2019年6月号
特集
看脚下
  • 画家、詩人河村武明

感謝の力が
不可能を可能にする

音楽活動をしていた34歳の時に、突然脳梗塞を発症、言語障がい・聴覚障がい・右手麻痺・失語症という重度障がい者になった河村武明氏。その最大の絶望と逆境を乗り越え、いま画家・詩人として幅広い創作活動を展開し、人々に生きる希望を与え続けている河村氏に、体験の中から掴んだ人生発展の法則を語っていただいた。

この記事は約10分でお読みいただけます

歌を歌うことだけが生きる希望だった

1967年、僕は徳島県阿南あなん市で生まれました。父は歌がとても大好きで、もう40年以上、80歳になるいまも市のコーラス部に参加して元気に歌っています。そんな父の影響なのでしょう、僕も歌が好きになり、小学生の頃からギターを弾いて歌っていました。

中学・高校では、横浜銀蝿ぎんばえ、矢沢永吉、ビートルズなどの音楽に夢中になり、大学でも最初に訪ねたのは軽音楽部。ここでいまも付き合ってくれる大切な仲間たちと出逢い、バンド活動とバイトと恋に忙しい大学生活を送りました。

人並みに就職活動をし、大阪の上場企業に就職しましたが、「サラリーマンは自分に合わない」「自由に生きたい」と思い、退社しました。その後は様々な職業を転々としながら、並行して「たけかめ」という音楽ユニットをつくり、平日は仕事、土日はライブハウスなどで歌を歌う充実した日々を過ごしました。仕事はまったく続かない男でしたが、歌は裏切らない、歌だけが自分の唯一の救いでした。

世の中には不可能、無理だと言われることを実現していく人がいます。その反対に「どうせできるわけがない」とすぐあきらめてしまう人がいます。当時の僕は後者のすぐ諦めてしまう人間だったように思います。仕事も音楽も家庭を持つことも、人並み以上に何一つ成功したことがない人間でした。あの出来事が起こるまでは。

画家、詩人

河村武明

かわむら・たけあき

昭和42年徳島県生まれ。京都の地元バンド「たけかめ」を結成し、音楽活動に従事していた平成13年、34歳の時に脳梗塞で倒れ、重度障がい者に。動く左手を使って絵と詩で表現活動を始め、多くの反響を得る。現在は、全国での個展・講演、企業広告、雑誌連載などを行い、その活動は広がり続けている。著書に『ありがとうの奇跡』(ヒカルランド)などがある。