2024年12月号
特集
生き方のヒント
一人称
  • 伊勢神宮参事吉川竜実

伊勢神宮が
教えてくれたもの

日本人の〝心のふるさと〟とされる三重県・伊勢神宮。神職として神宮に奉仕して36年になる吉川竜実氏は、神宮の歴史や神道の精神を深く学ぶ中で、生き方のヒントとなる多くの知恵を感じ取っていったという。日々の人生の心得から大きくは日本人のあり方まで、伊勢神宮に教えられたことをお話しいただいた。

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神道とは直感の宗教

歴史の困難の中で幾たびも日本という国を守り、日本の地に暮らす人々の心の支えになってきた伊勢神宮。私は8万社以上ある神社の中心に位置するこの伊勢神宮に奉職して36年を迎え、神官として様々な神事や神宮の運営にたずさわってきました。

その中で気づいたのは、伊勢神宮に受け継がれてきた精神や神道の教えには、この厳しい混迷の時代を乗り越えるための幾つもの知恵があり、ことに人間としての原点をいま一度見つめ直すことの大切さでした。本欄では、私が得た気づきの一端をお伝えできたらと思います。

伊勢神宮は正式名称を「神宮」といい、皇室の祖先神である天照大御神あまてらすおおみかみまつないくうこうたいじんぐう)と、衣食住を育む産業の守り神であるとようけのおおかみを祀るくう(豊受だいじんぐう)を中心に125の宮社で構成されています。そのそうは内宮が2,000年前、外宮は1,500年前とされ、古来、日本人の憧れとすうけいの対象となってきました。

庶民が旅をするようになった江戸時代にはお伊勢参りが流行し、江戸後期の文政13(1830)年には半年間で全人口の実に6人に1人に当たる460万人が参詣したと記録されています。現代でも1年間の参拝者は約800万人。これは東京ディズニーランドに次いで多い数です。

私は平成元年に神宮に奉職しましたが、神職の家系というわけではありません。子供の頃から宮大工である父親に連れられて寺社を訪れることが多く、神様や先祖への崇敬の念があつい両親の後ろ姿を見ながら、いつの間にか神職を志すようになりました。普通のサラリーマンになろうという気持ちはなく、ただ神官になることだけを夢見た〝変わり種〟です。

大阪の高校を卒業すると伊勢のこうがくかん大学文学部国史学科に進学。大学では、平成の即位礼・だいじょうさいの神事で宮内庁しょうてんしょくの祭事課長を務められた鎌田純一先生に薫陶を受けました。

ある日の授業で、鎌田先生から「神道の定義とは何か。あえて宗教という言葉を使って簡潔に定義してみよ」という質問を受けました。神社を訪れた参拝者はそれぞれに自分の感覚によって神の存在を感じ取りますし、受け取り方は千差万別です。そのことを踏まえて「神道とは感性の宗教だと定義します」と答えました。これに対して先生はおっしゃいました。

「もう一歩進めて直感の宗教と定義してはどうだろうか。君が確信をもって定義できる日がいつ来るかは分からないが、生涯にわたって神道の定義について模索し、自分なりの答えを導き出しなさい」

神道の定義を生涯をかけて模索せよ——。鎌田先生のこの言葉が心に深く沁み入るのを感じました。私は大学院の修士課程(文学)を修了すると、伊勢神宮に奉職。ここ数年は禰宜ねぎとして神事を務める一方、神宮司庁の文化部長として神宮徴古館ちょうこかん・農業館館長、せんぐう館館長などの仕事にも携わってきましたが、学生時代、恩師にいただいたひと言は、神職としてのその後の人生を貫くテーマとなって今日に至っています。

伊勢神宮参事

吉川竜実

よしかわ・たつみ

昭和39年大阪府生まれ。皇學館大学大学院博士前期課程修了後、平成元年伊勢神宮に奉職。2年即位礼及び大嘗祭後の天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、5年第61回式年遷宮、25年第62回式年遷宮、31年御退位につき天皇(現上皇)陛下神宮御親謁の儀、令和元年即位礼及び大嘗祭後の天皇(今上)陛下神宮御親謁の儀に奉仕。神宮禰宜を経て現在神宮参事。平成29年神道文化賞受賞。著書に『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(サンマーク出版)などがある。