2024年4月号
特集
運命をひらくもの
対談1
  • シンガー・ソングライター、小説家さだまさし
  • 大和証券グループ本社名誉顧問鈴木茂晴

かくて運命の扉を
ひらいてきた

昨年(2023年)デビュー50周年を迎えた日本を代表するシンガー・ソングライターさだまさし氏。幾多のヒット曲を生み出し、これまでに積み重ねてきたソロコンサートは通算4,623回と、前人未到の記録を塗り替え続けている。小説家としても数々のベストセラーを手掛ける他、被災地支援のチャリティーコンサートなど社会貢献活動にも力を注ぐ。さだ氏はいかにして自身の運命をひらいてきたのか。親交の深い大和証券グループ本社名誉顧問の鈴木茂晴氏がその核心に迫った。

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チャリティーコンサートは恩返しのため

鈴木 さださん、お忙しいところきょうはありがとうございます。

さだ 鈴木さんとは普段ゴルフ場か酒の席でしかお目にかからないので(笑)、こういう真面目な場は少々緊張します。

鈴木 『致知』は硬派な雑誌ですけど、熱心な読者が多いんですよ。

さだ 大した話はできませんが、よろしくお願いいたします。

鈴木 昨年(2023年)、デビュー50周年を迎えられたということで、おめでとうございます。

さだ ありがとうございます。

鈴木 いまもまだ記念コンサートツアーのただなかですよね。

さだ アンコールをやるんですよ。去年、東京・名古屋・大阪で4公演ずつまったく違う内容のコンサートを開催しました。1日目は僕がデビューした時の「グレープ」っていう2人組、これが47年ぶりに復活したんです。2日目はいつもの仲間たちと一緒にヒットパレードをうたい、3日目はブラスバンドが加わって、4日目はオーケストラをバックにやった。いずれも評判がよく、チケットを取れない人も多かったので、東京と大阪でアンコール公演を開催します。

鈴木 それもすべて完売だとか。

さだ いやぁ、本当に有り難いですね。毎年カウントダウンコンサートを両国国技館でやっているんですが、去年の大晦日おおみそかはコロナも抜けて、破裂するくらい9,000何百人のお客さんが入りました。
カウントダウンコンサートの後、そのままNHKの『生さだ(今夜も生でさだまさし)』を放送し、ほとんど気絶していた最中で起きたのが能登半島地震でした。翌日羽田空港での飛行機衝突事故もありましたし、どんな年になるのか不安の募る正月でしたね。

鈴木 おっしゃる通り、年初から非常事態に見舞われていますが、さださんは以前台湾でコンサートをやりましたよね。

さだ ああ、そうそう。いまから7年前です。

鈴木 なぜ台湾でコンサートをするのかって聞いたら、東日本大震災の時に台湾がいち早く義援金を寄付してくれたからだと。

さだ 200億円ですよ、一晩で。そんな国は他にないですからね。そういう感謝を僕らは音楽でしかお返しできないので、それでチャリティーコンサートをやりました。

鈴木 私も見に行きましたよ。

さだ 10人くらいで大挙して来てくださいましたね。もう本当に嬉しかったです。

鈴木 義理堅いというか、個人にもかかわらず国を含めた活動をされていて、とてもできません。

さだ 国に頼まれたわけでもなく、勝手にやっているだけですけどね。

鈴木 そこが素晴らしいですよ。

さだ 僕は歌唄いですから、大した力がないじゃないですか。東日本大震災の時も、れきの撤去やどろきをしなきゃいけない時期に行っても邪魔なだけなので、ちょっと落ち着いた頃、震災から1か月半後に現地に入ったんです。で、初めて避難所で唄った時に、震災後初めて泣いたとか笑ったっていう人たちがあまりにも多くて……。それからは休みの日は東北に行くと決め、2011年は毎月行っていましたね。
なんでそんなに一所懸命チャリティーやるのって聞かれて、自分でも探ってみたんですけど、やっぱり長崎大水害とかうんぜんげんだけの噴火とか、そういう苦しい時に手を差し伸べてくれた人の有り難さ、恩って忘れられないんですよね。それをお返ししなきゃいかんなという思いが根底にあるんです。
ですから、能登はまだまだ大変な状況ですが、いずれ必ず行きたいと思っています。

