2020年1月号
特集
自律自助
対談
  • (左)JFEホールディングス名誉顧問數土文夫
  • (右)外交評論家加瀬英明

日本よ 自律国家たれ

2020年という新しい年が始まろうとしている。大国同士の確執や半島に漂う不穏な空気など、日本を取り巻く世界情勢は予断を許さないが、私たちにこれを受けて立つ覚悟はどこまでできているだろうか。内外の諸事情に詳しい加瀬英明氏と、本誌でもお馴染みの憂国の士・數土文夫氏に、日本の憂うべき実情を克服し、新しい年を輝かしい未来への第一歩とするために成すべきことを語り合っていただいた。

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予測困難な2020年

加瀬 私は毎年、新しい年を迎える度に1年の予測を立てるんです。しかし、今度ばかりはちょっと分からないですね。
まず、中国の習近平しゅうきんぺい体制が持つのかどうか。どちらかにけろと言われたら、持つほうに恐る恐る賭けるというくらいに極めて微妙な状況です。それから韓国の文在寅ムンジェイン政権が持つかどうか、香港ホンコンかも分からない。まぁトランプ大統領は再選すると思いますけれども、とにかく2020年は非常に混沌こんとんとするでしょう。

數土 アメリカと中国の対立激化も、これに拍車を掛けていますしね。

加瀬 いま、米中貿易戦争とか米中関税戦争とか盛んに言われていますが、これはごく入り口にしか過ぎません。トランプ政権は、かつてレーガン政権がソ連を崩壊へ導いたように、最終的には中国の共産主義体制を崩壊させることを目標にしているんです。
ソ連と対立していた時にはココムという委員会を立ち上げ、共産主義諸国への軍事技術や戦略物資の輸出規制を仕掛けて崩壊させました。同様に中国に対しても、ハイテクノロジーの供給を断とうとしています。ファーウェイに対する厳しい締めつけもその一環です。
私はいまでもワシントンに年2回は通っていますが、トランプ政権が発足した時には、ホワイトハウスの副大統領執務室に一人しかいなかったハイテクの担当者が、この前の春には百数十人にもふくれあがってワンフロアを占めていました。中国へのハイテクの流れを断つことを、アメリカが対中戦略の核に据えて本気で取り組んでいることがそこからもうかがえます。
後で詳しく述べたいと思いますが、それによって中国の脅威がなくなり、日本が生き残ることができれば、いよいよ世界に日本の天下が訪れるだろうと私は見ているんです。あくまで日本が生き残ることができれば、という前提の話ですけれども。

外交評論家

加瀬英明

かせ・ひであき

昭和11年東京生まれ。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長。52年より福田、中曽根内閣で首相特別顧問を務めた他、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。公益社団法人隊友会理事、東京国際大学特命教授。近著に『いま誇るべき日本人の精神』(ベストセラーズ)『昭和天皇の苦悩 終戦の決断』(勉誠出版)など。

歴史観、国家観、倫理観が失われた日本

數土 冒頭からいきなり核心に迫るお話をいただきましたけれども、これはやはり加瀬先生が常に確固たる歴史観、国家観に基づいて大所高所たいしょこうしょから物事をご覧になっていることの現れだと思います。
ところが、この歴史観、国家観、そして倫理観がいま日本から失われてしまっていることを私は大変危惧きぐしています。日本のリーダーからこういう大切な感覚が失われて、その弊害が若者や子供たちにまで及んでいる現状では、日本の天下といってもあまり現実味は感じられません。

加瀬 確かに、そこはいまの日本の一番大きな問題点ですね。この問題の大本を辿たどると、日本がサンフランシスコ平和条約を締結して独立を回復した時に、吉田茂という人が総理をやっていたことが、日本にとって大変不運だったと私は思うんです。

數土 あぁ、吉田茂がよくなかったと。

加瀬 私は昔、吉田さんにしばしばお目にかかっているんです。吉田さんがロンドンで大使をしていた時、父親がおつかえして大変親しかったものですから、我が家に遊びに来られたこともあります。その時の私は生後6か月でしたから、もちろん覚えてはいないんですけども、後に吉田さんが引退されてからはよく大磯おおいそのお宅へ遊びに行っていろいろお話を伺いました。
吉田さんという人は、実に座談のうまい人でした。それから徹底した反共主義者で、日本の共産化を阻止した功績は大きい。皇室を崇敬すうけいする姿勢も大変なものでした。しかし贅沢が好きで、政権に恋々れんれんとなさっていた。そして最も残念だったのは、国家観、歴史観を欠いていることでした。

數土 吉田茂は国家観、歴史観を欠いていた。

加瀬 サンフランシスコ平和条約が締結される前、アメリカから日本の本格的な軍備を求められて断っているのがその現れです。
当時は警察予備隊が軍の代わりを務めていましたが、吉田さんは憲法を改正して軍に格上げしなかった。日本にはまだそんな経済力がないからと拒否したのですが、軍は国家の一番の芯であり精神だと私は思うんです。ところが吉田さんは軍を嫌っていました。昔、軍にいじめられたこともありましたからね。
日本があの時に小さくてもいいから軍をつくっていれば、いまの状況も全然違っていたでしょう。けれども吉田さんがそれをしなかったために、日本は独立回復後もアメリカに国の安全と生存をゆだねたまま今日に至ってしまった。そのために国民は、日本が独立国であるという意識を欠いていると思うんです。

數土 戦後にできた日本国憲法の前文も、自律心というものを完全に欠いた内容になっていますね。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、自国の存続を他国に委ねてしまっている。

加瀬 歴史に〝もし〟はないけれども、もし日本が独立を回復した時の総理が岸信介のぶすけさんだったら、こんなことにはなっていなかったと私は思うんです。
私は岸さんの晩年にゴーストライターを務めていましたが、岸さんの発言からはしっかりした国家観、歴史観が感じられました。実際に岸さんが総理の時には、吉田さんが調印をした日米安保条約がアメリカに都合のよい不平等条約だったために、ワシントンで交渉して、これをやや対等なものに近づけました。吉田さんはこれに大反対しましたが、吉田さんが本当にやるべきだったのは、日本が平和条約を結んだ後に軍を持てるように、政治生命を懸けて憲法改正を行うことだったと私は思います。

JFEホールディングス名誉顧問

數土文夫

すど・ふみお

昭和16年富山県生まれ。39年北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。常務、副社長などを経て、平成13年社長に就任。15年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。22年相談役。経済同友会副代表幹事や日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長などを歴任し、令和元年よりJFEホールディングス名誉顧問。