2026年12月号
特集
住するところ
なきを
花と知るべし
一人称
  • 二十六世観世宗家観世清和

世阿弥が
目指したもの

二十六世観世宗家・
観世清和氏に聞く

父・観阿弥と共に、現在まで約700年続く能の礎を築いた世阿弥。数々の傑出した能の作品のみならず、「初心忘るべからず」「一座建立」など、世阿弥が残した言葉や教えは、時代や分野を超えて不滅の輝きを放ち、いまを生きる人々を導き続けている。その能700年の歴史と伝統を継承する二十六世観世宗家である観世清和氏に、実体験を交えながら、先祖である世阿弥の実像、世阿弥が生涯を通じて目指したものについて語っていただく。

【写真=『翁』を演じる観世清和氏と後継者である三郎太氏(撮影:駒井壮介/写真提供:観世宗家)】

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    二十六世観世宗家

    観世清和

    かんぜ・きよかず

    二十六世観世宗家。重要無形文化財総合認定保持者。昭和34年生まれ。平成2年宗家継承。観阿弥・世阿弥の子孫として現代の能楽界を代表する演者。国内外の能公演はもとより、(独)日本芸術文化振興会評議員・東京藝術大学客員教授・国立能楽堂養成研修主任講師を務め、伝統芸術の保存と継承・後進の育成にあたる。(一財)観世文庫理事長、(一社)観世会理事長、(一財)日本中国文化交流協会副会長。フランス芸術文化勲章シュバリエ、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、JXTG音楽賞など多数受賞(章)。

    代々相伝される世阿弥自筆の第六花修

    それは私が大曲『道どう成じょう寺じ』を初めて演じた直後、20代半ばのことでした。先代家元である父(二十五世観世宗家 観かん世ぜ左さ近こん元もと正まさ)に「見せたいものがある」と呼ばれ、何事だろうと座敷に伺うと、傍そばに黄色い風呂敷包みが置かれていました。

    「ここには我が家にとって何物にも代えられない大事なものが入っている。万が一の時にはおまえはこれだけを持って逃げろ。家族などはどうでもいい。これを守り伝えてゆくことがおまえの責務だ」

    父はそう伝えると、風呂敷包みを再び蔵に戻しました。中身をあらためることはありませんでしたが、わざわざ先代が「見せたいものがある」と私を呼んだということは、おそらく世ぜ阿あ弥み自筆の『風ふう姿し花か伝でん』であろうと薄々分かってはおりました。『風姿花伝』は第一から第七まで7つに分かれていますが、そのうち世阿弥自筆の第六花修と第七別べっ紙し口く伝でん、花習内抜書(『花か鏡きょう』の原案)が当家に伝わっていると存じてはおりました。

    その風呂敷包みを開くことになったのは1990年、先代を満60歳で亡くした時です。私は31歳でした。先代の遺言を思い出し、風呂敷包みを開くと、まず出てきたのは塗りの箱で、その中にもう一つ桐の箱がありました。

    開けてみると、和綴とじの書物が大切に納められており、紛れもなく世阿弥自筆の第六花修でした。実際に拝見した第六花修は、約700年前に書かれたにも拘かかわらず、書きつけられた文字、墨の跡は力強く、いま書かれたのではないかと感じるほど新鮮でした。さらに読みやすいようにふりがなや句読点が朱で書き込まれています。

    第六花修は、江戸時代に現在の和綴じの形になったとされ、もともとは一枚一枚、紙を積み重ねた状態で蔵に置かれていました。

    世阿弥が生きた室町時代、紙は大変な貴重品であり、第六花修が書かれた紙も、決して質のよいものではありません。また、世阿弥自筆の「能のう本ほん」(能を演じる台本)も四巻(いずれも国指定重要文化財)伝わっておりますが、一般に出回っていた暦の裏紙に書きつけられていることが、専門家の研究により明らかになっています。

    権力者の近くにいた世阿弥でさえ、当時、良質な紙はなかなか手に入らなかった、それだけ紙は貴重品だった――。それはその通りでしょう。しかし、世阿弥の筆の勢いを拝見すると、良質な紙を手に入れるまでとても待っていられない、能のため、子孫のため、いますぐ書かなければいけない。それくらいの思いがあったのだろうと私は感じるのです。

    「世阿」の花か押おうが入った世阿弥自筆の第六花修は、当家に伝わるこの一冊しかありません。観世家代々の直系、嫡ちゃく男なんだけが相伝を許され、守り伝えてきたのです。私の次には、嫡男である三さぶ郎ろう太たがその責任を担うことになります。

    700年に及ぶ相伝の歴史を思う時、「命に代えてもこの書物を後に伝えていかなくてはいけない」との決意を強くします。

    観世宗家に代々、約700年受け継がれる世阿弥自筆の『風姿花伝』第六花修。世阿弥による朱入れがあり、その心が直に伝わってくる