1945年8月15日、日本は敗戦した。その2日後、インドネシアは独立を宣言するも、連合国はそれを認めず、再び侵攻。二度に渡るオランダ軍との独立戦争に際し、インドネシア義勇軍と共に戦った1,000名の日本兵がいたことを知る人は多くないだろう。彼らは後に勲章を与えられ、インドネシアの英雄基地に埋葬されている。残留日本兵を父に持つ衛藤ヘル・サントソ氏と、氏の活動を応援している上甲 晃氏に、忘れられつつある歴史の真実と先人たちの足跡に光をあてていただいた。
福祉友の会会長
衛藤ヘル・サントソ
えとう・ヘル・サントソ
1960年インドネシア共和国スマトラ島メダン生まれ。日本人の父とインドネシア人の母を持つ日系二世。高校卒業後、20歳の時に日本へ留学し、日本語を学ぶ。1987年帰国し、パナソニック・マニファクチャリング・インドネシア入社。現在、同社副社長を務める。2009年より福祉友の会会長。
志ネットワーク「青年塾」代表
上甲 晃
じょうこう・あきら
昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書多数。近著に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(致知出版社)。