2020年12月号
特集
苦難にまさる教師なし
対談
  • (左)作家宮本 輝
  • (右)紫野和久傳代表桑村 綾

苦難の果てに掴んだ
人生の心術

日本を代表する作家・宮本 輝氏。25歳の時に突然発症した重度のパニック障害と長年闘いながら、『泥の河』『螢川』『流転の海』をはじめ、数多くのベストセラーを生み出してきた。紫野和久傳代表・桑村 綾氏。老舗の名料亭がひしめく京都で新参者は絶対に成功しないと言われながらも、独自の店づくりを追求し、一流ブランドを築き上げた。お二人が苦難の果てに掴んだもの。それは人生・仕事に真剣に生きるすべての人に大きな勇気を与えてくれる(写真:京都市内の高台寺和久傳にて)。

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38年貫いてきた和久傳の流儀

宮本 僕が初めて高台寺和久傳こうだいじわくでんに来たのは確か45歳の時です。もう30年近く前になりますね。

桑村 ここに店を構えて38年ですから、わりに早い時期ですね。

宮本 綾さん、あの頃はまだ若かったんやね(笑)。

桑村 お互い様です(笑)。

宮本 初めて食事した時に感心したのは、洛中らくちゅうの人たちがはなも引っ掛けないような京丹後きょうたんごの田舎から出てきて、よくこれだけの店をつくったなと。京都には伝統ある高級料亭がたくさんありますけど、そういう店と同じような料理を出してもやっていけないだろうし、いい意味で田舎臭さというか野趣やしゅのある料理ですよね。

桑村 いまおっしゃってくださったように、当時もいまも変わらないのは、まずやっぱり人のしていないことをする。京料理があんまり好きじゃなかったこともあるんですけど、他では味わえないものを提供しようと。お座敷でカニを焼いてお出しするというのはその典型ですね。誰でもしていることはやらないんです。
それから、お客様に同じ料理を二度食べていただかない。このお客様はいつ、どなたとお越しになって、その時に料理やお菓子は何を召し上がったか、どの部屋だったか、掛け軸は何だったか、そういう情報をすべて管理する。いまはパソコンを使って簡単にできますが、当時はパソコンもなく一つひとつ書き記していました。

2020年開業38年を迎える高台寺和久傳。建物は数寄屋造りの名工・中村外二氏が手掛けた

宮本 店を育てるのには、大変な苦労というか工夫が必要だったと思います。

桑村 宮本先生には、「桑兪そうゆ」という私どもがお客様に配布している冊子に、創刊(2007年)からエッセイを書いていただいて……。
宮本 エッセイは書いていないと言ってお断りしたけど、しつこくてね(笑)。昔から「3号雑誌」と言われるように、どうせ出しても続かないと思っていましたので、ひとまず引き受けたんです。それが一向に終わらない(笑)。

桑村 年2回発刊して、店のパンフレットと一緒にお渡しするんですが、皆さんパンフレットは見ないで(笑)、エッセイを楽しみにしてくださるんですよ。
宮本 こんなに長く続くと思っていませんでした。他の人は一本きりなのに、僕だけ連載でね。そのエッセイをまとめた『いのちの姿』はおかげさまで反響が大きくて、いまも増刷を重ねています。

紫野和久傳代表

桑村 綾

くわむら・あや

昭和15年京都府生まれ。証券会社勤務を経て、39年京丹後・峰山の老舗旅館「和久傳」に嫁ぐ。衰退した和久傳を立て直し、57年京都市内の高台寺に店を構える。現在は料亭の他、茶菓席やむしやしないの店舗を展開し、百貨店ではおもたせとして弁当や和菓子、食品を販売。京丹後の地域活性事業として「和久傳ノ森」づくり、物販商品の工房開設などを行う。

37年かけ完結した『流転の海』シリーズ

桑村 きょうは私が聞き役になって宮本先生のお話を伺いたいと思います。2年前に完結した『流転るてんの海』シリーズ全9巻は、制作期間がトータル37年、分量は400字詰め原稿用紙7,000枚にも及ぶそうですね。それほどの歳月をかけて長編小説を書き上げられた作家はいないんじゃありません?

宮本 きっと初めてでしょうね。

桑村 この作品の主人公・松坂熊吾くまごは宮本先生のお父様、妻・房江はお母様、一人息子の伸仁は宮本先生をモデルにされている、いわば自伝的小説ですよね。50歳で第一子を授かった熊吾が息子の成人を見届け、71歳で亡くなるまでの波乱に満ちた人生を描かれています。
34歳から書き始め、完結したのが71歳の時で、お父様が亡くなったのと同じ年齢だったのも不思議な符合だと感じました。

宮本 そうですね。最初に連載を始めた時は全3巻のつもりだったんですよ。ところが、第1巻を書き終えた時に、まだ僕が1歳か2歳なんですよ。これじゃあ3巻で21歳までは進まない、全5巻に変えなあかんなと。で、3巻目に入ったくらいの時に、とんでもない、5巻では終わらん、これは7巻やなと。で、5巻を書き終えたくらいの時に、とても7巻では終わらん、9巻やなと(笑)。
読者の中には、「もう終わらないでくれ。終わったら寂しい。松坂一家は自分の親戚みたいになっているんです」と言う人まで出てきてね。そういうわけにもいかないので、主人公・松坂熊吾の臨終と共に擱筆かくひつしました。インターネットを見ていたら、「なんて終わり方だ。もうちょっと熊吾が報われてもいいだろう」とか、「人生、そんな甘いもんじゃない。あれが本当の人生の姿だ」とか、読者同士がやり合っているんです。

桑村 それは面白いですね。

宮本 でも、これだけ長い小説になってくると、やっぱり最後の幕を下ろすまで僕は病気もできないわけですよ。だけど、段々と父の年齢に近づいていくでしょ。そうすると、ひょっとして最後まで書けないんじゃないかという思いが湧き起こってくる。
未完の大作なんて、世界中に山ほどあるんですよ。でも、未完ではやっぱりそれまでの何10年間、読み続けてくれた読者に対する責任を放棄することになってしまう。別に、病気になりたくてなるわけじゃないけれども、年齢を考えるといつ何が起こるか分からない。そういう恐怖が5巻、6巻、7巻くらいになると、どんどん大きくなってくるんですよ。そのプレッシャーとの闘いですね。
だから、第9巻を書き終えた時には、やり切ったという達成感と同時に、やれやれ感というか作家としての責任を果たし終えたことに対する安堵あんど感が強かったです。マスコミの扱いも大きくて、テレビやラジオ、新聞のインタビューでもう疲れ果てましてね。それがひと段落した頃に、しゃべるのも嫌になるくらいガクッときました。
『流転の海』シリーズを執筆しながら、それに加えて他の仕事もしていましたので、よくやれたなと思います。

作家

宮本 輝

みやもと・てる

昭和22年兵庫県生まれ。45年追手門学院大学卒業後、広告代理店入社。重度のパニック障害となり退職し、作家を目指す。52年『泥の河』で太宰治賞を受賞し作家デビュー。翌53年『螢川』で芥川賞を受賞。一時結核療養のため休筆。『優駿』で歴代最年少40歳で吉川英治賞を受賞、平成21年『骸骨ビルの庭』で司馬遼太郎賞、22年紫綬褒章受章。30年『野の春』を刊行し37年にわたって執筆を続けた『流転の海』シリーズ全九巻完結。令和2年旭日小綬章受章。最新刊に『灯台からの響き』(集英社)。