2022年1月号
特集
人生、一誠に帰す
  • 四天王寺大学人文社会学部教授矢羽野隆男

「誠は天の道なり」

『中庸』が教えるもの

天と人との繋がりを説き明かした儒教経典『中庸』。その古典に一貫して流れる精神がある。「誠」である。『中庸』は誠をどのように説いたのか、時を経てそれは日本人にどのような影響を及ぼしたのか。中国哲学がご専門の四天王寺大学人文社会学部教授・矢羽野隆男氏に解説いただいた。

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誠実さを貫くことを伝える書物

「誠」は「和」と並び日本人が古来重んじてきた徳目ですが、数ある儒教経典の中でも特に誠を重んじた古典が『大学』『中庸ちゅうよう』です。両書は『論語』『孟子もうし』と併せて「四書ししょ」と称される代表的な書物ですが、残念ながら『論語』『孟子』のように高校の国語教科書に取り上げられることはまずなく、その内容は一般にあまり馴染なじみがあるとはいえません。

しかし、そこには人として忘れてはいけない道が説かれています。『大学』は国家のリーダーにとっての自己修練や徳の大事さを教え、本欄のテーマである『中庸』は人間の本性とは何かを論じつつ、いかなる場合でも誠実を貫き適切な対応を取ることの大切さを伝えた書物です。

中国の歴史書『史記しき』によると、『中庸』を著したのは孔子の孫・子思ししとされています。もともとは『中庸』という独立した書物はなく、『礼記らいき』という書物に「中庸」篇として収められていました。

南北朝時代(5~6世紀)になると中国では仏教や道教どうきょうが流行し、儒教の世界でもそれに対抗し得る深い哲学が求められました。そこで注目を集めるようになったのが天と人のあり方、天と人を貫く哲学を説く中庸の教えです。

以来、『礼記』から「中庸」篇を抜き出して注釈がつけられるようになり、南宋時代(12~13世紀)の朱子しゅしは『大学』と共に『中庸』を独立させ、『論語』『孟子』と合わせた四書に新たな解釈をほどこし儒教の新しい経典としました。これが四書誕生のいきさつです。

朱子の死後、『中庸』は科挙かきょの試験科目の一つとして朱子の解釈によって中国の知識人の間で学ばれるようになり、それは近隣の漢字文化圏の国々にも影響を及ぼします。日本では科挙の制度は導入されなかったものの、江戸期以降、朱子学を中心に儒学が広く浸透し、四書は儒学の基本書とされました。

ちなみに四書の一つ『孟子』を著した孟子は子思の門人に学んでおり、性善説や誠を重視しているところなど、『中庸』と多くの共通点があります。

四天王寺大学人文社会学部教授

矢羽野隆男

やはの・たかお

昭和40年生まれ、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程中退。現在、四天王寺大学人文社会学部教授。専攻は中国哲学・日本漢学。著書に『大学・中庸』(角川ソフィア文庫)、共著に『名言で読み解く 中国の思想家』(ミネルヴァ書房)『白川静の世界Ⅰ 文字』(平凡社)など。