2022年9月号
特集
実行するは我にあり
対談
  • 野口石油会長(左)野口義弘
  • スクールカウンセラー (右)堀井智帆

愛するところに
人生の希望は生まれる

少年たちの声なきSOSに耳を傾け続けて

暴走族や薬物乱用、引きこもり、家庭内暴力など、心に闇を抱えた子供たちは増え続けている。野口石油会長の野口義弘氏、スクールカウンセラーで元福岡県警少年育成指導官の堀井智帆氏は、共に福岡県北九州市で長年そのような子供たちに向き合い更生の手助けをしてきた。野口氏は自身が経営するガソリンスタンドで160人以上を就業支援し、一方の堀井氏は延べ2,000人の子供たちの声なきSOSに耳を傾けてきたという。誰もが手をこまねく非行少年たちは、無私なる二人の実行によってどのように変わっていったのだろうか。

この記事は約26分でお読みいただけます

手のつけられない非行少年が更生

堀井 野口さんとは長年、少年非行問題に一緒に取り組んできましたので、こうやって対談の機会をいただいてとても嬉しく思っているんです。

野口 私も『致知』さんからご連絡をもらった時、一も二もなくお引き受けしました。
堀井さんと最初にお会いしたのは福岡県警の付属機関として北九州少年サポートセンターが設立された2003年でしたね。堀井さんはセンター設立以来、子供たちの立ち直りを支援する少年育成指導官として頑張ってこられて、私は自分の娘のように思ってきました。きょうはいつもの「堀井ちゃん」ではなく「堀井さん」と呼ばせてもらいますね(笑)。

堀井 野口さんの奥様とは以前、サポートセンターで一緒に仕事をさせていただいていたので、その意味でもご縁が深いです。
私は昨年、病気をしてサポートセンターを退職し、いまはスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーや家庭支援の活動が中心になりましたが、やっていることはさほど変わりません。野口さんご夫妻といまもお付き合いを続けさせていただいているのは、とてもありがたいことですね。

野口 こうして手元にある過去の書類をめくっていると「北九州サポートセンター、堀井氏の案件」と書かれた保護観察官からの文書が数多くあります。堀井さんが担当された子供たちを、協力雇用主としてこれまで数多く私が経営するガソリンスタンドで受け入れてきましたが、その一人ひとりにはいろいろな思い出がありますよ。これを話し始めると切りがありません。

堀井 そうですね。

野口 この書類にあるミタニ君もそうでしたね。彼の父親は覚醒剤依存で母親は8人変わりました。中学校にも行かず、「生まれた時から自分には母ちゃんがおらんやったけん、母ちゃんのことは知らん」と言って、夜の街に出て遊び回って白バイを煙に巻くわ、盗んだ軽トラを門司港もじこうに投げ込むわ、違法ドラッグにはまるわ、もうむちゃくちゃでしたよ。ほとほと手を焼く子でした。
信じられないことに、彼は16歳で住むところがないんです。それで私が連帯保証人になってアパートを世話して家賃も出してあげましたけど、仕事の8割は遅刻、欠勤でね。それをいつも私や家族、従業員が迎えに行くわけです。

堀井 ミタニ君が補導された時、彼が持っていた大麻たいまを野口さんが警察署まで持ってこられたことがありましたね。野口さん自身が大麻所持になるというので警察も大あわてしていたんですけど(笑)、子供たちのためと思ったらそのくらい必死にやられる。

野口 それでもミタニ君は見事に立ち直ってくれました。ある時、うちのガソリンスタンドで仕事中に先輩から「そんなんもできんのか、バカか」と言われてカッとなったけど、「僕が店で売り上げトップになって、すぐに辞めたら、あの人も会社も困るやろ」と発奮して懸命に働くようになるんです。それを見て私が「最近、おまえすごいやないか」とめてあげたらとても嬉しかったみたいですね。それまで人に褒められるという経験が彼にはなかったわけだから。
それからもトラブル続きで、その度に堀井さんや警察、弁護士、保護司などの手をわずらわせましたけど、いつの間にか彼がおらんかったらガソリンスタンドの仕事が回らんというくらい成長してくれました。結局うちには8年6か月勤めました。

堀井 ミタニ君はいま独立して内装の会社を立ち上げていますね。野口さんと同じように自分も非行少年を雇うんだと言って頑張ってくれています。

野口 嬉しいですね。そうやって立ち直ってくれる子の姿に接するのが私の一番の喜びです。

野口石油会長

野口義弘

のぐち・よしひろ

昭和18年鹿児島県生まれ。熊本県内の中学卒業後、九州産交に入社。ガソリンスタンド会社に勤務後、平成7年野口石油を設立、社長に就任。同年福岡保護観察所に協力雇用事業所として登録。現在、北九州市内に3か所のガソリンスタンドを経営。160人を超える非行少年たちを雇用してきた。27年吉川英治文化賞を受賞。

