のクオリティが上がってくることもある。なので、指導者の部分を出したり、選手になったり、2面性でやっています。

小平 でも、伊調さんが求めるものをつかみ取るのは、なかなか難しいことだと思います。やっぱり伊調さんの教えを感じ、掴み取れるかどうかはその選手次第で、本人に自分はこうなりたい、成長したいという意思がないと難しい。

伊調 私もそう感じますね。

小平 私が伊調さんと接して学んだのは、ものすごい努力をさらっと当たり前のようにやってしまうところです。以前、「食事管理に気をつけていますか?」とお聞きした時も、「やってるよ」ってさらっとおっしゃった。普通なら努力を人に見せつけたり、逆に謙遜けんそんして「そんなにやってないよ」って答える人が多いかと思うのですが、伊調さんはそうじゃない。
その潔さというか、自分の信念や目標に向かってさらっとした努力を続けられるからこそ、結果を残されているんだと思います。

相澤病院所属スピードスケート選手

小平奈緒

こだいら・なお

昭和61年長野県生まれ。幼少期よりスケートを始める。中学2年で500メートル中学記録を更新、高校時代のインターハイでは500メートル、1,000メートルの2冠達成。平成17年信州大学教育学部に進学。卒業後の21年相澤病院(長野県松本市)に就職。22年バンクーバーオリンピックでは団体パシュートで銀メダル、30年平昌オリンピックでは1,000メートルで銀メダル、500メートルで金メダルを獲得。