2024年8月号
特集
さらに前進
インタビュー①
  • DDグループ社長CEO松村厚久

「止まったら死ぬぞ!」
終わることのない
熱狂宣言

レストランやカフェ、居酒屋をはじめ、多種多様な飲食店を次々立ち上げ、2010年には業界初の「100店舗100業態」を達成した「DDグループ」。同社を徒手空拳で創業し、今日の繁栄を築いてきたのが松村厚久氏である。「飲食業界の革命児」との異名を取る氏の艱難辛苦の歩みから、道なき道を拓いていく要諦、逆境の乗り越え方を探る。

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コロナ禍の逆境を乗り越えこれからは快進撃の始まり

──松村さんは従来のチェーン展開とは異なり、多種多様な飲食店を手掛けてこられたそうですね。

1995年に創業した私たち「DDグループ」は、主に3つの会社で事業を展開しています。
一つ目の「ダイヤモンドダイニング」は飲食業界初の「100店舗100業態」を成し遂げた、当社の根幹と言えます。気軽に楽しめる大衆居酒屋「わらやき屋」から完全紹介制の「焼鶏しの田」まで、客層やメニュー、サービスも一つひとつ異なる飲食店とアミューズメント店を数多く手掛け、全国に約300店舗を構えています。
二つ目の「エスエルディー」は2019年に連結子会社となったカフェ運営に強みを持つ会社です。「ポケモンカフェ」やディズニーとのコラボ店など、アニメや映画を活用した店舗プロデュース・運営受託を行ってきました。
そしてM&Aで参画した三つ目の「湘南レーベル」は、神奈川県を中心にホテルやシェアハウスの運営、不動産事業に注力しています。以上のようにコロナという転換期を経て、外食企業から脱皮し、「創造的であり革新的であるブランドを創造するブランドカンパニー」を目指しているんです。

──業界の枠を超えて展開されている。やはり、新型コロナウイルスの影響は大きかったですか。

それはもう、大打撃という他ありませんでした。これまでにも当社は私の闘病や東日本大震災など、幾多の逆境に直面してきましたが、今回は世界が一変したようなものですからね……。外食は矢面に立ち、休業や時短を余儀なくされた結果、2021年は90億円の経常損失に陥りました。
ただ、社員や経営者仲間から情報や提案を多くいただけたことは救いでした。動き続けていれば何かあるんじゃないか、いつか突破口を見出せる。その期待感をかてに、チャレンジを続けてきたんです。

──どんな手を打たれたのですか。

まず大きな原動力になったのは、4年ぶりに開催した全社員総会「DDグループコンベンション2023」です。総勢1,700人が集った本イベントでは中期経営計画や商号変更の発表を通して、社員の心を鼓舞し、全社の士気が高まる絶好の機会になりました。
続いてグループ経営力の強化とLTV(顧客生涯価値)の最大化を図り、新規出店や居酒屋をオムライス店にするなど、グループの垣根を超えた業態変更を実施。他にも出店エリアの拡充、アニメ・映画とのコラボ数増加といった一つひとつを遂行することで、根強いファンの獲得につながりました。
とはいえ、コロナがもたらした停滞感は簡単にぬぐえませんから、「熱狂的な歓喜を呼び起こそう!」と事あるごとにメッセージを伝え、全社に発破はっぱを掛けました。そうした地道な積み重ねが、厳しい現状も乗り越えようとする勢いをもたらしたのではないでしょうか。
感染症法上の位置づけが「5類」に移行された追い風を受け、おかげさまで2023年の売上高は370億円、各段階利益は過去最高を更新することができました。しかしこれは快進撃の始まりにすぎません。お客様の喜びのために何ができるのか、常識にとらわれず前進し続けたいと思います。

DDグループ社長CEO

松村厚久

まつむら・あつひさ

昭和42年生まれ、高知県出身。64年日本大学理工学部卒業後、日拓エンタープライズ入社。日焼けサロン経営を経て、平成13年銀座に「VAMPIRE CAFE」を開業。22年「100店舗100業態」を達成。27年東証一部(現・プライム)上場。同年に発売された小松成美氏のノンフィクション『熱狂宣言』(幻冬社)の中で、若年性パーキンソン病であることを公表。現在も病と向き合いながら、300店以上の飲食店を運営すると共に、アミューズメント事業やホテル・不動産事業を手掛ける。