2023年11月号
特集
幸福の条件
インタビュー②
  • 早稲田大学名誉教授池田雅之

がんが教えてくれた
私の幸福の条件

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)や日本神話の研究、NPO法人「鎌倉てらこや」を通じた子供たちの教育事業に長年取り組んできた池田雅之氏を、突然の病が襲ったのは2019年春のことだった。以後、洋の東西を問わず様々な治療法を試みていく中で、人生観・生命観が大きく変わっていったという池田氏に、真の幸福を得るための条件、これからの時代に求められる日本人の生き方についてお話しいただいた。

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がんが私に教えてくれたこと

——池田さんは、『日本の面影』『怪談』などの著書でよく知られる小泉八雲こいずみやくもや日本神話の研究に長年取り組んでこられましたが、数年前に大病を経験され、人生観が大きく変わったと伺っています。

私は2017年に早稲田大学を70歳で退職したのですが、その頃から疲れやすいというか、体調があまりよくなかったんですね。それで2年後、健康診断で胃カメラを飲んだところ、思いがけず胃がんが発見されたんです。

——がんが見つかった。その宣告をどう受け止められましたか。

それまで大きな病気はしたことがなかったので、まあ、ショックではありました。しかし、がんはいまや2人に1人がかかる国民病ですからね。目の前が真っ暗になるとか、怖いとかいう感情はありませんでした。ただ、手術後の3年間は家族以外にはがんになったことは一切公表せず、また、幸いコロナでもあったので外出もせず、治療に専念できました。

——どんな治療を受けたのですか。

都内の大病院で胃を内視鏡で切除する手術を受けました。ステージ2ということで全摘まではいきませんでしたが、胃の3分の2を切除しました。どうやら同時に周りの迷走神経も切られてしまったようで、栄養が体に十分吸収されない体になってしまいました。
手術前に66キロあった体重はみるみる落ちていき、いまでは50キロになってしまいました。

——短期間で体重がそんなに……。

それでセカンドオピニオンの先生が必要だということで、娘の勧めもあり、鎌倉の自宅に比較的近い川崎の「ゆいクリニック」の由井郁子先生にお世話になることになりました。由井先生は西洋医学だけでなく、漢方や栄養療法など様々な代替療法を組み合わせた治療を行っている女医さんです。私は由井先生との出逢いで、それまでの医療や人間の生命に対する考え方が徐々に変わったんです。

池田氏の人生観、生命観を変えてくれた主治医の由井郁子先生(左)と

——具体的にはどのように変わっていきましたか。

例えば、胃がんなら胃そのものに問題があると普通は考えますが、由井先生は原因はそれだけじゃないと言うんですね。これまでの私の生活習慣やストレスの蓄積が胃に負担を掛けてがんになった。つまり日々の生活態度、"心の問題"が大きいというのです。
だから、診察でも生活習慣や生い立ちなどを詳しく見ていく必要があるというわけですね。

——心の問題が病気に関わっている。とても興味深いお話です。

実際、生活習慣を振り返ると、大学に勤めている時には、ゼミの学生と一緒にしょっちゅうみに行っていました。ストレスに関しても、改めて生い立ちを振り返ってみると、思い当たることがたくさん出てきました。編集者で物書きだった父親は、外面そとづらはとてもよいのですが、家庭ではものすごいワンマン、身勝手で、気に入らないことがあれば問答無用で手が飛んでくるような人でした。そのような厳しい家庭で心の葛藤を抱えて育ったために、私は自分の主張を他人に自信を持って主張できない、自己肯定感の低い人間になっていたことが分かったんです。それで胃がんになったお陰で、自分を見直すようになりました。
心理学療法では「インナーチャイルド(内なる子供)」といいますけれども、私の場合には、子供時代に受けた心の傷が、大人になってからも潜在的な抑圧としてずっと尾を引いていたわけです。S・シュタールの『本当の自分がわかる心理学』によると、人間の心には二面性があり、二人の子供、明るい子と暗い子が住んでいる。「日向ひなた子」だけ見ていてはだめで、「影子」も同時に見てやしていかなければ、人間は本当の健康、幸福をつかむことができないことをシュタールからも教えられました。

早稲田大学名誉教授

池田雅之

いけだ・まさゆき

昭和21年三重県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒業。明治大学大学院博士課程修了。専門は比較文学、比較文化論。小泉八雲の『日本の面影』『日本の怪談』、T・S・エリオットの『キャッツ』など数多くの訳書を手掛ける翻訳家。文部科学大臣奨励賞、正力松太郎賞等を受賞。一般財団法人令和文化蔵理事。著書に『小泉八雲日本美と霊性の発見者』(KADOKAWA)、編著に『お伊勢参りと熊野詣』『熊野から読み解く記紀神話』など多数。