2022年5月号
特集
挑戦と創造
対談
  • 東京パラリンピック ゴールボール女子銅メダリスト(左)浦田理恵
  • 東京パラリンピック 女子マラソン金メダリスト(右)道下美里

誠の花を咲かせる生き方

東京2020パラリンピックの女子マラソンで金メダルに輝いた道下美里さんと、ゴールボール女子で銅メダルを掴み取った浦田理恵さん。両目が不自由になるという人生の試練に直面しながらも、様々な挑戦を続け、世界の舞台で活躍してきたお二人に、人生をひらいていくヒント、自分らしい誠の花を咲かせる生き方について語り合っていただいた。

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お互いに尊敬し合う二人

浦田 道下さん! きょうお会いできるのをずっと楽しみにしていました。あとで一緒に写真撮りません?

道下 ぜひ、ぜひ。私もきょうはすごく楽しみにしていました。

浦田 大会などでお会いするようになる前から、道下さんのご活躍は耳にしていました。すごく体は小さいけれど、すごい走りをする人がいる。しかもその人はこの近くの大濠おおほり公園(福岡県)で練習していて、笑顔がとても素敵なんだよって。
それで実際にお会いしたら、本当に小さくて、どこからそんなエネルギーが出せるんだろう、その秘密を知りたいと思いました。また、道下さんは体の内側から出てくるような芯の通った声で、それがマラソンの走りにも表れているなって感じました。もうとにかくキラキラしている人、それが私の道下さんの第一印象でしたね。

道下 私も浦田さんのことを初めて知ったのは、テレビ番組でした。そのテレビ番組では、浦田さんがカメラで写真を撮っている様子が紹介されていて、「視覚障がい者なのに写真を撮る。なんて探求心が旺盛な方なんだろう」と(笑)。
その後、IBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)の世界選手権大会(2007年)に参加した際に直接お会いして、移動のバスの中などでも、周りの人たちまで明るくする浦田さんのお人柄がすごく伝わってきました。ただ、その時はテレビに出るような人に気軽に話しかけていいのかなっていう遠慮があって、素敵な人なんだなって思いながらも、ちょっと遠目から見ている感じでした。
実際、浦田さんは2008年の北京パラリンピックに出場され、2012年のロンドンパラリンピックでは金メダルを獲得されました。常に自分の前を走っている女性、自分もこうなれたらいいなと思える明るくて素敵な人。それが私にとっての浦田さんですね。

東京パラリンピック 女子マラソン金メダリスト

道下美里

みちした・みさと

昭和52年生まれ、山口県下関市出身。中学2年生の時に右目を失明。25歳の時、左目に原因不明の難病を発症し、のちに「膠様滴状角膜ジストロフィー」と判明。平成15年盲学校に入学し、在籍中に陸上競技と出合う。最初はダイエット目的で走り始め、20年フルマラソンに挑戦。その後も「あきらめない心」「挑戦する心」をモットーに、数々の大会に出場。28年三井住友海上に入社。29年女子視覚障がいマラソンの世界記録を樹立し、その後2度更新。令和3年東京パラリンピック女子視覚障がいマラソンで金メダルを獲得。

皆で掴んだ金メダル

浦田 道下さんも2016年のリオパラリンピックで銀メダルを、今回の東京パラリンピックでは見事金メダルを獲得され、本当に素晴らしいです。ブラインドマラソンが行われた9月5日、私もその会場にいたんですけど、道下さんが1位で国立競技場に入ってきた時、それまで降っていた雨がやんで、太陽の光が雲間からさっと差してきたとレポーターの方が解説しているのを聞き、「ああ、天をも味方にしているんだ」って感動しました。目では見えなくても、太陽の光に包まれてゴールする道下さんの姿がイメージできました。

道下 そう言っていただけてとても嬉しいです。銀メダルに終わった2016年のリオパラリンピックの時は、レース後半で失速してしまうという練習でもやったことのない展開になって、改めて大舞台で自分のパフォーマンスを100%出すことの難しさを思い知らされました。そこからの5年間は、その悔しさを原動力に練習メニューを一から見直して徹底的に心肺機能を強化し、毎回の練習で自分に課された設定を必ずクリアすることを繰り返していったんです。もう絶対負けない、誰よりも強い自分になろうという思いでした。

浦田 かっこいい。さすがです。

道下 また、レースの前にシドニーオリンピック金メダリストの高橋尚子さんから、「スタートラインに立った時に周りの選手を見渡してみて、常に誰よりも自分が勝っている、強いと思える状態にしておくことが大事だよ」ってアドバイスをいただいたんです。要するに、レースが始まる前にほぼ勝敗は決まっていると。だから、東京パラリンピックでは、事前に走るコース、気象条件などを徹底的に調べて、どんな状況にも対応できる状態にして当日のスタートラインに立ったんです。すると、リオパラリンピックの時とは全然気持ちが違って、あとはレースを楽しむだけという感覚でした。レース中も42・195キロ、もう終わっちゃうのっていう感じでした。
でも、自分の気持ちをそこまで持っていけたのは、やっぱり周りの仲間たち、関係者の方々が支えてくれたからです。事前の準備など一人ではできないことがたくさんありました。私は本当に素晴らしい仲間たちに恵まれました。

浦田 表彰台で、道下さんは自分よりも先に伴走者に金メダルをかけてあげていましたよね。これにもとても感動しました。

道下 私はもともとすごくネガティブ思考で、特に大きな大会の時は物事をマイナスに考えてしまうことが多くて……。そんな時、伴走者をはじめ、いろんな方が目標に向かっていけるように励ましてくれました。だから、自分というよりも、むしろ励ましてくれた人たちが金メダルだよねっていう思いがあって、思わず伴走者にメダルをかけてしまいました。

東京パラリンピック ゴールボール女子銅メダリスト

浦田理恵

うらた・りえ

昭和52年熊本県生まれ。20歳を過ぎて「網膜色素変性症」と診断される。視力センターに入所した際、卒業生の小宮正江選手が活躍する姿に憧れゴールボールを始める。平成21年世界を目指すパラアスリートを現役時代だけに限ったサポートではなく、アスリートとしても社会人としても生涯、社会に参画できるよう仕事と競技の両立をはかり活動することを目的とした組織「シーズアスリート」に所属し、総合メディカル㈱の社員となる。24年ゴールボール競技の日本代表副主将としてロンドンパラリンピックに出場し、金メダルを獲得。リオデジャネイロ2016パラリンピック5位、東京2020パラリンピックで銅メダルを獲得。