2022年9月号
特集
実行するは我にあり
対談
  • 一幸庵店主(左)水上 力
  • Sadaharu AOKI paris オーナーシェフ(右)青木定治

最高の菓子づくりに生きる

東京・茗荷谷に店を構えて45年、世界の料理人が絶えず見学に訪れるお菓子調進所「一幸庵」。店主の水上 力氏を〝親父さん〟と慕っているのが、洋菓子の本場・パリで人気を博し、国内外で計14店舗を展開するSadaharu AOKI paris オーナーシェフの青木定治氏。20年来の仲である二人はいかにして和菓子と洋菓子、それぞれの世界を牽引してきたのか。その実践の歩みを辿ることで、一流の仕事とは何かが見えてくる。

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20年前の邂逅を振り返って

青木 親父さん、ご無沙汰しております。以前お会いしたのはコロナになる前でしたね。

水上 そうだね。きょうは青木さんに食べてもらおうと思って、昨日青梅のジャムをつくったんだよ。それからこれがつくしの砂糖漬け。これなんかケーキに乗っけたらどうかな? それかチョコレートなんかをかけたりしてさ。

青木 いいですね。親父さんは和菓子の枠にとらわれず、いろいろな挑戦をされているから、会う度に刺激をいただいています。
日本の職人さんというと結構寡黙な方が多いと思うんですけど、フランスは皆よくしゃべるんですよ。僕は20歳からフランスに行っているので、その影響を多分に受けて一人で喋り続けてしまう(笑)。初めて親父さんにお会いした時、和菓子界の大巨匠ということで恐れ多くて緊張しながらお邪魔したんです。そうしたら、なんと優しいことか。お忙しいのに心のこもったおもてなしをしてくださり、お菓子の歴史からつくり方、仕入先まで懇切丁寧に教えてくれた。その心遣いに感激しました。

水上 あれは確か、青木さんが日本第一号店をオープンする直前だったかな?

青木 そうです。2005年に日本第一号店を東京・丸の内にオープンしているので、2003年頃だったと思います。

水上 青木さんは洋菓子の本場・パリで生き抜いてきただけあって、初めて会った時からすさまじいバイタリティーに敬服しています。だから自分が持っているものすべてを伝授しなきゃと思って教えてきたけど、青木さんはそれを一所懸命受け止めてくれたから嬉しかったし、教えていて面白かったね。
うちには国内外からたくさんのプロが教えをいにやってくるけど、大抵が感動してそれで終わり。ところが青木さんは私の作業を見ながら、それをどう自分の仕事に活かそうかと常に考えている。会った瞬間から、「この人は違うな」と思ったね。

青木 その頃、パリのお店で小豆あずきや抹茶など和の食材を使ったお菓子をつくろうと思っていたんです。それで和菓子を本格的に習おうと思ったら、「あんこならいっこうあんだ」と知り合いから親父さんを紹介していただきました。それで一幸庵の近くのホテルに泊まって、約1か月、毎日通い詰めたと思います。小豆の炊き方から四季折々の菓子など、親父さんの話はどれも目からうろこで、大学ノートにびっしりメモを取ったことを覚えています。

一幸庵店主

水上 力

みずかみ・ちから

昭和23年東京都生まれ。江戸菓子屋の四男として育つ。京都・名古屋で約5年間、和菓子職人としての修業を積み、52年東京・茗荷谷に「一幸庵」を開店。「エコール・ヴァローナ 東京」や「ジャン・シャルル・ロシュー」といった国際的なパティスリーメゾンとのコラボを積極的に行う。著書に日英仏の3か国語で書いた『IKKOAN 一幸庵 72の季節のかたち』(青幻舎)の他、『和菓子職人 一幸庵 水上力』(淡交社)がある。

互いに尊敬し影響を受け合う

水上 私は洋菓子のことは何も分からなかったから、逆に青木さんから随分と勉強させてもらったし、海外から見ていかに和菓子の文化や技術がすごいかということを教えてもらったね。だから、和菓子と洋菓子がコラボすれば、何でもできるんじゃないかと思っているの。それも、あんこにチョコレートや生クリームを混ぜるとかそんなレベルじゃなくて、青木さんと私の代表的なお菓子を融合させた一流ものをつくりたい。
もし青木さんと知り合うのが10年早かったら、私もパリの舞台に挑戦していたかも(笑)。逆に青木さんと出逢わなかったら、一介の偏屈な和菓子屋の親父で終わっていたと思います。

青木 僕が親父さんから学ばせてもらったのは、原材料にとことんこだわった、生産者の顔が見える菓子づくりです。親父さんは食材に一切妥協せず、現地に行って信頼する人から仕入れているので、味に絶対の自信がある。僕もそれにならって、パリに戻ってから各産地を回って、本物の食材だけを扱うようになりました。
それから、親父さんは永遠の現場派で、ずっと厨房に立たれていますよね。僕はいまパリに5店舗、日本に9店舗の両方を見ている上に、メディアの仕事なども増え、厨房に入れる時間が減ってしまって、それがものすごくストレスなんです。どこにいてもお菓子をつくれる環境を整えてはいるんですけど、僕も気づけばもう54歳なので、親父さんのようにそろそろ後世に伝える世代に入ってきているのかなと考えるようになりました。
これまでは習いたい、もっとおいしいものをつくりたいという情熱だけで突き進んできたけど、それだけじゃ駄目で、文化や歴史も含めて伝えていける人間にならなければと考えているところです。

Sadaharu AOKI paris オーナーシェフ

青木定治

あおき・さだはる

昭和43年愛知県生まれ。青山シャンドンで働いた後、64年に渡仏。平成7年仏・パティシエの登竜門「シャルル・プルースト杯」において味覚部門優勝。現在パリに5店舗、日本に9店舖を持つ。30年フランスの権威あるショコラ品評会「C.C.C.(ClubdesCroqueurs de Chocolat)」にて、5年連続最高位、8年連続の受賞。著書に『パリ発! サダハル・アオキのフランス菓子』(NHK出版)『サダハル・アオキのお菓子』(角川マガジンズ)など多数。