2017年3月号
特集
艱難汝を玉にす
対談
  • 佐川印刷会長木下宗昭
  • アサヒビール社友福地茂雄

艱難の中に
飛躍の芽あり

自宅の一室を事務所代わりに、自転車一台で立ち上げた印刷業を、年商1,000億円を超える企業グループに育て上げた木下宗昭氏。事業を巡る様々な艱難を、飛躍の芽に転じてきた原動力は何か。その足跡と経営観、人生観について、かねて昵懇の間柄である福地茂雄氏に聞いていただいた。

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お客様満足への想いに共感して

福地 木下さんがお始めになったこちらの「京都清宗根付館」は、いつお伺いしても落ち着いた心持ちになりますね。

木下 ありがとうございます。もとは文政3(1820)年に建てられた武家屋敷で、京都市の文化財にも登録されておりましてね。ここなら根付が盛んにつくられていた時代の空気を感じていただけると考えて、展示場所に選ばせていただいたんです。部屋の間取りなど当時の状態は維持した上で、展示ケースなんかは全部私がデザインして形にしてもらったんです。

福地 根付というのは、男性が着物姿で巾着や印籠を持ち運ぶ時に、落とさないように紐の先に取り付けたアクセサリーだそうですね。これまであまり馴染みがありませんでしたけれども、木下さんにご紹介いただいて夫婦ともども根付にはまってしまいました(笑)。

木下 根付というのは日本にしかない独特の文化だと思うんです。高円宮妃久子殿下が根付文化の維持発展に非常に熱心でいらして、優れた根付師を表彰なさっていますけれども、私もこの魅力にはまりましてね。かれこれ40、50年前から個人的に収集していたものが3,000点以上になったものですから、大切な根付文化を支えたいと考えて、平成19年にこの根付館を立ち上げて公開させていただいているんです。

福地 懇意にしていただいている方から「ぜひ一度ご覧になるといいですよ」と勧められてお伺いしたのが、木下さんとのご縁の始まりですが、あれはちょうど2年前の、御社が創業45周年の節目を迎えられた年でしたね。

木下 福地さんにその時お贈りいただいたご著書を拝読すると、お客様をいかに大切にするかということをとても強調なさっていましたね。お仕事のレベルこそ全然違いますけれども、私が常々考えていることとすごく共通点がございまして大変勇気づけられました。それで無理を承知で45周年の記念講演をお願いしたところ、快くお引き受けいただきまして、本当に感謝しております。

福地 こちらこそ、素晴らしいご縁をいただきました。木下さんのお話の端々から窺えるお客様満足への想いは、私どもアサヒビールの基本理念とも重なりますし、印刷を科学するというお考えにも、環境問題への真剣な取り組みにも、非常に共感を覚えます。何よりも、木下さんのお人柄につくづく惚れ込んでお付き合いさせていただいております。

木下 恐縮です(笑)。

佐川印刷会長

木下宗昭

きのした・むねあき

昭和18年京都府生まれ。高校卒業後に山一證券、印刷会社のロクマを経て、45年キノシタ印刷を創業。社長に就任。51年佐川印刷に社名変更。カラー印刷物から各種帳票に至るまで、商業印刷物全般を手掛ける。平成18年より会長。

遅れない、休まない、怠けないをモットーに

福地 いま佐川印刷さんは、グループ全体でどのくらいの規模になりますか。

木下 年商1,041億円で、正社員が約2,000人です。グループ会社には、印刷用紙の調達や開発を行うジャパンニューペーパーや、時刻表で知られるジェイティービー印刷など5社を抱えていますが、最近は、ソフト開発を手掛けるエスピーメディアテックという会社がかなり伸びていますね。

福地 日本有数の印刷会社といえますけれども、最初は木下さんが自転車1台で立ち上げられたそうですね。

木下 はい。父親をちょっと早くに亡くしましてね。中学、高校時代に毎朝新聞配達と牛乳配達を3年ずつやったのですが、一所懸命働けば、お客様が喜んでくださると実感できたことが、自分で事業を手掛ける原点になったと思います。

福地 新聞配達と牛乳配達をなさったのですか。

木下 母親には「そんなことをしたらダメだ」と反対されましたけど、少しでも家計を支えたいと思いまして。毎朝4時過ぎに起きて販売店へ行くんですけど、自分で「遅れない、休まない、怠けない」というモットーを掲げて、6年間1日も休みませんでした。

福地 まだお若いうちからご自分でそういう心構えを打ち立てるというのは、なかなかできないことですよ。

木下 いや、そんな大それたことをしたという意識はないんです。ただ、配達エリアの中に京都の中央市場がありまして、水産会社がたくさん並んでいるんですが、薄暗くて、静まり返っているところでカターンと音が響いたりするものですから、もう怖くて怖くて(笑)。
それ以外はとても楽しかったですね。配達先のお客様が、ありがとうと喜んでくださるのがすごく励みになっていたんです。13、14軒くらいからお礼のお手紙をいただいたんですけれども、その時の感動がいまだに働く力の源になっているように思います。

アサヒビール社友

福地茂雄

ふくち・しげお

昭和9年福岡県生まれ。32年長崎大学経済学部卒業後、アサヒビール入社。京都支店長、営業部長、取締役大阪支店長、常務、専務、副社長を経て平成11年社長に就任。14年会長。18年相談役。20年第19代日本放送協会会長(23年まで)。