2024年10月号
特集
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く
インタビュー
  • 元モスフードサービス会長櫻田 厚

人を喜ばせたい、
その一心が我が
経営人生を導いてきた

売り上げ約930億円・営業利益約40億円(2024年3月期連結決算)、国内店舗数約1300店、海外店舗数も400店を超える日本を代表するハンバーガーチェーン・モスフードサービス。その創業期から経営に携わり、今日の発展を牽引してきたのが櫻田 厚氏、73歳である。2023年に同社会長を退任後も、セミナーや講演会など精力的な活動を続ける氏に、創業者の教え、モスで学んだ経営発展の神髄、そして自らを生かし導いてきた母の言葉について縦横に語っていただいた。

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モスの未来を託して引退を決断する

──櫻田さんは2023年、創業期から約50年間経営にたずさわってきたモスフードサービスを、相談役や顧問に就くことなく完全に引退されました。そこにはどのような思いがあったのでしょうか。

私の中で一番大きかったのは、やはり叔父で創業者の櫻田さとし(当時会長)が1997年に60歳できゅうせいしてしまったことなんです。亡くなる直前まで元気でしたから、社内やフランチャイズ加盟店のオーナー、関係者にも大きな動揺が広がりました。それを収める形で甥の私が社長に就いたのですが、その時に、「創業者が突然亡くなると、会社にこんなに大きな変化が起こるんだ」ということを身をもって体験したわけです。
ですから、自分が社長の間に何かあればまた同じような状況になってしまうのではないか。トップを務めている間に身を引く段取りや後継者を含めて周到に準備しておこうと考えていたんですよ。
社長になったのは47歳の時でしたが、その翌年くらいから後継者のことを考え始めました。

──具体的にはどのような準備や取り組みをなさったのですか。

創業者のように強いカリスマ性を持って全社を引っ張っていけるような人材はそうはいませんから、チームで会社をマネジメントしていく体制を少しずつ整えていくと共に、私が50歳半ばを過ぎた頃から、役員クラス一人ひとりとサシで食事をするなどしてヒアリングしていきました。何気なく「ところであなたは社長職に関心はあるか」と聞いたりして(笑)。
また、本人だけではなく一般社員や加盟店オーナー、取り引き先にもその人の評判を聞いたりして、広く情報収集していきました。

──いろんな角度から情報を集めて総合的に判断していかれた。

最終的には、取締役会にもはかって、年齢的にもこれからまだ社長・会長と20年くらい頑張ることができ、周囲と協力し合いながら私とは違った新しい視点で経営ができる現在の中村栄輔社長にモスの未来を託したんです。中村社長のもとチームワークを発揮してコロナも乗り切ってくれましたから、私の判断は間違っていなかったと思っています。

──ちなみに、自分とは違う視点を持ったリーダーを選ばれたのには何か信念があったのですか。

それはモスは自分の会社ではないからですよ。そこを勘違いすると、例えば、自分の言うことを聞く人を後継者にしようという発想になってしまう。私はそうではなくて、あくまでこれからのモスの発展のためにはどんな人材やチーム体制が必要かという視点ですべてを考えていったんです。
相談役や顧問として残らなかったのも同じで、いつまでも自分の部屋が社内にあれば、社員もきっといまの経営陣を見ずに私のことを気にしながら働くと思ったんです。それは私の経営者としての美意識に反しますから、昨年(2023年)スパッと辞めることにしたんですね。

──モスフードサービスの経営を退いたいま、特に力を入れて取り組んでいることはありますか。

在職中は創業者の思いやモスの企業文化を次世代に語り伝える「櫻田塾」などを主宰していたのですが、フリーの立場になってからもその伝えたいという思いはまったく変わりません。いまもモスの加盟店オーナー、商工会議所、若手経営者の方などからご依頼をいただき、創業者が私に話してくれたことやモスの歴史、経営で大事なことなどをテーマに話をしています。こうして仕事がいただけることは有り難いですし、力の続く限りこれからも自分の役割を果たしていきたいと思っています。

元モスフードサービス会長

櫻田 厚

さくらだ・あつし

昭和26年東京都生まれ。45年都立羽田高等学校を卒業後、広告代理店に入社。47年に叔父の櫻田慧氏が立ち上げたモスフードサービスの創業にアルバイトとして参画し、52年に正社員として入社。創業者の急逝に伴い平成10年社長就任。令和2年からは会長を務め、5年6月に同社を退社。現在はJOINT ONEに所属し、モスフードサービスで培った経験をもとに講演活動などを広く手掛ける。