2026年12月号
特集
住するところ
なきを
花と知るべし
対談
  • 修養団第三代主幹山﨑一紀
  • 後藤静香記念館館長中澤宏則

終わりなき
修養に生きて

──蓮沼門三と後藤静香に学ぶ

我が身を修め、心を養う。そうして磨いた自分を以て、周りの人や環境をよくしていく──自己修養は、職業や立場を問わず、よい人生を送る基本条件と言える。明治から大正、昭和にかけ、この精神を全国に説き広めた人物がいた。蓮沼門三と後藤静香。生涯の盟友であった2人の生き方に、蓮沼氏の令孫である山﨑一紀氏、後藤氏の薫陶を受けた最後の世代である中澤宏則氏の語りを通して迫る。

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    蓮沼門三

    はすぬま・もんぞう

    明治15年福島県生まれ。36年東京府師範学校入学、39年在学生を中心に「修養団」を設立。卒業後の41年機関誌『向上』を発刊。大正4年「全国青年天幕講習会」を開催、生涯を社会教育に尽くす。昭和55年、数え99歳で死去。銀杯一組を賜り、正四位に叙せられる。勲二等瑞宝章、喜多方市名誉市民第1号。『蓮沼門三全集』(全12巻)などがある。

    後藤静香

    ごとう・せいこう

    明治17年大分県生まれ。東京高等師範学校で数学を学び、長崎県立高等女学校、香川県女子師範学校で教鞭を執る。大正7年「希望社」を創設。月刊誌『希望』をはじめ数々の雑誌を発行する。昭和8年同社解散、翌年「心の家」を立ち上げ、全国の社会教育、社会福祉に一生を捧げた。44年84歳で死去。代表作に『権威』『道のしるべ』(善本社)など。

    修養団第三代主幹

    山﨑一紀

    やまざき・かずのり

    昭和23年東京都生まれ。蓮沼門三氏の孫。平成4年財団法人修養団理事。常務理事・事務局長、専務理事を歴任、28年より第三代主幹。著書に『自分を育てる 「蓮沼門三のことば110」を読む』(修養団)。

    後藤静香記念館館長

    中澤宏則

    なかざわ・ひろのり

    昭和19年神奈川県生まれ。大学受験浪人中に後藤静香氏に出逢う。岡三証券に勤務。「心の家」常務理事も務めた。平成18年より後藤静香記念館館長。個人通信「こころの家族通信」を季刊で発行中。

    本対談は9月中旬、東京・代々木の修養団ビル最上階で行われた。

    社会教育に人生を捧げた2人は「盟友」

    山﨑 初めてお目にかかります。中澤さんが館長を務める後藤静せい香こう記念館は高崎市榛はる名な高原にあるそうですが、きょうも群馬から?

    中澤 いえ、記念館と言っても最近は専もっぱら、社会教育と社会福祉に生涯を捧ささげた後藤先生の遺品や膨大な著作の資料庫になっていましてね。気がつけば私も82歳、埼玉の自宅から向かうのも大変になりましたので、見学希望があった時だけ、地元にいる同志の先生に開けてもらうという形で続けているんです。
    それにしても、このお部屋は眺めが素晴らしいですね。

    山﨑 こちらに広がっているのが明治神宮の杜もりで、反対側の会議室からは新宿御苑が一望できます。
    関東大震災で浅草にあった本部が焼失した後、本部用地として宮内庁からこの土地を貸与され、後に払い下げていただいたのです。

    中澤 山﨑さんは、蓮はす沼ぬま先生のご子孫でいらっしゃる。

    山﨑 ええ。初代主幹・門もん三ぞうには子供が6人おりまして、二代目主幹を務めた伯父の力りき太た郎ろうは長男、私は次女の國くに子この息子です。

    中澤 なるほど。きょうのテーマである蓮沼先生と後藤静香には、生前親交がありましたね。

    山﨑 それは深い交流ですよ。東京府師範学校(現・東京学芸大学)の学生だった門三が、校内美化運動に端を発して仲間を中心に修養団を創立したのが1906(明治39)年。3年後、機関誌が全国の師範学校、教育関係者に一斉配布されました。それを受け取った一人が、後藤先生だった。

