2021年6月号
特集
汝の足下を掘れ
そこに泉湧く
対談
  • (左)日本を美しくする会、東京掃除に学ぶ会所属阿部 豊
  • (右)新宮運送社長木南一志
凡事徹底の人

鍵山秀三郎さんに学んだこと

日常生活の基盤となる掃除を徹底して掘り下げることによって、人を変え、会社を変え、学校を変えることができる。それを自らの実践によって証明してみせたのが、イエローハット創業者で日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎さん、87歳である。その鍵山さんに63歳で出会って以来、側近として今日まで20年間にわたって鍵山さんの活動を支えている阿部 豊氏。事業がうまくいかなかった時に鍵山さんと出会い、「掃除をすれば会社がよくなる」という鍵山哲学の薫陶を受け、自ら「掃除に学ぶ会」を立ち上げてその教えを日々実践している木南一志氏。鍵山さんの凡事徹底を間近で見てきたお二人に、その「足下を掘る」生き方についてお話しいただいた。

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鍵山さんとの出会い

木南 本日は阿部さんと鍵山さんについてお話しできるというので、早めに出てきたんです。そうしたら対談場所のホテルの前でばったりお会いして(笑)。

阿部 これはまあ鍵山さんの教えですよね。

木南 そうですね。鍵山さんは約束の1時間以上前にその場所の近くまで行って待っていますから。でも、「待ちましたよ」とは言わず、時間になると知らん顔で現れる。

阿部 とにかく控えめで、出しゃばらないですね。

木南 ふっと気がついたら、えっそんなところに居たんですかみたいな感じなんですね。

阿部 そうそう。ところで、木南さんが鍵山さんに初めて会ったのはいつ頃ですか?

木南 平成11年の夏に、北九州で私の友人が主催した鍵山さんの講演に行ったのが最初です。その後すぐにハガキが届いたので驚きました。講演会には800人ぐらい参加していましたし、名刺交換も100人ぐらい並んでいたのに、2~3日後にハガキが届いたんです。

阿部 鍵山さんは講演先で大勢にお会いしますでしょう。すると私のところに電話が掛かってきて、「この人にこの本を送ってください」というように指示されるわけです。鍵山さんから指示があったら何をいても即実行。これは私がいまなお一貫して心掛けていることでしてね。すぐに手配しますから、翌日にはその方のところに届く。それはびっくりされますよ。

木南 大きな努力で小さな成果を懸命につくり上げる。鍵山さんの人生そのものという感じがします。そこを阿部さんは陰で支えてこられたから、完全におもてなしの人になっておられますよね。
阿部さんが鍵山さんと初めてお会いになったのはいつ頃ですか。

阿部 平成13年11日1日です。銀行員時代に親しくしていただいていた先輩の二宮洋さんがイエローハットの2代目社長になっておられて、来ないかと誘われていたんです。それで前の会社を63歳で定年退職した10月30日の翌日に入社し、その日に二宮社長に連れられて鍵山さんのお部屋に行ってご挨拶をしました。非常におだやかなんですけど、眼光が鋭いなというのが第一印象でした。

木南 私の第二印象は、「いやぁ、すごい」だけですね(笑)。講演の翌日に中学校でトイレ掃除をした際、皆が掃除道具を片づけた後、スポンジを1つずつチェックされていました。ああ、こういうところを大事にされるんだなと本当にびっくりしました。

阿部 私はイエローハットに入社して鍵山さんのおそばで仕えることになったわけですが、すぐに本社裏の公衆トイレでトイレ掃除をご指導いただきました。それから3か月経った1月の終わり頃にお呼びが掛かりまして、「トイレ掃除はもういいから、一緒に外掃除をしましょう」とマンツーマンで外掃除をご指導いただいたんです。
私の他にも銀行出身者が7名もおられたのですが、その方たちは掃除をしたことがなかったんですね。鍵山さんは本気で掃除をやる気があるのかなと、ご覧になっていたんだと思います。
私は軍隊上がりの父親にスパルタ教育でしごかれましたから、掃除なんてどうってことなかったんです。掃除しないと学校に行けないんです。朝、私が起きないと、布団をめくって水をぶっ掛けられましたからね(笑)。それで掃除の習慣が自然と身につきました。
いま時、そんなことをやる親はいないでしょうけどね。

