2017年1月号
特集
青雲の志
一人称②
  • 比叡山延暦寺一山・戒光院住職髙山良彦

「看経地獄」を
遂業して見えて
きたもの

比叡山の「三大地獄」と呼ばれる行の1つに横川元三大師堂の看経行がある。深夜から日課勤行を始めなければ1日のお勤めが終わらないほどの様々な修法と読誦を3年間、行じるものだ。この看経行を遂業された髙山良彦師に、そのご体験を語っていただいた。師がそこで摑んだ世界とはどのようなものだったのか。

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経典に込められた仏の思いを看る

天台宗の総本山である比叡山には「三大地獄」と呼ばれる厳しい修行があります。無動寺の「回峰地獄」、浄土院の「掃除地獄」、そして私が最近まで当執事を務めていた元三大師堂(四季講堂)の「看経地獄」です。

元三大師堂は比叡山中興の祖である元三大師(慈恵大師良源・第18代天台座主)を信仰の対象としています。そこで行われる看経行をひと言で述べれば、膨大な経典や修法を3年間、毎日朝昼晩と読み行じ続ける、というものです。

この日課勤行の他にも、論義、護摩供など決められた行法があり、それをその日のうちに終えなくてはいけません。自坊住職としての務めもあります。大変な日々ですが、「看経」の言葉が示すように、先師たちは経に込められた思いを看ることで、仏の心に近づくべく精進を重ねられたのです。

起床は午前2時。身支度を整えて静まり返った広い大師堂の本堂にただ一人座り、『法華経』をはじめとする諸経典を一心に読み進めます。ご本尊と向き合う時間が続き、距離感が縮まってきたと感じた頃、ふと気がつくと障子の向こうで空が白々と明け始めたのが分かります。小鳥の囀る声も聞こえます。こうして決められた日課勤行を終えるのは、午前6時頃でしょうか。

日課勤行が終わると、次に待っているのは横川から玉体杉までの聖跡巡拝です。この巡拝は私自身が始めたものです。大師堂を出発し、かつて比叡山で修行された道元禅師の得度霊跡、日蓮聖人ゆかりの定光院、さらに元三大師やそのお弟子である恵心僧都のお住まいである恵心院など横川一帯の聖地、そして京都市内が一望できる玉体杉までを巡拝しながら、約7キロの険しい山道を1時間半をかけて巡拝するのです。風雨の日も休むことなく行いました。

日中から夕方にかけては護摩供や夕座勤行のほか、全国から訪れる信者さんの応対など当執事としての仕事が目白押しです。1日の行を終えた頃には心身ともに疲労はピークに達し、激しい疲れが抜けきれないまま、翌日深夜からの勤行に臨む。しばらくはそんな毎日でした。

看経行はすべて自分との闘いです。時間配分にはある程度の裁量が認められていますから、もう少し遅くまで寝ていようと思えば、できないわけではありません。聖跡巡拝も本来は元三大師御廟までの往復ルートを歩けばそれでいいことになっています。

しかし、3年という短い限られた期間なので私は常に自分に負荷を掛けて、自分が納得できるだけの修行を心掛けてきました。50分ほどの護摩供も、条件が整えば1日に二座、三座とやりました。燃え盛る火を前に無心に真言を唱え続けていると、二度、三度と行っても不思議と疲れは感じないものなのです。

40代、人生の折り返し地点に立っていた私は、ここで自分を思いっきり追い込み、これからのために心身をさらに練り上げておきたい。そういう思いに駆られていたのだと思います。こうして平成27年、3年間の修行を遂業することができました。

比叡山延暦寺一山・戒光院住職

髙山良彦

たかやま・りょうげん

昭和44年福岡県生まれ。県立修猷館高等学校卒業。同志社大学商学部卒業後仏門に入り、平成9年叡山学院専修科を卒業。13年三年籠山行遂業し、戒光院住職を拝命。24年比叡山横川元三大師堂当執事となり、3年間の看経行を27年遂業した。