2018年10月号
特集
人生の法則
対談
  • (左)作家三戸岡道夫
  • (右)作家童門冬二

人生で大切なことは
歴史から学んだ

童門冬二氏と三戸岡道夫氏。ともに卒寿を迎えた現役作家である。長年、歴史と人物の本質を追い求め、いまなお様々な発見に感動と驚きがあるという。ともにサラリーマンから作家生活に入り、90代のいまどのような人物の生き方や言葉が心に響くのか。そこからどのような人生の法則が見えてきたのか。長年の知己であるお二人に、縦横に語り合っていただく。

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上杉鷹山が引き合わせたご縁

三戸岡 童門先生、お久しぶりです。覚えていらっしゃるでしょうか、先生とこうして対談させていただくのは2度目なんです。

童門 最初は随分前、もう2、30年経ちますかね。三戸岡先生とはいつも手紙のやりとりをしているから、そんなに昔だったとは思えませんね(笑)。

三戸岡 その頃、あるビジネス誌で「上杉鷹山ようざんについて童門先生と対談しませんか」とお話をいただきました。私は先生のご著書はたくさん拝読していましたが、お会いするのは初めてでした。
先生の『小説 上杉鷹山』がベストセラーになった後、私も鷹山をモデルに『男たちの藩』という、ちょっとしたドラマを書いていた時期でした。それを先生がお読みになったのか、あるいは出版社の方が読まれたか何かで、対談のお話をいただいたと記憶しています。
童門 私たちにはサラリーマンから作家生活に入ったという共通点もありますからね。三戸岡先生はその頃、まだ銀行に勤めていらっしゃいましたか。

上杉鷹山

三戸岡 いいえ。銀行を辞めて5、6年経った後でした。バブル崩壊後の日本ではあちこちで改革が叫ばれ、米沢藩の藩政改革をテーマにした『小説 上杉鷹山』は企業経営者や行政マンの間で大変な人気でしたから、私も先生の胸を借りるつもりで対談に臨ませていただいたんです。

童門 この小説は51歳で都庁を辞め、筆一本で立つようになって5年後に出したものですが、文庫版と併せると200万部くらい出たと思います。

三戸岡 ミリオンセラーでしたね。

童門 それにはちょっとした裏があって、トヨタの豊田章一郎さんや日産の久米豊さんが社員教育のテキストとして万単位でこの本を購入してくださったんですね。同じように野村證券、第一証券などにも大量購入していただきましたが、その頃は自動車業界も証券業界も業績が低迷していて、鷹山にその改革のヒントを求めていたんです。

三戸岡 民のことを第一に考えて改革を実行した名君といえば、やはり鷹山です。米沢藩主として破産寸前の藩の改革に努め、節倹せっけん励行れいこうや財政改革、殖産しょくさん興業、新田開発などによって目覚ましい改革の成果を挙げていますから。
最初は誰も味方がいない中、一人で改革を実行し、勇断を下す鷹山の姿が経営リーダーたちの心を掴んだのでしょうね。

童門 三戸岡先生が『二宮金次郎の一生』をお出しになったのは、対談から10年ほど経った後でしたね。これはとてもいい本で、大変興味深く読ませていただきました。

三戸岡 ありがとうございます。

童門 感心したのは、先生が尊徳という言い方をなさらないで、金次郎という呼称を用いられていたことです。私は歴史上の人物では頂上を極めた人よりも山を登っているプロセスのほうが好きで、その意味では尊徳先生というとどこか遠くの人に感じてしまう(笑)。やはりまきを担ぎながら読書をし、刻苦精励こっくせいれいしている金次郎のほうに好感を抱きますね。

作家

童門冬二

どうもん・ふゆじ

昭和2年東京生まれ。東京都庁にて広報室長、企画調整局長を歴任後、54年に退職。本格的な作家活動に入る。第43回芥川賞候補。平成11年勲三等瑞宝章を受章。著書は代表作の『小説 上杉鷹山』(学陽書房)をはじめ、『人生を励ます太宰治の言葉』『楠木正成』『水戸光圀』(いずれも致知出版社)『歴史の生かし方』『歴史に学ぶ「人たらし」の極意』(ともに青春出版社)など多数。

