2020年5月号
特集
先達に学ぶ
対談
  • (左)志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃
  • (右)福祉友の会会長衛藤ヘル・サントソ

インドネシアで
英雄となった日本兵

1945年8月15日、日本は敗戦した。その2日後、インドネシアは独立を宣言するも、連合国はそれを認めず、再び侵攻。二度に渡るオランダ軍との独立戦争に際し、インドネシア義勇軍と共に戦った1,000名の日本兵がいたことを知る人は多くないだろう。彼らは後に勲章を与えられ、インドネシアの英雄基地に埋葬されている。残留日本兵を父に持つ衛藤ヘル・サントソ氏と、氏の活動を応援している上甲 晃氏に、忘れられつつある歴史の真実と先人たちの足跡に光をあてていただいた。

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カリバタ国立英雄墓地に眠る28柱の日本人

上甲 ヘルさんとお会いするのはきょうで4回目ですね。初めて出会ったのは2019年9月、インドネシアの南ジャカルタにあるカリバタ国立英雄墓地を訪ねた時でした。そこでの自己紹介がいまも印象に残っています。「フエル(増える)の反対は何ですか」と聞かれて答えに詰まっていたら、「ヘル(減る)です」って(笑)。極めて気さくな方だなと感じました。

ヘル 皆さんなかなか覚えてくれないもんやからね(笑)。いろいろ考えた末に、これなら一生忘れられないかなと思ったんです。
私は志という漢字が好きなので、日本で志の高い人たちを育てていらっしゃる上甲先生とご縁をいただけて本当に嬉しいです。

上甲 私が主宰している志ネットワーク「青年塾」では、志の高い日本人を育てる活動の一環として「世界から目を離すな!」というシリーズで毎年諸外国を訪問しています。これまでオーストラリアやインド、ベトナム、イスラエル、トルコ、ロシアなどを巡り、2019年が9回目でインドネシアでした。
インドネシアに着いて最初の行き先が国立英雄墓地だったんですけど、当初私は、単に戦争で亡くなった人たちへの慰霊だと思っていました。ヘルさんが案内してくれるまで、その墓地を訪ねることにどんな意味があるのか、誰がまつられているのか、実は分かっていなかったんです。
そこで初めて残留日本兵の話を聞いて深く感じ入り、しかも残留日本兵であるヘルさんのお父さんが埋葬されていると知って、非常に驚きました。

ヘル 国立英雄墓地にはインドネシア独立戦争中に戦死した将兵、戦後亡くなった元将兵、約7,000柱が埋葬されています。その中に、インドネシア独立戦争に命懸けで参加した残留日本兵のうち、28柱が埋葬されており、私の父・衛藤七男もその一人でありますので、大変誇りに思っています。

上甲 安倍首相もインドネシアに来ると参拝されるそうですね。

ヘル はい。2回来ていただきました。国立英雄墓地以外にもインドネシアには英雄墓地が各地にあって、そこに埋葬されている残留日本兵もいれば、ご遺族の意向もあって民間の墓地に永眠されている方もいます。

福祉友の会会長

衛藤ヘル・サントソ

えとう・ヘル・サントソ

1960年インドネシア共和国スマトラ島メダン生まれ。日本人の父とインドネシア人の母を持つ日系二世。高校卒業後、20歳の時に日本へ留学し、日本語を学ぶ。1987年帰国し、パナソニック・マニファクチャリング・インドネシア入社。現在、同社副社長を務める。2009年より福祉友の会会長。

インドネシア人は日本に感謝している

上甲 そもそも残留日本兵が一体どういう活躍を遂げたのか、歴史的な背景を交えながらお話しいただけますか?

ヘル ご承知の通り、第二次世界大戦下、日本はABCD包囲網によって石油や工業資源の輸入を断たれ、自力で油田地帯を確保しなければならず、アジア地域を広範囲にわたって統治しました。
インドネシアはそれまで約350年間、オランダの植民地だったわけですが、オランダは部族抗争を激化させたり、教育を禁止したり、重税を課したり、インドネシアの人たちを苦しめる政策を戦略的に行っていました。
そんな中、1942年に日本軍とオランダ軍が戦火を交えます。1月11日、セレベス島メナドに日本軍の落下傘部隊が投入され、それを見たインドネシアの民衆は感動するんですね。
なぜなら、現地には「ジョヨボヨの予言」といって、「我が民族が危機にひんする時、空から白馬の天使が舞い降りて助けに来てくれる」という神話が昔から語り継がれていたためです。

上甲 空から白いパラシュートで降りてきた日本兵が神話に描かれた天使の姿と重なったのですね。

ヘル それでインドネシアの民衆は日本軍を全力で支援し、セレベス島にいたオランダ軍約3万5,000人に対して、日本軍の兵力はその百分の一だったにもかかわらず、わずか一週間足らずで制圧しました。
2月14日にはスマトラ島パレンバンでも落下傘部隊による作戦が敢行かんこうされ、3月1日に日本軍がジャワ島に上陸すると、何と8日間でオランダ軍を全面降伏させたんです。これにインドネシアの民衆は狂喜乱舞きょうきらんぶするんですね。

上甲 350年も続いたオランダの植民地支配を、あっという間に一掃したと。

ヘル そこから約3年半、インドネシアは日本統治下にありました。初等学校、師範学校、専門学校、訓練学校を設置し、教育の基盤を整えたり、250ほどあった民族語をインドネシア語に統一し、その普及に務めたり、インドネシア人に軍事訓練をほどこし、インドネシア人による初めての軍隊である祖国防衛義勇軍(PETAペタ)を創設したり。日本の影響は随分大きいですよ。
PETAは後にオランダ軍との独立戦争で指導的役割を果たすことになりますが、PETAの旗は旭日旗きょくじつきによく似ていますし、「大団長・中団長・小団長」という呼び名も使われていました。だから、インドネシア人は日本に感謝しているんですよ。

上甲 インドネシア人に親日家が多いのもそういう背景があるからなのでしょうね。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書多数。近著に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(致知出版社)。