2023年12月号
特集
けいたいに勝てばきつなり
対談
  • 井村アーティスティックスイミングクラブ代表理事井村雅代
  • 世界水泳選手権2023福岡アーティスティックスイミング女子ソロ金メダリスト乾 友紀子

いかにして
勝利の女神は
微笑むか

2023年7月、福岡で開催された世界水泳選手権にて、日本アーティスティックスイミング界の絶対的エースと名伯楽が一躍脚光を浴びた。
ソロ種目で2個の金メダルを獲得し、2大会連続2冠の偉業を成し遂げた乾友紀子さんと、その専属コーチとして指導に当たった〝メダル請負人〟の異名を取る井村雅代さん。
東京五輪での悔しさを糧に、二人三脚で特訓の日々を積み重ねてきたという。いかなる努力によって自己を磨き、世界の頂点を掴んだのか。
お二人の戦いの軌跡から、勝利する者の条件を探る。

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世界選手権2連覇に懸けてきた思い

本誌 今年(2023年)7月に福岡で行われた世界選手権にて、2個の金メダル(ソロ種目のテクニカルルーティンとフリールーティン)を獲得し、昨年のブダペスト大会に続き見事2連覇に輝きました。おめでとうございます。

 ありがとうございます。私にとって今回の福岡大会は思い入れが強くて、いまから22年前、2001年に福岡の世界選手権で先輩方が金メダルを獲得されたのをテレビで見ていたので、同じ福岡の地で先輩方に続きたいという思いがずっとありました。

井村 立花・武田ペアがデュエットで日本アーティスティックスイミング界初の金メダルに輝いた。あの時、いくつだっけ?

 小学校5年生です。当時は日本の位置づけがどうとか分からなかったんですけど、すごくあこがれましたし、私も努力したらこうなれるんだって道標になりましたね。
また、東京五輪はコロナ開催で無観客だったので、日頃応援してくださっている日本の皆さんの前で演技したいというのも、大きなモチベーションになって今大会に臨めたと思います。

本誌 東京五輪後はソロ活動に専念されました。また、年齢としても30代を迎えられ、様々な面でご自身にとって挑戦だったのではないでしょうか?

 何歳までとか何歳だからっていうことはあまり考えていませんでした。気づいたら32歳だったという感じで(笑)。常に目の前に自分の目標があって、こうなりたい、こうやりたいという思いがあったから続けてこられたのかなと感じます。
東京五輪ではデュエットとチーム種目に出場しましたが、自分の力を全部発揮することができず、悔しさをみ締めました。ソロに専念したのは、良くも悪くも結果はすべて自分の責任、自分の力が評価される。そこに一人のアスリートとして挑戦したいと思ったからなんです。

井村 いま彼女が悔しいと言いましたが、私も東京五輪を振り返ると戦った感じがしていないんですね。なぜかというと、コロナ禍前に行われた2019年の国際大会を最後に、隔離された中で一所懸命に練習を重ねて、格段にレベルを上げてきたにもかかわらず、出てくる点数を見たら2019年とまったく一緒なんですよ。つまり、2019年の演技順位をもとに採点されたわけです。
これじゃあ勝負にならないわと思いました。私は日本代表のコーチであると同時に、審判員の眼で「これくらいできたら、これくらいの点数になる」と分かっていて指導してきましたからね。だから、私にとっても東京五輪は不完全燃焼だったんですよ。結果的に五輪種目であるデュエットとチームでメダルを逃しました。負けたけど負けた気がしないというか、そもそも戦った感じがしなかった。
そんな中、彼女がソロに挑戦したいと言ってきた時に、選手には消費期限も賞味期限もある。彼女はこれまで五輪に3大会出場し、キャプテンとしてずっと日本代表を引っ張ってきた。この人が現役を引退する時に、「私はやり切った。選手人生に悔いはない」って言わさなきゃ、コーチとして失格だろうと思ったんです。
それで私自身、日本代表のコーチに終止符を打ち、彼女のソロコーチとして一緒に戦うことにしました。私は彼女がやめる時まで彼女のコーチを続けよう。選手としての死に水を私が取ってやろうと心の中で思っていました。

井村アーティスティックスイミングクラブ代表理事

井村雅代

いむら・まさよ

昭和25年大阪府生まれ。中学時代よりシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)を始める。選手時代は日本選手権で2度優勝し、ミュンヘン五輪の公開演技に出場。天理大学卒業後、大阪市内で教諭を務める傍ら、シンクロの指導にも従事。53年日本代表コーチに就任。平成18年より中国、イギリスの指導を経て、26年日本代表ヘッドコーチに復帰。28年リオデジャネイロ五輪ではデュエット、団体とも銅メダルに導く。令和3年東京五輪では4位入賞。五輪でのメダル獲得数は通算16個。著書に『井村雅代コーチの結果を出す力』(PHP研究所)など。

結果を出せるのは結果を決めているから

本誌 世界選手権2連覇を果たすことができた勝因はどこにあると感じていますか?

 今年、大きなルール改正があって採点方法が変わったんですね。事前に演技予定表を提出し、フィギュアスケートのように技ごとに難易度が決められていて、申請した技が実際の演技で認められないと大きく減点されるとか。

井村 各国の序列や審判員の裁量に関係なく、採点が可視化されて分かりやすくなったんです。

 自分の理想の演技を追求することよりも、やっぱり勝ちにこだわって、出場するからには優勝したいので、勝つためにどうやってこのルールを攻略するかということに1年の時間をすべて使って、本当に四六時中、このルールで戦っていくことを誰よりも考えてきたと自負しています。

井村 例えば、足技ごとに角度が規定されているので、見た目ではなく、実際に私が分度器で測ったりしながら、くまなく細部にこだわって練習していきました。

 その結果、直近のW杯3大会と世界選手権では出場選手の中で唯一、減点がなかったので、そこに対するこだわりの強さが優勝につながったと思います。

井村 私自身、彼女のソロコーチを務める時、絶対に世界一にしてやろうと決めていました。やるからには世界一、乾友紀子を世界一にするためには、ということしか東京五輪以降は考えていません。
私はよく「結果を出せるのは結果を決めているから」と言っていますが、まず結果を明確に決める。そのために具体的に何をするか、目標と計画を示す。遅れている時は何が何でもやると決め、できるまでやり続ける。この考え方がとても大事です。
世界一ということは、ライバルの誰々に勝つとか金メダリストがやっていることをするとかではダメなんです。今回の世界選手権では結果的に強豪ロシアの選手は出場しませんでした。ウクライナとの戦争の影響でね。だけど、ロシアが出てくるかどうかなんて私には関係ないことで、世界一の選手を超える、進化したパフォーマンスとは何だろうということだけに焦点を置いて、どんな相手も追いつけないレベルまで仕上げようと取り組んできました。

世界水泳選手権2023福岡アーティスティックスイミング女子ソロ金メダリスト

乾 友紀子

いぬい・ゆきこ

平成2年滋賀県生まれ。小学校1年生の時にシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)を始める。6年生の時から井村シンクロクラブに所属。平成18年世界ジュニア選手権に出場し、3種目で銅メダル。2年後の世界ジュニア選手権ではデュエットで銀メダル、チームで銅メダルを獲得。21年立命館大学入学、この年より日本代表入り。五輪には24年ロンドン、28年リオデジャネイロ、令和3年東京の3大会に出場し、リオ五輪ではデュエット、チームで銅メダルを獲得。東京五輪後はソロに専念し、4年ブダペスト大会と5年福岡大会で共に2冠を達成した。