鈴木 被災地の皆さんは喜ばれるでしょうね。

シンガー・ソングライター、小説家

さだまさし

さだ・まさし

昭和27年長崎県生まれ。48年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。51年ソロ・シンガーとして活動を開始。『関白宣言』『北の国から』など多くのヒット曲を生み、コンサートも通算4,600回を超える。小説家としても多くの作品が映画やドラマ化されるなど活躍は多岐にわたる。さらに公益財団法人「風に立つライオン基金」を設立し、被災地支援や助成事業も行っている。令和5年レコードデビュー50周年を迎え、今年(2024年)5月からは全国コンサートツアー公演が決定している。

50周年の節目を迎えていま心に抱く思い

鈴木 50周年を迎えていまどのような感慨を抱いていますか?

さだ どんな商売でもお店が50年続いたら老舗しにせだろうと思っています。そう考えると、よくお客さんが育ててくださったなと。これまでコンサートをやってこられたのも毎回お客さんが来てくれるからで、どこでやっても満席、満席という状態が続いてきました。
そういう意味では、ファンの方たちがいなくなるまでやらなきゃいけないという責任感だけで唄ってきた感じですね。

鈴木 本当に熱心なファンが多いですよね。

さだ 僕の場合、一番コアな年代は50代、60代です。最近ようやくその2世である30代、40代がさだまさしに気づき始めてくれて、さらに第3世代の10代の中にも、突出した熱心な子が何人か出てきましたね。不思議な感覚ですが、ああ、この子たちにも僕の世界観は伝わるんだなって。

鈴木 最近のりの歌はそうぞうしい歌が多いですけど、歌詞をちゃんと聴かせるさださんの歌に感動する若い世代が出てきたというのは、日本の希望ですね。さださんは何と言っても歌詞が素晴らしい。

さだ 本当ですか。なんか照れくさいな(笑)。

鈴木 私は『』という曲が大好きなんですけど、「こがらしが雑木林を転げ落ちて来る」、普通はこんな表現を使わないじゃないですか。でもすごくイメージが湧く。こういう感性はどこから来るんだろうと思ったことがあります。

さだ 作詞は難しいですよ。歌についている言葉ってナイフみたいなもので、ナイフでリンゴを切るとすごく切り口は鮮やかですが、そこから腐るんですよね。
だから、使いようによっては人を傷つけるし、間違った価値観を主張しているかのように受け取られる。『関白かんぱく宣言』なんか女性べっと言われた時は、本当にひざが折れました。「文脈をちゃんと読めよ。これのどこが女性蔑視なんだ」と。

鈴木 そう、よく読めばなんてことはない。『関白宣言』は大ヒットしながらも、賛否両論が巻き起こって社会現象になりましたよね。あの曲が出たのは確か……。

さだ 1979年です。

鈴木 私が鎌倉支店にいた時なんですよ。若い女性たちも「すごく面白い歌だね」と言っていました。

さだ いまでも非難する人は普通にいますけど、不思議なことに若いミュージシャンが結構唄いたがるんですよ。

鈴木 だって、いい歌だもの。

大和証券グループ本社名誉顧問

鈴木茂晴

すずき・しげはる

昭和22年京都府生まれ。46年慶應義塾大学経済学部卒業後、大和證券入社。引受第一部長、専務取締役などを経て、平成16年大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長、大和証券代表取締役社長。23年大和証券グループ本社取締役会長兼執行役、大和証券代表取締役会長。29年日本証券業協会会長に就任(令和3年まで)。令和3年大和証券グループ本社名誉顧問に就任。