2020年9月号
特集
人間を磨く
インタビュー
  • 狂言師野村 萬

芸道は無窮なり

この道一筋に生きて

「行き着くところは役者の人間性を磨く他ありません」。2020年卒寿を迎えた狂言師・野村 萬氏のこの言葉は重い。4歳で初舞台を踏み、80年以上、狂言一筋に生きてきた野村氏は、どのような思いでそれぞれの舞台を務めてきたのだろうか。いまなお新たな狂言のあり方を模索し、挑戦を続ける野村氏に聞いた(写真『見物左衛門 深草祭』2018年国立能楽堂 開場35周年記念/写真提供:国立能楽堂)。

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多くの試練を越えてきた古典芸能

——野村さんは1月に卒寿そつじゅを迎えられました。初舞台が4歳とお聞きしていますから、80年以上舞台に立ち続けていらっしゃるわけですね。

90歳の誕生日を迎えて、本当ならばしみじみとした感慨がいてきそうなものですが、残念ながら例の新型コロナウイルスでなかなかそういう心境を申し上げる状況ではありません。
私の卒寿を記念して1月にひらかれた新春特別公演では、私は太郎冠者たろうかじゃ(大名や主に対する従者として登場する人物)が主役の、洒落しゃれた表現を楽しめる『柑子こうじ』を演じ、三人の孫たちもまた、狂言師としての関門となる大事な演目をそれぞれに演じてくれました。
私たちの家(和泉いずみ流の野村万蔵家/よろず狂言)には「猿に始まってきつねに終わる」という言葉があるんです。猿というのは『靭猿うつぼざる』という狂言の子猿の役のことで、狂言の家に生まれた人間は必ずこの子猿で初舞台を踏む。私も4歳で猿を演じました。
その後、二つの関門を経て『釣狐つりぎつね』を演じることによってようやく一人前と見做みなされるわけですが、新春特別公演では孫の万之丞まんのじょう(長男)がその狐を無事に演じ、拳之介けんのすけ(二男)は能『おきな』の中で狂言師が演じる『三番叟さんばそう』、眞之介しんのすけ(三男)は語りの大曲たいきょく奈須与市語なすのよいちかたり』という初めての節目となる曲に挑みました。

——何よりの卒寿のお祝いでしたね。

次の時代を担う者たちがちゃんと育ってくれているのは嬉しいことですね。
けれども、大きな会を終えて、さあこれから2月末の国立能楽堂特別公演に臨もうかという時に、コロナでしょう。予定されていた公演は次々と中止になって、私も娘の家で自粛を余儀なくされております。
しかし、考えてみれば、芸能というものは長い歴史の中でいくつもの苦難を乗り越え、そこで何か新しい発見をしながら今日まで伝承されてきたんです。
私の祖父(五世万造/隠居名萬斎まんさい)は明治維新という厳しい変革の時代の中で今日まで続くエネルギーの原点を備えてくれました。私の先祖は江戸時代まで加賀の前田家に庇護ひごされながら狂言をやっておりました。ところが、明治維新以降は生活が一変し、祖父は新天地を求めて東京に出てきました。いち早く東京に出ておりました分家の野村与作を頼ってのことでしたが、残念なことに粗末な扱いを受け、他の職業に就きながら狂言を続けたんですね。
父の六世万蔵もまた、関東大震災や第二次世界大戦という時代を必死で生き抜きながら、私たちに芸を伝えてくれました。
この度の新型コロナウイルスは、とても大変な出来事であることは確かですが、そのような先人の苦労を思えば乗り越えられないはずがありません。それをどうやって乗り切って次に花を咲かせるか。そのことがとても大切だと思っています。

——試練をバネに芸を大きく飛躍させようという決意が伝わってきます。

いまは我慢しながら根を強くするいい機会でしょうね。と共に、やはりどんな苦境にあっても芸は磨き続けなくちゃいけない。祖父は77歳、父は80歳で亡くなりました。私は年齢だけは大幅に超えましたが、さぁ舞台はというと、その答えは自分では分かりません。祖父や父を超える舞台ができているかどうかは、舞台を見てくださっているお客様が判断されることです。
狂言を演ずるには、能舞台という空間を支配できるだけの声と体がなくちゃいけないんです。息の仕方一つまでとても大事になってくる。コロナの自粛期間中は家にいて声も出せない、体も動かせない状態が続いて、体力的にも少しダウンしてしまいましたが、これを早く取り戻して夏以降の公演に備えなくちゃなりません。
いまは昔と違って100歳が長生きの一つの目安になっていますから、健康な体を与えてくれた両親に感謝しながら、もうひと踏ん張りしなくちゃいけないんじゃないかと思っているところです。

狂言師

野村 萬

のむら・まん

昭和5年東京生まれ。25年四世野村万之丞を襲名。狂言だけでなく現代演劇などにも活動を博げ、『おしん』や『翔ぶが如く』などテレビドラマにも出演。平成5年七世野村万蔵を襲名、9年人間国宝に認定される。12年初世野村萬を名乗る。令和元年文化勲章受章。現在では狂言師としての活動や後進育成の傍ら、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長、日本藝術院会員、文化芸術推進フォーラム議長など多くの公職を務める。