    中澤 蓮沼先生の2歳下で、長崎県立高等女学校で教えていた静香は、その内容に感動してすぐ修養団の会員になり、支部を立ち上げて熱心に活動していきます。

    山﨑 そんな後藤先生に、門三が上京を熱望して浅草にあった本部の理事になっていただいた。

    中澤 はい。静香は女子修養団を目指し「希望社」を立ち上げますが、初めは修養団本部の六畳一間を借りていたそうですね。

    山﨑 しばらく共に活動しています。修養団と希望社は、兄弟団体だったと言っていいでしょう。

    中澤 盟友ですね、まさしく。静香が1969年に84歳で亡くなった時、蓮沼先生が「盟友をおくる」という長い弔辞を寄せられています。それだけ深く繋つながっていた証あかしですが、私は修養団あっての希望社、蓮沼門三あっての後藤静香だとつくづく感じます。

    修養の灯火を絶やさず繋ぐために

    中澤 修養団は創立120周年とのこと、おめでとうございます。

    山﨑 2月11日、おかげさまで120周年を迎え、3月に記念大会を開催しました。秋あき篠しのの宮みや皇こう嗣し殿下と紀き子こ妃殿下のご臨席の下、全国各地から会員、同志、関係者など約700人が集って盛会裏に終わることができました。
    120年というと歴史の長さに目が行きますが、私は職員に常々〝不易流行〟が大事と言っております。基本は決して変えないが、時代の変化に合わせて新しいものを取り入れることが大事だと。
    では私たちの基本は何かというと、そこに渋沢栄一翁直筆の扁へん額がくが掛けてありますが、「総親和 総努力 総幸福」の明るい社会の実現。これが創立以来の目標です。そして、そのために「愛と汗」、思いやりと努力を実践していこうというのが基本方針です。

    中澤 具体的にはどんな活動を?

    山﨑 二本柱がありまして、一つは「伊勢青少年研修センター」で全国の企業の社員を対象に行う講習や講演。もう一つは青少年活動です。門三が1915(大正4)年、初めて天てん幕まく(テント)講習会を行った福島県北塩原村にある「ばんだいふれあいぴあ」で、青少年を対象とした講習会や野外活動も長くやっています。
    それと「幸せの種まき運動」の一環としてボランティア活動を行っており、たとえば能登半島地震で被災し、中学入学の制服を買えずにいた子供たちに、募金を集めて制服を届けました。その子供たちが120周年記念大会に駆けつけてくれましてね。感無量でした。
    海外ですと、フィリピンのゴミ山で暮らす貧困層の子供たちに奨学金を届けて20年になります。この奨学金で大学まで出て、先生になった人も何人かいます。

    中澤 国内のみならず、海外にも根を張っておられると。
    私の場合は対照的に、全まったく個人的な活動でして、後藤静香を伝える会と称して、個人通信「こころの家族通信」を年4回、約200人の会員さんに出しています。
    きっかけは、静香が後半生を懸けた「心の家」が解散になったことでした。心の家は「敬・信・愛」の精神(人を敬い、人を信じ、人を愛する)をもとに、心の兄弟姉妹、大家族をつくることを理念にした団体です。私は常務理事をしておったんですが、このまま教えが途絶えるのは残念だなと、最後まで残った会員に通信を送り続けることを決めたんです。

    山﨑 ああ、ご自身の発心で。

    中澤 引き継いだ時は400人ほどおられましたけど、やはり亡くなられたり老眼になられたりして、半分ほどになっております。
    ですから活動を広げるというより、とにかく伝えていく。静香に連なる人のお話や、新聞等に言葉や詩が引用された記事があれば地道に紹介しています。
    今夏の甲子園でベスト4入りした横浜高校野球部の監督を46年やられ、松坂大輔投手を育てた渡辺元もと智のりさんが「第一歩」という詩を非常に大事にされました。校庭に詩碑があって、絶えず静香の精神を生徒さんに植え込んでいただいていたんです。この夏、渡辺さんが亡くなられたので、私の通信で追悼しました。本当にささやかな活動ですけれども……。