2020年12月号
特集
苦難にまさる教師なし
  • 音楽学者平野 昭

運命を受け入れて生きた
ベートーヴェンに学ぶもの

楽聖・ベートーヴェン。音楽家にとって生命線である聴力を失いながらも、数々の傑作を残した偉業は多くの人が知るところである。フランス革命が勃発した激動の時代を生き、幾多の絶望と苦悩を乗り越えた生涯を、長年ベートーヴェン研究に当たる平野 昭氏に語っていただく。この年末に生誕250周年を迎えるベートーヴェンの生き方が教えてくれるものとは——。

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ベートーヴェンが愛され続ける理由

「交響曲第九番〈合唱付〉」「交響曲第五番〈運命〉」「ピアノ曲エリーゼのために」などで知られる作曲家・ベートーヴェンが、2020年生誕250周年を迎えます。

250年も前のことですが、日記や手紙など当時の文書記録が多く残っているため、伝記的な史実が辿たどれる一方、没後に広まった伝説的な逸話が通説としてまかり通っている部分も多くあります。例えば、「エリーゼのために」「月光ソナタ」といった曲名は、ベートーヴェンの死後に名づけられたニックネームですので、これらの曲名で知れ渡っていることをベートーヴェン本人が聞いたら驚くことでしょう。「運命」についても、「ジャジャジャジャーン」という出だしのメロディを「運命はこのようにドアを叩いてやってくる」と本人が語ったことで曲名になったと言われていますが、その真偽は定かではありません。

とはいえベートーヴェンの曲は没後200年近く経ったいまでも全世界で親しまれています。日本では年末に合唱付きの「第九」交響曲演奏会が恒例行事と化しており、EUでは「欧州の歌」に「第九」の旋律が使われているほどです。

ベートーヴェンの魅力をひと言で表現すると、王侯貴族から市民へとヨーロッパ社会の主役が交代する動乱期に、一人の作曲家として独立自尊の生き方を貫いたこと、そしてその前衛的ぜんえいてきな作風を確立させた点に凝縮されます。

ベートーヴェンと同時代を生き、共にクラシック音楽を代表する作曲家であるハイドンやモーツァルトと比べるとその違いは歴然です。当時の音楽は王侯貴族のためのもので、音楽家は教会や宮廷に属しながら活動をしていたのに対し、ベートーヴェンは初めて経済的に自立した作曲家として、市民のための音楽をつくり続けました。

ハイドンは77年の生涯で104曲、モーツァルトが35年で41曲(現在では第37番は欠番)の交響曲を残していますが、ベートーヴェンは56年で9曲しかありません。ハイドンやモーツァルトは貴族からの依頼でパーティーの度に新曲を生み出さなければならず、貴族に受け入れられやすい王道の音楽を短時間でつくり続けたものの、ベートーヴェンは何の制約もなく自分のつくりたい音楽を追い求めることができたのです。そして作品を販売して生計を立てていたため、一つひとつの曲で作風を大きく変えて個性的な音楽を次から次へと生み出したことも、多くの人を魅了してやまない秘訣であったのでしょう。

また、「ジャジャジャジャーン」の出だしで有名な「運命」のように、一般大衆にも馴染なじみやすいメロディも特徴です。バッハやハイドン、モーツァルトが築いた伝統的な様式を踏襲とうしゅうしつつも、常識に囚われない独創的な視点で作曲を続けているのです。神様を象徴する楽器で教会音楽でしか使用されていなかったトロンボーンを世俗音楽である交響曲に初めて使い、滅多めったに使われなかったピッコロ・フルートなどの楽器を取り入れ、鳥の鳴き声を見事に表現しました。そして、当時3楽章構成が一般的だったピアノ・ソナタを4楽章で作曲するなど、時代への挑発とも思える挑戦を行っています。

音楽学者

平野 昭

ひらの・あきら

昭和24年神奈川県生まれ。武蔵野音楽大学大学院修了。西洋音楽史及び音楽美学領域、18~19世紀ドイツ語圏器楽曲の様式変遷を研究。特にハイドン、モーツァルトからベートーヴェン、シューベルトに至る交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタを中心にソナタ諸形式の時代様式及び個人的特徴を研究。沖縄県立芸術大学、静岡文化芸術大学、慶應義塾大学教授を歴任。著書に『ベートーヴェン』(新潮社)など多数。