2022年1月号
特集
人生、一誠に帰す
  • 歴史学者濱田浩一郎

『氷川清話』と
『西郷南洲翁遺訓』

維新を成した英傑の〝至誠〟に学ぶ

江戸城無血開城を成し遂げ、明治の新しい世を切り開いた勝 海舟と西郷隆盛。その二人の英傑の教えや言葉を記したのが『氷川清話』と『西郷南洲翁遺訓』である。若き日に両書と出逢い、人生・仕事の指針にしてきたという歴史学者の濱田浩一郎氏に、勝と西郷に通底する精神、現代人が心に刻むべき「誠の心」について紐解いていただいた。

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二人の英傑に魅せられる

勝海舟の『氷川清話ひかわせいわ』と西郷隆盛の『西郷南洲翁遺訓さいごうなんしゅうおういくん』——もともと日本中世史を専門とする私がなぜこの両書にかれ、関連書を出版するまでに至ったのか。少々回りくどいかもしれませんが、その原点は少年時代にさかのぼります。

最初に幕末史に関心を持ったのは、中学1年の時でした。1年生の夏に作家・司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』を読んだことで、坂本龍馬という人物にれ込むと共に、龍馬と関わった人々にも目を向けるようになったのです。その中に勝海舟や西郷隆盛もいました。

しかし、当時は歴史小説家の文学作品、例えば、司馬先生の『ぶがごとく』や山岡荘八氏の『坂本龍馬』などで歴史上の人物を知ろうという傾向が強く、彼らが書いたり語ったりしたことを記した書物にまで手が伸びませんでした。

そうした傾向から抜け出るきっかけとなったのが、2002年の皇學館こうがっかん大学文学部国史学科(三重県伊勢市)への入学でした。皇學館大学の国史学科では「厳密な史料考証に基づいた史実の究明」を求められ、史料の読解の訓練を1年生の頃から行います。つまり小説や一般書籍ではなく、史料を読む機会が増えていったのです。

日本中世史が専門の恵良えらひろむ先生(現・皇學館大学名誉教授)が指導教員であったこと、また、かねて室町・戦国時代についても学んでみたいという思いがあったことから、私は中世史を研究することになったわけですが、依然として幕末史への関心は旺盛でした。

そして中世史に取り組みつつ、幕末に関連する様々な史料を読んでいく中で、出逢ったのがまさに『氷川清話』と『西郷南洲翁遺訓』でした。確か大学2年生の頃に読んだのだと思います。これらの書物との出逢いも、歴史上の人物が書いたり語ったりしたものを読んでいく史学科に入らなければ、おそらくなかったことでしょう。

両書を通じて、私は勝海舟と西郷隆盛の人物、器量にすっかり魅せられ、彼らが偉人として現在に至るまでなぜ多くの人々の心をつかみ、称賛を得ているのか、その理由がよく分かりました。両書の内容については後ほど触れますが、偉人というのは、こういった考え方をして生きてきたからこそ、当時だけではなく、現代の人々にも感化を与えることができるのだということが理解できたのです。

両書の魅力の一つは、勝や西郷が自分の目の前で語りかけてくれている、そんな「錯覚」に陥ることです。こればかりは、読み手の状況や感性によって変わってくるでしょうが、私はそう感じました。

魅力の2つ目は、人間が生きていく上で何が最も大事なのか、その根本、本質的な部分を教えてくれることです。ですから、『氷川清話』と『西郷南洲翁遺訓』は、指導的立場の人だけではなく、広く万人が読んでも面白く、非常にためになる書物だと思います。

ちなみに、『西郷南洲翁遺訓』は薩摩さつま人の手によってではなく、旧庄内藩の藩士たちにより刊行されたものです。戊辰ぼしん戦争(1868~1869年)で官軍に抵抗した庄内の人々は過酷な処分が下るものと覚悟していましたが、実際には寛大な処置が施されました。それが西郷の指示によることが伝わると、庄内の人々はすっかり「西郷ファン」になり、西郷の元に直接話を聞きに行ったり、ついには西南戦争(1877年)に従軍して戦死する者まで現れるのです。

その西郷の恩を受けた旧庄内藩の藩士たちが西郷生前の言葉や教えをまとめ、明治23(1890)年に刊行されたのが『西郷南洲翁遺訓』なのです。その成立の背景を聞いただけでも、西郷の魅力と感化力がどれほどのものであったかがよく分かるかと思います。

一方の『氷川清話』は、東京・赤坂氷川の地に隠居していた海舟の談話を、東京朝日の池辺三山さんざん、国民新聞の人見一太郎、東京毎日の島田三郎らが聞き書きし、新聞連載を編集し直したものを吉本のぼるが大正3(1914)年に刊行したものです。しかし、吉本の『氷川清話』には、彼が改竄かいざん歪曲わいきょくした箇所があり、問題があるとして、新たに江藤淳・松浦玲の両氏が編集。それが現在、講談社学術文庫に入っている『氷川清話』です。

歴史学者

濱田浩一郎

はまだ・こういちろう

1983年兵庫県生まれ。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・姫路独協大学講師を歴任。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)『超訳「言志四録」西郷隆盛を支えた101の言葉』(すばる舎)『勝海舟×西郷隆盛 明治維新を成し遂げた男の矜持』(青月社)など多数。