2020年9月号
特集
人間を磨く
対談
  • (右)ソウルオリンピック 女子柔道銅メダリスト北田典子
  • (左)女子プロ野球選手三浦伊織

こうして自己を磨いてきた

女子柔道の創成期に活躍し、ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した北田典子さん。11年前に発足した女子プロ野球界で、初の通算500本安打を達成した三浦伊織さん。ジャンルこそ違えど、共にスポーツを通じて心身を磨き高めてきたお二人に、これまでの歩みを振り返りながら、現在の心境を語り合っていただいた。

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女子柔道と女子プロ野球共に牽引役の二人

北田 初めまして。三浦さんとはスポーツの種類も年代も違うため、こうして対談の機会をいただけてとても嬉しいです。

三浦 きょうは勉強させていただければと思ってやってまいりました。どうぞよろしくお願いします。

北田 まずは、私がどんな人間か簡単に自己紹介をさせていただきますと、1988年、22歳の時にソウルオリンピックの女子柔道で銅メダルを獲得しました。いまでこそ、柔道といえば男子と同じように女子も認知されていますが、私が現役の頃はまだ「女性がやるスポーツではない」という認識が根強く、ソウルオリンピックの時に初めて女子柔道が公開競技として採用されたんです。
オリンピック後は三井住友海上火災保険に入社してコーチ兼選手としてたずさわり、24歳の時に現役を引退しました。その後コーチ業に専念し、当時まだ無名だった恵本えもと裕子を発掘し、1996年のアトランタオリンピックで日本女子柔道史上初となる金メダリストに育てたりしてきました。
それから実家が経営していた柔道の私塾・講道学舎で指導を19年間行い、2016年からは日本大学のスポーツ科学部教授と女子柔道部監督を務めています。

恵本選手を日本女子柔道史上初となる金メダル獲得へと導いた北田さん(左)

三浦 私は1992年生まれの28歳で、11年前に発足した女子プロ野球の1期目の選手として、いまも第一線で試合に出させていただいています。
女子プロ野球はまだまだ知名度が低いので、選手一人ひとりが広報担当者といいますか、普及・発展のための活動をしているのが特徴です。例えば、私は「京都フローラ」というチームに所属しているので、京都市内に試合のポスターをらせてもらえるよう直談判じかだんぱんしたり、スポンサーになっていただけるよう営業をしています。
「選手自らが告知に来てくれるなら」ということで、少しずつ協力していただけるところも増え、近年は1試合に1000人近い観客が集まるようになりました。
その他、女性の野球人口を増やすためのPR活動もしています。女子ソフトボールのプレー人口は10万人程度いるのに対して、野球はわずか2,000~3,000人。女子プロ野球のチーム数も京都フローラの他に愛知ディオーネ、埼玉アストライアの2チームしかないので、今後さらに大きくしていきたいと考えています。私はバッティングが得意なので、打者として成績を残すことで女子プロ野球の知名度を高められればとも思っています。

北田〝女イチロー〟とも呼ばれているそうですね。

三浦 私のレベルはイチローさんの足元にも及びませんが、世間の皆さんにそう評価していただけ、注目を浴びることは、女子プロ野球の世界を広めることにつながるので嬉しいですね。

ソウルオリンピック 女子柔道銅メダリスト

北田典子

きただ・のりこ

昭和41年東京都生まれ。柔道私塾「講道学舎」を立ち上げた横地治男の孫。中学1年生の時から柔道を始め、62年日本体育大学3年生の時に世界選手権で3位入賞。翌年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得。24歳で現役引退後は、コーチとして当時無名選手であった恵本裕子をスカウトし、見事日本女子柔道史上初の金メダルに導く。19年間講道学舎で指導した後、平成28年からは日本大学教授を務める。

柔道を通じて人間教育を

三浦 先ほどご実家は柔道の私塾を運営されていたとおっしゃっていましたが、幼い頃から柔道をしていらしたのですか?

北田 祖父・横地治男はるおが私財を投じて柔道の英才教育の場として創設したのが講道学舎です。実家と隣接していたため柔道に親しみはありましたが、当時は「女の子が柔道なんて……」という雰囲気もあり、幼い頃はバレエやピアノといった女の子らしい習い事をしていたんです(笑)。
中学1年生の頃に陸上部に入ってからは、100メートルの選手として練習に励んでいたんですが、その年の教育実習生に「おまえの体は100メートル向きではない。砲丸投げをやれ」と言われ、乙女心が傷つきまして(笑)。自宅に戻って陸上部をやめたいと相談したところ、ちょうど女子柔道の第1回世界大会が行われていたこともあり、「それなら柔道をやってみないか」と。それで中学1年の終わり頃から、講道学舎で男の子たちに交じって柔道を始めたんです。

三浦 講道学舎は、これまでオリンピック選手を何人も輩出している柔道の名門塾だと伺いました。

北田 男子の金メダリストでいうと、古賀稔彦としひこや吉田秀彦、瀧本たきもと誠、大野将平が講道学舎出身です。
講道学舎は「勝つ」ことを主軸に置いた私塾だと思われがちですが、理念の中には勝つとか、強くなるということは一切書かれていません。最終目的は人間教育だと明記しています。戦後日本の荒廃した精神を立て直すために、祖父が永野重雄氏や桜田武氏ら経済界の重鎮じゅうちん方、作家の井上やすし氏と発案し設立する運びとなったそうです。
運営に当たっては年間何億円という資金が必要でしたが、スポンサーを集めたり、寄付をつのったりしていては長期の継続は難しい。そう判断した祖父が、自分が経営していた会社に仕事を斡旋あっせんしてもらう代わりに、そこで得た利益で講道学舎の運営を行っていました。結局、社会のためにとの考えに基づき活動をしているため、会社の発展と青少年の育成、両方を追い求めることができたんです。この祖父の考え方は、私の中で大きな影響を与えてくれましたね。

三浦 素敵なお祖父じい様ですね。

北田 祖父から直接柔道の技を教わることはなかったものの、柔道に向き合う姿勢は厳しく指導を受けました。特に心に残っているのは、「世の中の役に立つ人間になりなさい」と。これが講道学舎の教えの柱でもありました。
一方で、講道学舎は「日本一厳しい練習」でも有名でした。男子中高生45~60名が寝食を共にしながら共同生活を送ります。毎朝5時40分に起床し、1時間半の朝練から一日がスタートするんですけど、この練習では大腰おおごしという打ち込みをひたすら行います。若い頃は「なぜ試合であまり使うことのない技ばかりを練習するのだろう?」と疑問に思っていましたが、この特訓のおかげで柔道の基本となる体幹が鍛えられ、個々の多様な技の形成に繋がりました。
寮生活では掃除、洗濯、食事当番など、自分たちですべきことはすべて自分で行いますし、日中は学校に行っているため実質の練習時間は2時間半ととても短いのですが、そうした規律のある生活の中で、選手としてのベースを鍛えることができたと思っています。

女子プロ野球選手

三浦伊織

みうら・いおり

平成4年愛知県生まれ。21年日本女子プロ野球機構による第1回合同トライアウトに合格し、京都アストドリームス(現・京都フローラ)へ加入決定。22年椙山女学園卒業。26年打率5割を超え、首位打者に。令和元年女子プロ野球リーグ初の通算500本安打を達成。〝女イチロー〟の異名をとる。