2020年1月号
特集
自律自助
対談
  • (左)文芸批評家、都留文科大学名誉教授新保祐司
  • (右)拓殖大学学事顧問渡辺利夫

近代日本を築いた
明治の気概

近代化という難事業を僅か40数年で成し遂げ、世界の文明国として躍り出た明治日本。その凄まじいまでのエネルギーと気概は一体どこから生まれてきたのか。それぞれ日本近現代史、明治の文化に造詣の深い、拓殖大学学事顧問の渡辺利夫氏と文芸批評家の新保祐司氏に、明治精神の神髄、明治の気概が私たちに教えるものを縦横に語り合っていただいた。

この記事は約25分でお読みいただけます

文章を通じて繋がっている

新保 きょうは、日本の近現代史に造詣ぞうけいの深い渡辺先生と明治時代について語り合えるということで、とても楽しみにしていました。
渡辺先生との出逢いで一番大きかったのは、やはり2007年に『産経新聞』の「オピニオンプラザ 私の正論」コーナーでご一緒させていただいたことですね。時々の時事的なテーマに関して一般の方からご意見を募集し、その中から優れたものを選んで紙面に掲載するという仕事を、一年ほど一緒にやらせていただいた。

渡辺 毎月1回はお会いして、よくみに行きましたよね(笑)。

新保 ただ、実は私はその少し前から渡辺先生とご縁があったんですよ。渡辺先生の『神経症の時代わが内なる森田正馬』が賞を取られた「第5回開高健賞正賞」(1996年)の時に、応募作の下見に携わっていましてね。作品を絞っていく中で、「経済が専門の偉い先生が面白いテーマで応募している」と大変な話題になったんです。

渡辺 ええ、そうだったの。その話は初めて聞きました。

新保 それから私は、渡辺先生はテレビに出て景気がどうだとかコメントしているエコノミスト、経済学者とは違う、もっと精神的に深いものをお持ちの方だなという印象を持つようになりました。

渡辺 私の新保しんぽさんの印象というのは、やはり、その文章でしょうね。内村鑑三にせよ、新渡戸にとべ稲造にせよ、同じ人物を評論している人は無数にいるけれども、新保さんの文章からは、技量も含めて非常に共感できるものが伝わってくる。だから、私と新保さんは文章を通じてつながっているんだろうね。本当にありがたいことですよ。

拓殖大学学事顧問

渡辺利夫

わたなべ・としお

昭和14年山梨県生まれ。慶應義塾大学卒業後、同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学長、第18代総長などを経て、現職。外務省国際協力有識者会議議長、アジア政経学会理事長なども歴任。JICA国際協力功労賞、外務大臣表彰、第27回正論大賞など受賞多数。著書に『神経症の時代 わが内なる森田正馬』(文春学藝ライブラリー)『士魂-福澤諭吉の真実』(海竜社)などがある。

明治時代だけが世界史に残る

新保 ところで、渡辺先生のご専門は、発展途上国の経済状況や開発のあり方を研究する開発経済学ですが、日本の近現代史に関心を持たれたのは、何かきっかけがあったのですか。

渡辺 私は、もともと開発経済学の素材を求めて、地をうようにしてアジアの国々を歩いてきた人間です。ただ、経済学という学問は、多様な社会現象から一部の経済的価値のみを取り出して、それを専門的、理論的に分析する仕事が主になってくるんですよ。
それで定年になる頃、そういう仕事だけでは終わりたくないという気持ちになりましてね。真実は歴史の中にある、それもそれほど遠くない近現代史の中にあるんじゃないかと考えて、何の基礎知識もなかったのですが、思い切って新しい分野に飛び込んだんです。
そうして、福澤諭吉を中心に明治の文献を生まれて初めて本気になって読み始めたのですが、私はそこでりんとした気概と秩序ある明治という時代を発見しました。その間、新保さんの本も随分読ませていただきましたから、いま振り返っても、歴史に関心を持ってよかったなぁと思っています。
新保さんは、どのようなきっかけで明治時代、明治の人物に関心を持つようになったのですか。

新保 三島由紀夫が自決したのは昭和45年で、私が大学に入ったのはその2年後なんですね。
要するに、私が青春を送っていたのは、三島が『産経新聞』に「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」と書いた日本なわけですよ。ただ私はそういう空っぽな日本で青春を楽しんでいる同世代とどうしても馴染なじめなくて、とにかく彼らとは全然違うトラックを走っていました。

渡辺 戦後日本の空気に馴染めなかったと。

新保 それで、私は高校生の時に小林秀雄の『モオツァルト』に感激しましてね。その小林の弟子筋に当たる中村光夫の『二葉亭四迷ふたばていしめい伝』や『明治文学史』などを読み、日本の近代文学の世界に触れたことで、次第に明治時代に関心を持つようになっていったんです。大学に入ってからも北村透谷とうこく国木田独歩くにきだどっぽ、島崎藤村とうそんなど明治の文学者ばかりを研究していました。
特に私がかれたのは、明治時代が持つパセティックな感覚、悲劇性なんですよ。まさに悲劇性こそ、経済的に豊かになって、毎日楽しければいいという雰囲気に満ちていた戦後の日本、私の青春時代にないものだったからです。
明治は近代化に向かってひたすら上昇していく「栄光の時代」だったように思われますが、その過程では、明治維新の立役者であった西郷隆盛が西南戦争で死に、明治天皇が崩御ほうぎょされた後に乃木希典まれすけ殉死じゅんしするというような、悲劇的な側面を常に伴っていました。
だから、明治時代に流れているのは、モーツァルトの明るい長調ではなく、苦難を通して歓喜に至るベートーヴェンの交響曲第五番やブラームスの交響曲第一番といったハ短調の音楽なんですね。
ただ、私が明治時代の歴史的な意義や偉大さについて深く考えるようになったのは、ここ十数年のことです。その大きなきっかけになったのは、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』といった司馬遼太郎の歴史小説を読んだことでした。

渡辺 司馬遼太郎の作品のどのようなところに影響を受けましたか。

新保 司馬遼太郎の歴史小説から学んだのは、昭和になってからの日本はだめだったけど、明治時代だけは古典ギリシャのように世界史に残る偉大な時代だったのだということです。司馬遼太郎の歴史小説には、いかに明治維新がすごかったか、いかに優れた人物が明治という国家をつくり上げていたかということがたくさん出てくるわけです。西郷隆盛や大久保利通としみちが世界的人物だったという評価もまさにその通りだと思いました。

文芸批評家、都留文科大学名誉教授

新保祐司

しんぽ・ゆうじ

昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文春学藝ライブラリー)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第33回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌-言葉による交響曲』(展転社)『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』(共に藤原書店)など多数。