2025年8月号
特集
日用心法
インタビュー③
  • 須磨寺大仏師山髙龍雲

生かされて生きる

仏師の道が教えてくれたもの

20歳の時に入った仏像彫刻の道を、77歳のいまもなお倦まず弛まず歩み続けている大仏師・山髙龍雲氏。90歳までの彫刻の材料を確保しているという山髙氏を突き動かすものは何か――。これまでの歩みと信念を交えてお話しいただいた。

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    教えることは教えられること

    ──山髙さんはぶっの一道を57年歩んで来られると共に、全国の彫刻教室にて後進の指導にも力を入れていると伺っています。

    現在私自身が通っているのは8教室ですが、生徒から先生に育った方が指導する教室も15か所くらいあります。
    職業として仏師を目指すいわゆる弟子ではなく、一般の方々を対象とした教室を開いたきっかけは、30代初め頃、福岡県篠栗ささぐりこうさんしんごんしゅうべっかくほんざんなんぞういんのご住職・林覚乗かくじょう様とご縁をいただいたことに始まります。若いお坊さんたちの修行の一環として、1年ほど仏像の彫刻を教えてほしいとのご依頼でした。教室は当初熱気に満ちていましたが、私の教え方が悪かったのか、「自分には難しい」と残念ながら毎月の教室ごとに1人また1人と退会されました。
    もうやめましょうとなった時に新聞社が来られ、少人数でも取材を受けたのですが、この記事が評判になりましてね。一般の方が10人ほど入会されたのです。

    ──新聞記事を見て10人も。

    再出発の教室では失敗の経験が大いにものを言ってくれました。今度は一人もやめてほしくないと決意しましてね。事前に彫刻刀をいであげる、参考になる仏像や仏画の資料をそろえるなど、何より楽しい彫刻会を目指しました。その10人の方は全員10年以上継続されて、1年のつもりがなんと45年。よく続いたものです。
    本来、仏師の仕事や知識、技術はそう簡単に身につくものではなく、何年もかかって自ら覚えていくものです。まして私は最初、彫り方は知っていても、教える方法は何も身につけていませんでした。
    でも人に彫ってもらおうと一所懸命に教室で指導している中で、ある時、人に教えることによって改めて自分の技術が確認され、磨かれ、自分自身が上達していることに気づいたんです。

    ──教えるほうが教えられていた。

    ええ。それに生徒とは言いながら現役の大学教授、経営者、医師、元裁判官等々、皆さん若輩の私より年齢も経験も知識もずっと上の方が多く、彫刻刀の持ち方を教える代わりに世のことわりや人情の悲喜ひき交々こもごもを教えていただきました。

    須磨寺大仏師

    山髙龍雲

    やまたか・りょううん

    昭和23年香川県生まれ。高校卒業後、民間企業の営業職を経て、20歳の時に父・山髙松雲に師事、仏像彫刻の道に入る。全国の寺院に仏像を納めると共に、須磨寺彫刻会、南蔵院彫刻会、NHK文化センター、朝日カルチャーセンター、産経学園、東京上野の杜彫刻会などで仏像彫刻を指導。仏像彫刻薫風会主宰。