2021年9月号
特集
言葉は力
インタビュー①
  • 天理大学ラグビー部監督小松節夫

「一手一つ」を掲げて
不動のチームに

2021年1月、ラグビー全国大学選手権にて強豪・早稲田大学を下して初の日本一を掴んだ天理大学。創部96年目、監督の小松節夫氏にとっては指導開始から28年目にして掴んだ栄冠だ。その苦節の歩みと共に、チームスローガン「一手一つ」に込めた思い、監督が心の支えとしてきた言葉を伺った(写真:2021年1月、全国初優勝を成し遂げた時。中央がキャプテンの松岡大和選手)。

この記事は約14分でお読みいただけます

コロナ禍を乗り越え掴んだ全国初優勝

——2021年1月に行われたラグビー全国大学選手権での日本一達成、誠におめでとうございます。

ありがとうございます。半年が経ち改めて考えるのは、選手たちの頑張りです。2020年はコロナで様々な制約があった中で、本当によく頑張ってくれたなと。
クラブにとっても創部96年目での初優勝です。天理ラグビーは中学・高校もありますが、日本一を つかんでいなかったのは大学だけ。OBをはじめ関係者皆の悲願でしたし、100周年を迎えるまでには何としても達成したいと考えていただけに、喜びは格別でした。

——小松監督にとっても指導開始28年目で掴んだ栄光でしたね。

長かったですね。1993年、30歳でコーチに就任した時は創部以来初となる悪成績で、関西大学ラグビーリーグでCリーグ(三部)にまで降格していました。そこからAリーグに戻るまでに9年、Aリーグで優勝するまでに9年、そして大学選手権で日本一を掴むまでに10年かかっています。

——一歩ずつ、着実に階段を上ってこられたことがよく分かります。

頑張っていると、10年に一度くらいよいことが訪れるのだと感じています。しかし2020年は、例年とは全く異なる戦いでしたので、非常に苦戦しました。
チームづくりにおいて一番大事な8月の夏合宿直前、選手の中にコロナ感染者を出してしまったのです。170名の部員全員が寮で共同生活をしていたため、 またたく間に感染が広がり、結局3分の1の52名が陽性となりました。いずれも軽症か無症状でしたが、私自身も寮で暮らしていたので、皆が濃厚接触者。保健所や大学などと様々な対応に追われました。
何よりクラスターを発生させてしまったということで、地域の方にも多大なご迷惑をお掛けしました。2週間の隔離生活中も、施設の敷地内でボールを触ったり軽いウエイトトレーニングをしていただけで、すぐに苦情が届いたこともあります。1か月後に大学から練習再開の許可が下りるまでは、とにかく我慢を強いられました。オンラインで皆が一緒にトレーニングするなど、可能な限り工夫を凝らしていましたね。

——あの頃は特にクラスターへの風当たりが強かったですね。

ええ。一方で本当に多くの方に感謝しきれないほど支えていただきました。スクールの子供たちや他の部活の学生たちから寄せ書きやビデオメッセージをいただいた他、学長からは「Tear Down Walls その壁を越えて、進め。」と激励の言葉をいただきました。この言葉は応援幕にし、いまもグラウンドの入り口に飾っています。
練習を再開した時は、それはもう、皆が嬉しそうに、幸せそうに練習していましたね。

——1か月のハンディを負った中、10月からの大会に向けて、どのように調整してこられましたか?

「ディフェンスからチームをつくる。身体の小さい選手がハードワークし、ボールをスピーディーに展開する」という基本に徹し、練習を重ねていきました。
キャプテンの松岡大和を中心に、4年生が強靭 きょうじんなリーダーシップでチームを引っ張ってくれていたため、その部分は彼らに任せていましたが、思いが空回りしないかとずっと気にしていました。ただ、全国大会の決勝戦前日のミーティングで、ゲームリーダーが「去年は自分の未熟さで負けた。だけど今年は大丈夫だ。俺に任せてくれ」と熱く選手に語りかけた言葉を聞き、大丈夫だと確信しました。

——過去の自分たちの弱さに打ちつことができた。

決勝戦では心配をよそに、最高のプレイをしてくれました。前年覇者の早稲田大学を相手に一度もリードを許すことなく、大学選手権の決勝戦史上最多となる55点をマークして、見事日本一の座を掴んでくれたのです。その勇猛果敢な姿に、「学生の力ってすごいな」と純粋に感動しました。
試合後、「あのプレイはすごかったですね。どういう練習をしたんですか」と様々な方から聞かれましたが、試合中に私も見たことのないような素晴らしいプレイが連発しました。よく、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と言いますが、まさにこの言葉の通りで、何か目に見えない力が働いているような不思議な感覚がありました。

天理大学ラグビー部監督

小松節夫

こまつ・せつお

昭和38年奈良県生まれ。天理小学校4年生の時にラグビーを始める。55年ラグビー高校日本代表。天理高校卒業後、フランスに2年間ラグビー留学し、同志社大学へ進学。日新製鋼でプレーを続け、30歳で現役引退。平成5年天理大学ラグビー部コーチに就任。7年に監督就任。