2023年4月号
特集
人生の四季をどう生きるか
インタビュー②
  • 福岡第一高等学校男子バスケットボール部監督井手口 孝

不遇の時代の過ごし方が
その後の人生を決める

福岡第一高校バスケ部を強豪校へと育て上げた監督の流儀

高校男子バスケ界で9度の日本一に輝く福岡第一高校バスケットボール部。この強豪を29年前に創部したのが現在も監督を続ける井手口 孝氏である。創部までの歩み、その後の全国制覇までの軌跡は決して一路順風ではなかったというが、いかにして苦境を乗り越え道を切りひらいてきたのか。氏の苦節の日々から学ぶべきものとは—―。

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バスケ部監督としての素地を培った青春期

——昨夏のインターハイ優勝、冬のウインターカップ準優勝、誠におめでとうございます。

ありがとうございます。上位にランクインできたといっても、うちはまだまだなんですね。昨年末のウインターカップの決勝はインターハイで勝った相手だったにもかかわらず、相手の勢いに完全にまれて敗北をきっしてしまいました。今年度は初戦の負け以外、トップリーグまで無敗を続けていたため、僕も選手たちもどこか油断があったのでしょう。技術面で実力差を痛感するなど、練習不足を感じる点が多々ありました。
3年生が引退して新チームになったいま、ゼロからチームをつくり上げるべく、ゲン担ぎの意味も込めて年始は1月1日の11時11分から練習を開始しました。

——ナンバー1、王座奪還へ向けての意気込みを感じます。井手口さんご自身もバスケットボール経験者だそうですね。

ええ。小学校5年生の時にクラブ活動の一環として始め、大学まで続けましたが、僕自身はあまり強い選手ではありませんでした。逆に、中学時代によい先生に巡り合えたことで、早々に将来は体育教員になりたい、バスケ部の監督に就きたいと夢を描くことができたんです。
僕らの時代はまだ手を上げて指導するのが当たり前だった中、中学のバスケ部顧問の原田耕吉先生は一切手を上げず、無理な練習を強要せず僕たちを指導してくれました。また、担任だった体育の高野栄一先生も大変な熱血漢で、卒業式には大泣きして送り出してくれる人情味あふれた先生でした。このお二人にあこがれ、教師を目指したのです。
将来、監督になったらチームを日本一に導くと決めていたので、日本体育大学に進学してからは、教員免許を取るかたわらバスケ指導にも携わることになりました。

——指導者になるという明確な目標を描かれ、早い時期から努力されていたのですね。

迷いはなかったですね。大学1年生の時に自ら名乗り出て、東京の玉川聖学院という女子高の学生コーチを卒業するまでの間務めさせていただきました。ところがその後、30代半ばまでは山あり谷ありの歩みで、希望通りにバスケ部の指導に携われない冬の時代を長く過ごすこととなりました。
初めに勤めた地元福岡にある中村学園女子高校では、最初の2年間は違う運動部の顧問を務めざるを得ず、3年目の1989年にようやくマネジャーという形でバスケ部に携われるようになりました。
当時中村学園女子バスケ部は日本一に向けて着実に力をつけていた頃で、マネジャーに就いた年に全国3位、翌年に2位、そして3年目で1位になりました。マネジャーという立場ではありましたが、全国制覇目前の3年間、頂点に上り詰めるまでの段階を一緒に携われたことは本当に貴重な経験でした。チームの役に立ちながらも自分の力を蓄える時期にしようと、監督が選手に語り掛けた言葉をひたすらメモをするなど、指導方法を貪欲どんよくに盗み取っていました。

——思い通りに指導に携われない時期でも、貪欲に学ばれていた。

僕は教員になる時、30歳までに自分のチームを持って、全国大会に出場するレベルにまで育てる、と目標を掲げていました。しかし、このまま中村学園女子に勤めていても、あと10年はマネジャーという立場から変われないだろう。強豪チームの下に就くよりも弱いチームでもいいから自分が1番上に立って指導したい、そう考え、30歳の時に私立福岡第一高校に転任しました。
ところがそこでも最初の1年間はバスケ指導に満足に携わることができず、不遇の時代を過ごします。結局、僕がそれまで12年間携わってきた女子の指導には関わることができなくなり、まだクラブとしてなかった男子バスケ部をゼロから創部し、顧問に就任することとなりました。31歳の時のことです。

福岡第一高等学校男子バスケットボール部監督

井手口 孝

いでぐち・たかし

昭和38年福岡県生まれ。西南学院高校から日本体育大学へ進学。大学時代からバスケットボールのコーチを務め、大学卒業後は地元・福岡県の中村学園女子高校に赴任。平成6年福岡第一高校に就任し、男子バスケットボール部を創部。創部5年目にインターハイ初出場。16年インターハイ優勝。過去インターハイ優勝5回(平成16年、21年、28年、令和元年、4年)、ウインターカップ優勝4回(平成17年、28年、30年、令和元年)。著書に『走らんか!福岡第一高校・男子バスケットボール部の流儀』(竹書房)がある。