木南 でも、汚れた便器に向き合わされると、その厳しさは大事だなと思いますよ。自分は掃除をするつもりできているのに、実際に汚れた便器を前にすると、できれば他の人が担当してくれないかなという気持ちが出てきますから。「お前、やるか」と汚れた便器が私に問いかけてくるんです。「偉そうに言っている割に、大したことねぇな」って(笑)。
これは仕事も一緒です。大きな問題が起きると逃げたいんです。でも、向き合っていかざるを得ない。そういう部分で掃除は私を鍛えてくれているように思います。

新宮運送社長

木南一志

きみなみ・かずし

昭和34年兵庫県生まれ。流通経済大学卒業後、大手運送会社に勤務。59年父親が創業した新宮運送に入社。平成元年、兵庫物流社長に就任。この頃、鍵山秀三郎氏の教えに出合う。平成5年、4,000日間の無事故無違反を推進する『S-DEC運動』を開始。「風を起こさない運転」を推進し、21年「エコドライブコンテスト」にて環境大臣賞受賞。24年、環境エコドライブ活動コンクール最優秀賞。近年は企業参加型のリサイクルシステム事業を確立するなど、運送業を中心に多彩な事業展開を行っている。

降りていく方向へ努力する

木南 私は外から見ているだけですけれども、鍵山さんにとって阿部さんはすごく安心できる存在なんだと思います。実際、鍵山さんは阿部さんのことを「心の親戚、というより兄弟に等しい」とおっしゃっていましたから。
厳しい鍵山さんを何があっても支える存在というのは、鍵山さんにしてみればこれほどありがたい人はいないでしょう。取るに足らないことでも2人で共有できると安心感が生まれるんですね。
菅刈すげかり公園と目黒川の掃除に私も加わらせていただくことがありましたけれども、お互いに段取りが分かっているから、それぞれ別の場所で掃除をしていても終わるのは一緒。この関係はなかなかすごいなと思いました。

阿部 全然自覚がない(笑)。とにかく誠心誠意、努めるのが本分だと思っていましたから。まあ鍵山さんにはまったんでしょうね。
鍵山さんの傍にいて学んだことはたくさんあります。とにかく几帳面きちょうめんだし、やることは素早いし、誰にでも平等に接しますし。
特に障碍しょうがいのある方を非常に大切にしていました。イエローハットの物流センターには障碍者の方やパートの方が大勢いらっしゃいますけれども、鍵山さんがお手伝いに行くと、障碍者の方が喜んで抱きつくんですよ。傍で見ていても嬉しいことばかりでした。パートの方とも年1回、必ず慰労会をやっておられました。いまでも食事会をされていますから。

木南 慰労会は鍵山さんが企画してお世話をされると聞きました。そんな創業者はいないでしょう。鍵山さんは本当に弱い立場の人を大切にされますよね。それは自分が降りていく方向へ努力されているからだと思うんです。
鍵山さんが脳梗塞のうこうそくで倒れた時、大阪で大きな講演会の予定があり、ピンチヒッターの講師をしてほしいと阿部さんから電話が掛かってきたことがありましたよね。

阿部 快くお引き受けいただきました(笑)。倒れたのが10月で、講演会が1月でしたか。

木南 電話をいただいたのが11月の初めぐらいだったと思います。鍵山さんが入院された後の段取りを阿部さんが全部やっておられて、もうどうにもならんというようなお話でしたね。鍵山さんの代役というのは、正直荷が重いと思いました。しかし、人から頼まれたら返事は「はい」か「イエス」しかないですよ、と鍵山さんから教えられていたので、阿部さんが困っているのは分かっているし、私が断ったら次に依頼された人が悩まれると思ったから、「はいはい」と軽く答えたんです(笑)。

阿部 あの時は本当に助かりました(笑)。

日本を美しくする会、東京掃除に学ぶ会所属

阿部 豊

あべ・ゆたか

昭和13年愛知県生まれ。県立新城高校卒業後、東海銀行に就職。53歳で退職後、住宅ローン保証会社に就職。63歳で定年退職した後、イエローハットに入社。平成17年「日本を美しくする会」事務局担当、平成20年鍵山秀三郎相談役担当に就任。令和元年10月に鍵山秀三郎事務所を退職し、現在、NPО法人「子どものいのちを守る会」所属。