2021年10月号
特集
天に星 地に花 人に愛
対談
  • (左)タツノ内科、循環器科院長龍野勝彦
  • (右)榊原記念病院副院長高橋幸宏

医は仁術なり

小児心臓外科の道に学んだ仕事の流儀

医は仁術なり、とは古来日本に伝承されてきた格言である。身体の病気を治すことに留まらず、人を思いやり、仁愛の徳を施すことが医の道だという。この格言を体現するようにして、共にこれまで幾1,000人もの小児心臓手術を手掛け、尊い命を救ってきた龍野勝彦氏と高橋幸宏氏。お二人の名医はどのような心構えで日々仕事に向き合っておられるのか。恩師の教えや忘れ得ぬ患者さんとのエピソード、長年にわたる真剣勝負の中で掴んだ「仕事の流儀」に迫った。

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「君、それはおもしろい。はやくやりたまえ」

高橋 大先輩の龍野先生と対談する機会が巡ってくるとは、夢にも思いませんでした。

龍野 高橋先生とは20年近く榊原さかきばら記念病院で一緒に仕事をしてきましたし、いまも週に1回会っていますけど、こうして面と向かって語り合うのは初めてですね。

高橋 はい。きょうは龍野先生のお話を伺うのを、楽しみにやってまいりました。
僕が最初に龍野先生にお目にかかったのは昭和55年、大学最終学年の夏休みです。榊原記念病院を一週間見学させていただき、目からうろこが落ちましたね。夜中でも医師や技師がたくさんいて何か起こるとみんな集まってくる。
加えて、龍野先生は当時外科部長でいらっしゃいましたが、まだ30代後半でしたよね。他の2人の外科部長も同じくらいの年齢で、若い方が現場のトップでしょう。他の病院とは全然違う印象がありました。
それで大学を卒業したらすぐに入りたいと申し上げたんですけど、ペーペーは要らんと(笑)。そりゃそうですよね。榊原記念病院は日本で初めて心臓手術を行った榊原しげる先生がつくられた循環器専門の病院で、数多くの手術をやっていましたから、実働部隊しか要らないわけです。熊本の赤十字病院で2年間修業した後、再度応募したところ、よろしいとご許可をいただきました。昭和58年、27歳の時です。

龍野 高橋先生が学生時代に見学に来た時のことは、よく覚えていますよ。背の高いひょろっとした好男子が来たなと(笑)。
榊原先生の名声が呼び込んだのでしょうけど、全国の様々な大学から榊原で修業したいという申し出がたくさんありました。当時はまだ日本に研修医制度が確立されていなかったものの、私が榊原先生に提案して、独自の研修医制度を全国に先駆けてつくったんです。高橋先生はその3番目に採用させてもらったんですね。
榊原記念病院は昭和52年の11月4日に開院したんですが、2年後の9月に榊原先生が亡くなられてしまい、大きな看板を失った悲しみと共に、がんばらなきゃいけないと意気に燃えるような雰囲気がありました。年間300例近くあった手術のうち、半分ほどは小児専門である私が手掛けていたんです。そこに全国の優秀な若い医師が来て、7~8人の体制になりましたので随分助かりました。
榊原で修業を積んで帰っていった若い医師たちは、後年教授になったり、中には学長になった人もいます。だから、やっぱり自分のキャリアは自分でつくるんだという熱意を持った若者は、将来大成する。そのようなやる気に満ちた方々と一緒に仕事ができて、本当に幸せだったなと思います。

高橋 働いていて不愉快に思うことが極めて少ない。居心地がいいんですよ。ものすごく忙しくて、家に帰れないような状況だったにもかかわらず、不思議なもので辞めたいと思うような嫌なことがありませんでした。

龍野 その元となっているのは、榊原先生の教えでしょうね。若い人が提案したり、やりたいと言っていることを、上の人は決して邪魔しない。私の著書の題名にもあるように、「君、それはおもしろい。はやくやりたまえ」というのが、榊原先生の口癖でした。その精神を私たち3人の指導医が受け継いでいた。ストレスが少なかったのはおそらくそこじゃないかな。
若い人に限らず、誰でも自分の考えを否定されると、やる気が削がれますよね。上の人は「それはダメだよ」「そんなことは前の人が既にやっている」と言いがちですけど、私たちはそういうことを言わないように努めていたし、実際に言わなかったと思うんです。
そして、常に新しいイノベーションを追求する。現状に満足しないで、少しでも次の新たな発見や発明につながる糸口があれば、それを手繰たぐっていく。そういう心掛けで仕事をしていました。

高橋 いまイノベーションという言葉を使われましたけど、龍野先生は新しいことを数多く手掛けられましたよね。その中には、僕もたずさわらせていただいた仕事もありますから、本当にありがたいなと思っています。

タツノ内科、循環器科院長

龍野勝彦

たつの・かつひこ

昭和17年東京生まれ。42年千葉大学医学部卒業後、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所外科医員。榊原仟氏の門下生となる。52年8月、榊原氏に呼ばれて財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院の開設に参画し、同年11月の開設と同時に外科部長となる。平成2年副院長。以後、千葉県立鶴舞病院副院長、千葉県循環器病センターセンター長、同名誉センター長、榊原記念病院特命顧問を歴任。20年タツノ内科・循環器科院長就任。医学博士。著書に『君、それはおもしろい。はやくやりたまえ』(日経BP社)。