作家活動の原動力は好奇心

三戸岡 ところで、童門先生が『致知』に連載されている「小説・徳川家康」、いつも楽しみに読ませていただいています。先生は私より1歳上の昭和2年のお生まれで、昨年卒寿(90歳)を迎えられたそうですが、いささかも衰えのない感性と筆致ひっちにいつも驚かされてばかりなんです。あの創作力は一体どこから生まれてくるのだろうかと……。

童門 作家として奥手なんでしょうね。まだ子供なの(笑)。

三戸岡 20年ほど前でしょうか、新宿の紀伊國屋本店の歴史文学のコーナーに足を運んだら、かなり大きな棚に二人の作家の本しか並んでいませんでした。一人が司馬遼太郎、もう一人が童門先生でした。歴史小説のかなりの部分をお二人の作品が占めていることが驚きでしたが、童門先生がその頃の創作力をいまなお維持されているのは、おそるべきことだと思います。

童門 そう言われると面映おもはゆい限りですが、好奇心だけはいまも旺盛ですね。日々ニュースになる事件や出来事の中には必ず小説のヒントがあるんです。最近では公文書の改竄かいざんだとか忖度そんたくだとかいろいろなことが言われましたでしょう。それを見ながらタイムトンネルを逆にもぐっていって比較をするんですね。「あの人物ならここまで問題をこじらせないで、うまく処理したに違いない」と。
少し前ですと、貴乃花騒動というのがありましたね。この騒動を通して頭に浮かんだのが初期の上杉鷹山や二宮金次郎です。改革はどんなに正しくても一人ではできません。必ず理解者や協力者が必要で、そのためには妥協や世渡り術も必要になってくる。残念ながら貴乃花親方に欠けていたのは、この部分だなということを感じました。世の中に事件や騒動が絶えない限り、小説の種もまた絶えないということですね。

三戸岡 そうですか。私も先生の好奇心には大いに見習わなくてはいけませんね。いまから書いてみたいと思われるのは、どのような人物ですか。

童門 私は30年間、都庁という地方自治体に勤務してきたこともあって、地方の振興のために命を注ぎながらも、歴史の表舞台に出ることのなかった人たちを掘り起こすことに力を入れてきました。鷹山もその一人で、彼は私が掘り起こすまでは世に知られていなかった存在なんです。鷹山が師事した細井平洲へいしゅうのような儒学者や私塾などに関心を向けるようになったのはそこからですが、作家としてこのような人物を発掘していく仕事はこれからも続けていきたいと思っています。

三戸岡 全国各地にそういう人物がまだまだいるのですね。

童門 どこの地域にも必ずいます。江戸時代は封建社会で厳しいおきてによって成り立っていました。しかし、学問と武術の修業に限って各藩はパスポートを出していました。だから、東北の学生が遠く九州の私塾の門を叩くこともできたんです。そして、結局彼らが交流や情報の伝い手となって日本の一面を支えていったわけです。
例えば、いま私は九州の日田ひた咸宜園かんぎえんを開いた広瀬淡窓たんそうについて公務員の月刊誌に連載をしていますが、全国から多くの塾生を集めた淡窓の教育者としての魅力や偉大さなど、改めて驚かされることがたくさんありますね。まさに気づきと発見の連続なんです。

作家

三戸岡道夫

みとおか・みちお

昭和3年静岡県生まれ。師範学校を経て、28年東京大学法学部卒業。協和銀行副頭取を最後に作家活動に入る。本名は大貫満雄。著書に『親子で学びたい二宮金次郎伝』(致知出版社)『二宮金次郎の一生』『すべての日本人に二宮金次郎71の提言』などの伝記の他、『修羅の銀行』(いずれも栄光出版社)など、銀行員時代の経験をもとにしたビジネス小説も手掛ける。