「あんないいところない。だから戻る」

野口 同じように、少年院に行くところをうちで受け入れた女の子にサヤカちゃんがおります。この子も堀井さんの担当の子でした。中学生になった途端、まるで男の子みたいに喧嘩けんか恐喝きょうかつ、傷害を繰り返すようになって、過去に少年院に3回、短期入所しましたかね。彼女も可哀想な生い立ちでした。

堀井 サヤカちゃんは最初は私の担当ではなかったんです。その日、私は子供が体調を崩して早く帰ろうと思っていました。そういう時にサヤカちゃんが警察に保護されてサポートセンターに連れてこられたんです。「私はきょうは手伝えません」と言って帰ろうとしたのですが、エレベーターのところで大暴れしていて、相手が女の子だから男性のスタッフたちも下手に手を出せない。
私が見るに見かねて「ねえねえねえ、ちょっとおいで」と言って事務所の私の部屋に連れていこうとしました。ところが、3時間くらいエレベーターの「閉」のボタンを押し続けて籠城ろうじょうですよ。私は家に帰れなくなり、子供のことはお祖母ちゃんにお願いすることにしました。この子との関わりが始まったのは、そこからですね。

野口 もう10年くらい前になりますね。サヤカちゃんは堀井さんに一番、心を開いていて、何かあったら「堀井さん、堀井さん」と慕っていました。

堀井 この子は母子家庭で、父親のことはまったく覚えていません。お母さんは昼間はスーパー、夜はスナックで働いていて、普段の生活はお祖母ちゃんが面倒を見ていたんです。中学生になると夜遊びが始まって、お母さんに注意されると「おまえだって私を置いて、夜遊びをしよるやんか」と。
スナックで働いていることが、彼女からしたら楽しそうに酒を飲んで夜遊びをしていることと同じだったんです。その頃、お母さんには交際相手の男性がいて、帰宅するのはいつも朝でした。そのことが「ちっちゃい頃からずっと一緒にいてくれなかった」という恨みを増幅ぞうふくして「自分も同じことをする」といって暴力や恐喝を繰り返すようになったんです。
私もずっと寄り添ってきて、携帯電話で連絡を取り合ったり家に行ったりして夜中でも話を聞いてあげることはしょっちゅうでした。この子が二度目に逮捕されたのが、ちょうどクリスマスイブの夜で、警察官が行っても玄関を開けないだろうからと私が一緒に行って説得したんです。だけど、この子はずっと部屋の中で爆睡していて、我が子のクリスマスケーキは何時間も車の中に置かれたまま、それでも家の前で何時間も待ち続けました。そんなこともありましたね。
最後には、お母さんにこれまでを振り返ってもらい、「私のやったことはよくなかった」「本当に寂しい思いをさせて申し訳なかった」と謝って仲直りできましたけど、それまでは本当にいろいろなことがありました。

サヤカさんの子を抱く堀井氏

野口 サヤカちゃんはうちに1年くらいおりました。だけど、夜の仕事が稼ぎがいいからといって出て行ったことがありましたね。

堀井 ええ。夜の仕事に行くようになって、そこでまた事件を起こしてしまうんです。それで少年院から出て来た時、こう言っていました。「野口石油、あんないいところないやん。だから戻る」と。本人は野口さんがどういう人かがよく分かっているんです。散々迷惑をかけときながら(笑)。

野口 嬉しいですね。

堀井 いまは子供を産んで母親になっています。結果的にシングルマザーになりましたけど、彼女は自分がしたような寂しい思いはさせたくないというので、OLをしながら本当に一所懸命に子育てをやっています。
そういえば、出産の時、私「立ち会って、絶対にへそを切る」と言ったんです。「家族だけでなく散々迷惑を掛けられた堀井さんにも切る権利があるやろ」と(笑)。

スクールカウンセラー

堀井智帆

ほりい・ちほ

昭和52年神奈川県生まれ。西南女学院大学福祉学科卒業。児童養護施設勤務を経て平成15年福岡県警察本部北九州少年サポートセンター勤務。延べ2,000人の非行少年に向き合う。今年同センターを退職。現在はスクールカウンセラーなどとして子供家庭支援、講演活動などを行う。著書に『非行少年たちの神様』(青灯社)。