2026年11月号
特集
夢なき者に
成功なし
一人称
  • 桃李塾塾長川口雅昭

いまこそ
吉田松陰の志に学ぶ

弊社から吉田松陰に関する書籍を数多く出版し、現在は国家社会を支えるリーダーを輩出すべく、桃李塾塾長を務める川口雅昭氏。この3年半、松陰研究にも一層力を注ぎ、新たに解明したことがあるという。幕末の動乱期に松陰はいかなる夢を持って生きていたのか。当時にもまして内憂外患の多い現代、いまほど松陰の生き方に学び、実践することが求められている時はない。

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    桃李塾塾長

    川口雅昭

    かわぐち・まさあき

    昭和28年山口県生まれ。高校・大学勤務を経て、現在は吉田松陰研究に専念。編著に『吉田松陰一日一言』『「孟子」一日一言』。著書に『吉田松陰』『吉田松陰名語録』『活学新書 吉田松陰修養訓』(いずれも致知出版社)など。

    吉田松陰の研究を重ねて55年

    55年――吉田松陰の研究を一いち途ず一いっ心しんに続けてきて、気づけば半世紀以上の歳月が経ちました。どれだけ研究を重ねても「研究にこれでよし」はなく、まだその全ぜん貌ぼうは解明できていません。学べば学ぶほど、吉田松陰という人物の器量の大きさや奥深さに魅了され、そして新たな発見があるのです。

    私が松陰に魅せられた端たん緒しょは18歳の時に遡さかのぼります。大学1年次に、高校時代の校長で山口県教育庁の指導課長を務める上田孝治先生から直接指導を受ける機会がありました。上田先生は東京帝国大学平ひら泉いずみ澄きよし研究室のご出身で、大だい和わ書房版『吉田松陰全集』の編へん纂さんに携たずさわっておられた方です。

    ある日、「私も吉田松陰先生をよく知りません。一緒に勉強しませんか」とお声掛けいただき、一対一の勉強会が始まりました。『講こう孟もう劄さっ記き』を一頁ページずつ紐ひも解とき、言葉の意味を丁寧に説いてくださったのです。最初に松陰の文章を読んだ時、私の心が清められるような感覚を抱き、生まれて初めて「勉強って楽しい」と思ったことをいまも鮮明に覚えています。

    55年間で500回以上読み込み、ボロボロになった『講孟劄記』には「ここの解釈は間違っている。こう考えなさい」と先生に教えられたことが全部書き込まれており、私の宝物です。上田先生との出逢いがなければ、私は松陰研究をやっていなかったでしょう。
    大学院に進学し、そこでは当時広島大学教育学部長だった井上久雄先生に師事しました。研究者として松陰を見る目を養ってくださった私の恩師です。大学院を修了し高校の教員を勤め、約5年後に再び研究の道を歩み出すと、先生が広島の自宅で1対1のゼミを毎月行ってくださいました。

    先生は「人の言うこと、書いたものは信用するな。全部自分の目と足で確認しなさい」とよくおっしゃり、その指導はいつも「この辺から文の勢いが落ちとる」だけで終わり。当時はなぜ教えてくれないのかと不満でした。先生がお亡くなりになって気づきました。全部自分で考える癖をつけてくださったんだと。10数年のご指導で、最後の論文「下田渡海考」の書き直しは2,000枚に及びました。腱けん鞘しょう炎えんになりながらも最後の論文をお持ちした4日後、先生は帰き幽ゆうされました。平成9年8月2日、享年80。私が44歳の時です。

    奥様から「主人はあの論文を見た時、『川口がこれだけ書けるようになった』と言って本当に喜んでいました」と伺い、涙が込み上げてきました。「一読三歓、ここまで書けるようになったかと、しばし感慨にうたれ、とてもうれしく存じました」。死の床とこで先生が力を振り絞って綴つづられた葉書は、ずっと書斎に大切に飾ってあります。

    いま振り返ると、恩師との死別は父親のそれ以上に辛つらかったですが、師・吉田松陰の死に直面した高杉晋作の気持ちも少しは分かる気がします。