2022年5月号
特集
挑戦と創造
対談
  • 江崎グリコ チョコレート・ビスケットマーケティング部部長(左)小林正典
  • 赤城乳業元常務(右)鈴木政次

ロングセラー商品は
弛まぬ挑戦によって
創り出させる

2021年40周年を迎えた氷菓「ガリガリ君」は、年間販売本数が4億本を超える。片や1966年に発売されたチョコレート菓子「ポッキー」は、世界売上№1(部門別)として2021年2年連続でギネス記録に認定された。「ガリガリ君」の生みの親かつ育ての親である鈴木政次氏と、江崎グリコでマーケティングを手掛ける小林正典氏による本対談。お二人が語り合うロングセラー商品を生み出した軌跡には、仕事の要諦が余すことなく詰められている。

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江崎グリコと赤城乳業の繋がり

小林 鈴木さん、初めまして。国民的氷菓「ガリガリ君」を生み、育ててこられた鈴木さんとの対談は恐れ多いと思いながらも、きょうはとても楽しみにまいりました。

鈴木 とんでもない。時代がまったく違いますから、きょうは私もぜひいろいろと学ばせてください。
実は私ども赤城あかぎ乳業は江崎グリコさんに随分と助けられたことがあります。ガリガリ君が生まれる直前の1980年頃のことですが、オイルショックのあおりを受けて赤城乳業は倒産の危機にひんしていました。その頃は「赤城しぐれ」というカップに入ったかき氷が主力商品だったんですけど、仕事がなくて工場が稼働しないものですから、グリコさんの下請けとして、同じく氷菓系の「グリコしぐれ」「パピコ」などを製造し、本当に助けていただきました。

小林 そんな時代があったのですか。私は1994年の入社ですから、初めて知りました。

鈴木 私のほうが20ほど年上ですので、私から簡単に自己紹介をさせていただきますと、大学を卒業した1970年に新卒で赤城乳業に入社し、一貫して商品開発や営業に携わり、2018年、72歳の時に定年退職しました。
なぜ赤城乳業を選んだかといえば、大学時代に第17代東大総長を務めたかや誠司さんが「鶏口牛後けいこうぎゅうご」と言っているのを聞き、大企業で大勢いる社員の一人になるよりも、小さな会社に入って、そこの頭として働いたほうがいいと思ったんです。その頃の赤城乳業は年商14億円くらいの中小企業でしたので、新しいヒット商品を生み出し500億円規模の会社にしたいと、大きな志を抱いていました。

小林 私も新卒で江崎グリコに入社しましたが、恥ずかしいくらいノンポリシーで就活をしていました。ちょうどバブル崩壊直後の就職難の時代だったため、たまたまご縁をいただけた江崎グリコに入社したんです。ただ、負けず嫌いなので営業部に配属されると自分に与えられたノルマは絶対に達成したい、いつか大きな企業を担当したいとすぐに仕事に没頭していきました。28年の社歴の中で営業が12年、残りがマーケティングや商品企画の仕事です。

赤城乳業元常務

鈴木政次

すずき・まさつぐ

昭和21年茨城県出身。45年東京農業大学卒業後、赤城乳業株式会社に入社。1年目から商品開発部に配属される。その後一貫して商品開発、営業に携わり、「ガリガリ君」「ガツン、とみかん」「ワッフルコーン」「BLACK」など数々のヒット商品を生み出し、国民的ロングセラーに育て上げた。現在、講演活動も幅広く展開し、「講演依頼.com」の依頼ランキングで殿堂入りを果たす。著書に『スーさんの「ガリガリ君」ヒット術』(ワニブックス)がある。

ガリガリ君はピンチの中から生まれた

鈴木 私は1年目に商品開発部に配属されて以降、退職するまでに1,000個以上の新商品をつくってきました。いまも世の中に残っているのはガリガリ君以外にチョコアイスの「BLACK」やみかんを凍らせた「ガツン、とみかん」など30商品くらいあります。

小林 30種類もですか。それはすごい。チョコレート菓子の市場だけでも毎年約1,000種類の新商品が生み出され、大半が1年以内に市場から姿を消すといわれていますから、どれだけ大変なことかがよく分かります。

鈴木 時代がよかったんですよ。ただ、先ほどもお伝えした通り、オイルショックの頃に会社が倒産の危機に直面しました。材料費の高騰により売れば売れるほど赤字になるので、やむなく値上げしたところ今度は全く売れなくなり、二進にっち 三進さっちもいかなくなりました。
1979年、当時商品開発部のリーダーだった私に、このピンチを打開するべく「赤城しぐれに匹敵する会社の柱になる新商品を開発せよ」との指令が下りました。それで2年がかりでつくったのがガリガリ君なんです。

小林 ああ、逆境の中からあの大ヒットが生み出されたのですね。

鈴木 その頃、ファストフードが次々に日本に入ってきた頃だったので、ワンハンドで気軽に食べられるアイスにしようというコンセプトだけはありました。ただ、それまでカップだった商品をバーにしただけだったら、問屋さんから安売りしろと値切られるのがオチですので、当初から既存の売れ筋フレーバーは絶対に使わないと自分の心に誓っていました。
それでどうなったかというと、残っているのは売れない味ばかりですので、味が決まらず悩みに悩んで円形脱毛症になり、自殺寸前にまで陥りました。人間っておかしなもので、追いつめられると逆に頭がえてくるんです。
その時も自分の中にいるもう一人の自分が、「おまえは自分の業界しか見ていないじゃないか」って言うんですよ。それで冷静になってアイス業界以外に目を向けると、飲料業界で不滅のナンバー1商品があったんです。それがサイダーとかラムネでした。そこから着想を得て、ガリガリ君のソーダ味が誕生したんです。

小林 追い詰められた先にひらめきが得られるということですね。

鈴木 ネーミングに関しても、「赤城しぐれ」を木のスプーンで削った時のガリガリという音を商品名にしたいということは決まっていました。しかし、いまいちピンとこず悩んでいると、当時まだ専務だった井上秀樹会長が「〝君〟をつければ?」とさらっとおっしゃったんです。それでガリガリ君となりましたが、君をつけたことで愛着が湧いて多くの人に商品を認知してもらえるようになっただけでなく、口コミで広がっていく要因にもなりました。

小林 ガリガリ君という名前は一度聞いたら忘れられません。

鈴木 1981年に商品化され、おかげさまで2021年40周年を迎えました。現在は年間4億本以上販売されていて、ガリガリ君のおかげで赤城乳業は倒産の危機から脱することができたんです。

江崎グリコ チョコレート・ビスケットマーケティング部部長 小林正典こばやし・まさのり昭和46年大阪府生まれ。平成6年新卒で江崎グリコに入社。9年間営業職に従事後、マーケティング職へ異動。3年後に「おつまみスナック」という新ジャンルを生み出す。チョコレート部門に異動後は、売り上げが横ばいだった定番商品「ポッキー」の売り上げを5年間で50億円伸ばした他、数々のヒット商品を手掛けた。著書に『結果を出すのに必要なまわりを巻き込む技術』(ポプラ社)がある。