2024年6月号
特集
希望は失望に終わらず
インタビュー①
  • 田野畑山地酪農牛乳会長吉塚公雄

理想に向かって
歩む自分を喜べ

一面に広がる18ヘクタールの山地(やまち)を、牛たちが気の赴くままに草を食み、歩き回る……。大地に根差したこの牧場で生まれる牛乳が、常識を超えた〝奇跡〟を起こしている。恩師・猶原恭爾博士が最後の希望を託した「山地酪農」理論に日本の農業の光を見、10年間電線も通らない山林を開墾。今日に至らしめた吉塚公雄氏の50年の奮闘に迫った。

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三陸海岸の一画より、山道を車で進むこと数十分。道を挟む森林が開け、牧草の香りが舞う吉塚農場(ろがねのまき)が眼前に広がる。

山地の自然力を生かし切る

──まず、農場の広さに圧倒されました。

昭和49年、22歳でこのはたむらに籍を持ってきましたから、今年(2024年)ちょうど50年ですね。1本ずつ木をり倒すところから始めて、いま、ようやく18ヘクタールです。牛たちは朝夕のさくにゅうで3時間くらいは牛舎に入りますが、それ以外は雨や雪の日も牧場を自由に歩いています。

──この傾斜のある草地を上っていくのですか?

吉塚 あの丘のほうまで行きます。牛たちは草を食べながら山を歩き回って、糞尿ふんにょういてくれます。だから農薬が要らないし、ばいも自分でやってくれるわけです。そうやって自活できる能力があるのに、昨今の日本の酪農では牛舎に入れて飼うことで奪っているということです。歩かなくなると爪は伸びるし、活力がなくなって短命になります。一般的な乳牛の寿命はだいたい5~6歳ですけど、うちが目指しているのは20歳。いままで最長16歳まで生きました。

──吉塚さんらが手掛ける牛乳は、地元に限らず全国から注文が相次ぎ、〝奇跡〟の牛乳だという人もいるそうですね。

「この牛乳なら不思議と飲めるのよ」っていう人が、すごく多いです。牛乳を飲むとお腹がゴロゴロしてしまう体質で、牛乳なんて一生飲めないと思っていた、という女性が、盛岡でうちの後援会長をやってくれています。
つい昨日も、ずっと牛乳を配達しているご夫婦から思いのこもったお手紙をいただきましたし、遠方のお客様で、振込用紙の通信欄にびっちりメッセージをくださる方も多いですね。本来お礼を言わなきゃいけないのは我われなのに、逆にお礼を言われるんです。こんな幸せなことはありませんよ。

──どうして牛乳が苦手な方でも飲めるのでしょう。

お腹がゴロゴロする原因になるにゅうとうの量は、よその牛乳と変わりません。では何が違うのかと考えると、一般の放牧地では数種類の牧草だけを与えるところを、ここの牛は春から秋、自然に生えてくる旬の野草を相手にしている。ニホンシバを中心に50種類くらいです。牛が食う草の質、ここが牛乳が違う理由でしょうね。
日本の酪農で使われる濃厚飼料の自給率は13%と言われます。ほとんどの輸入飼料は長い距離を船で運ぶために農薬を散布されてしまうものです。その点、うちは野草と自前で栽培する牧草で100%自給です。戦争などの影響で飼料も肥料も高騰していますけど、ほとんど影響がありません。

──独立経営ができていると。

日本の山地は、我われ人間が何もしなくても、夏には夏の草、秋には秋の草と、四季の野草が生えてきます。放っておけば草は雨と日の恵みを受けて木になって、山をおおってしまう。やせに見えても、それだけの自然力があるわけですよ。牛の力と山の自然力のフル活用。ここに、おいしくて安全な牛乳ができる理由、私が目指す「やまらくのう」の神髄があるんです。

田野畑山地酪農牛乳会長

吉塚公雄

よしづか・きみお

昭和26年千葉県生まれ。東京農業大学を卒業後の49年、岩手県下閉伊郡田野畑村に単身移住。平成8年「田野畑山地酪農牛乳」発売。21年田野畑山地酪農牛乳株式会社を設立。令和4年より現職。著書に『ひと草楽薬』(naturavia)、一家の軌跡を追った映画『山懐に抱かれて』(テレビ岩手)がある。