2022年4月号
特集
山上 山また山
対談
  • 京都先端科学大学客員教授(左)名和高司
  • 日本電産会長 創業者/京都先端科学大学理事長(右)永守重信

人財の育成こそ
企業発展の要なり

1973年、28歳の時に僅か4人で立ち上げた日本電産を、1代で世界一のモーターメーカーに育て上げた永守重信氏。経営者として既に破格の成功を収めた氏だが、2018年、74歳にして新たに挑戦を始めたのが、学校運営を通じての教育改革である。豊富な経営体験から培われた独自の教育観について、永守氏と共に人財教育に取り組んできた名和高司氏に繙いていただき、未開の高峰に挑み続ける永守氏のエネルギーの源を探った。

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日本の教育はどうなっているんだ

名和 永守ながもりさんには、いつも教育の活動を通じて大変お世話になっていますので、きょうはもう一つのお肩書である理事長と呼ばせていただいてよろしいでしょうか。

永守 もちろんです。名和なわ先生には、日本電産のグローバル人財の育成で随分お力添えをいただいてきました。

名和 理事長とは、2016年に御社のリーダー育成のために立ち上げられたグローバル経営大学校の教官をおおせつかったのがご縁の始まりでした。4月の開校式で初めてお話を拝聴した時のことは、いまでも鮮明に脳裏に焼きついています。
理事長は学校長挨拶で、世界中の拠点から集まってきた約20名の幹部の前に立たれて、ここへ来た全員に社長になってもらいたいんだと、冒頭から参加者への期待を熱く語られた。皆さんの背筋が伸びて、ワクワクするのがすごく伝わってきました。
理事長の圧倒的なオーラと人の心を一瞬でつかまれる話術に感服して、私はあの時から理事長にれ込んでいるんです。

永守 今年(2022年)4月に立ち上げる京都先端科学大学のビジネススクールでは、次代を担う経営人財の育成にぜひまた力を貸していただきたいと思っています。

名和 私もとても楽しみにしております。
その京都先端科学大学ですけれども、経営者として名高い理事長が、2018年に100億円(現在、累積200億円超)もの個人資産を投じて京都学園(現・永守学園)の運営を引き受けられ、大学改革に乗り出されたことに、世間から大きな注目が集まっていますね。
永守 私は元々教育が大好きなのです。日本電産を創業した当初から従業員の教育にはとても熱心に取り組んできたし、社内にいろんな塾をつくってたくさんの人財を育ててきました。結局、教育がすべてというのが、きょうまで会社を経営してきた私の実感なんです。
そんな私が自ら大学運営に乗り出したのは、採用した学生を見ていて、日本の教育はどうなっているんだという強い危機感を抱いていたからです。

名和 具体的に、どういう点に危機感を抱かれたのですか。

永守 私が1973年に日本電産を創業した当初は、一流大学を出た学生なんかとても採れませんでした。ですから、名前も知らないような大学の、成績もかんばしくない学生を採用して、それを鍛え上げるしかなかったんです。
そうして会社が成長するにつれて、ようやく東大、京大といったいい大学からも学生が入ってくるようになりました。きっといい仕事をしてくれるに違いないと思って喜んでいたんですが、実際に働かせてみると、まったく期待外れで愕然がくぜんとしたんです。いったい4年間何を勉強してきたのかと。
当社には、これまでに採用した1万2,000人くらいの人財データがありましてね。それを見て分かったのは、結局仕事ができるかどうかは大学とは何の関係もないということでした。偏差値の高い一流大学を出ているから会社に入って仕事がよくできるかというと、全く関係がない。

名和 とても残念な結果ですね。

永守 それで、大学は何をやっているんだ、日本の教育はどうなっているんだと強い疑問を抱いて、ならば自分で理想の大学をつくってやろうと考えたんです。
ところが、一から大学をつくるのは大変で文科省がなかなかOKしてくれない。そんな時に、京都学園大学の前理事長から少子化が進む将来を見据え、大学を存続させるために、永守さんしかいないと頼まれて、理事長を引き受けることにしました。それまで京都学園大学というイメージはあまり芳しくありませんでした。そこで、京都先端科学大学という新しい学校名にして、イメージを一新して改革に乗り出したんです。

日本電産会長 創業者/京都先端科学大学理事長

永守重信

ながもり・しげのぶ

昭和19年京都府生まれ。職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科卒業。48年日本電産設立、社長に就任。国内外で積極的なM&A戦略を展開し、世界ナンバー・ワンのモーターメーカーに育て上げた。会長兼社長(CEO)、会長(CEO)を経て、令和3年より会長。また、平成30年には京都先端科学大学を運営する学校法人永守学園理事長に就任。著書に『「人を動かす人」になれ!』(三笠書房)『成しとげる力』(サンマーク出版)『永守流 経営とお金の原則』(日経BP)など。

学生の顔がガラッと変わった

名和 再スタートから3年経ちましたが、手応えはいかがですか。

永守 偏差値主義、ブランド主義を打破するために始めたので、あまり偏差値のことを言ってはいけないのですが、わずか3年でものすごく上がっていますよ。昔受けに来ていたような学生が受験しても、もう受からないと思います。100%変わりました。来年(2023年)は最初の卒業生を送り出しますから、彼らを見てもらえれば何がどう変わったか分かるはずです。

名和 それは楽しみですね。

永守 理事長に就任して最初に教室を見に行った時には、何という大学かと思いましたよ。学生は後ろのほうの席で寝ていたり、私語をしていたり、スマホで遊んでいたりして、ほとんど講義を聴いていない。それなのに先生は全く無関心で、一人で勝手に授業をやっている。
その後、前田学長が就任、全学部長も新たに替わり、教員、職員も大幅に補強しました。職員もバンバン替えました。そうしてものすごくいい先生や職員を集めてきてスタートしたんです。
スマホで分かることは教えるな。20年前のノートを持って来て同じ内容を教えるのはダメだと先生には言い続けました。そうすると一所懸命工夫し始める。最近は、たまにどこかの教室にパッと入ってみても、先生方は絶えず学生のところを回って授業をしてくれているし、さすがに寝ている学生もいなくなりました。随分変わりましたよ。

名和 理事長が運営に乗り出されたことで、またたく間に大学が変わっていったのですね。

永守 最初の入学式なんて、入ってくる学生は皆下を向いていて、まるで葬式みたいでした。だから私は、10分の理事長講話を延長し、1時間以上かけて彼らに語りかけたんですよ。
「この中には、受験に失敗してうちに来た人もたくさんいるだろう。しかしそれが何だ。いまは人生百年時代。君たちにはあと80年以上残っているじゃないか」と。
訓示の途中で、日本電産に所属するスピードスケートの高木菜那なな選手にも挨拶してもらいました。彼女は身長155センチと小柄で体力もなく、天才と呼ばれた妹の高木美帆選手に比べられていつもつらい思いをしていました。けれども私は彼女に対して、「何が何でも金メダルを目指せ!」「銀や銅で満足するな!」と励まし続けたんです。そして彼女は想像を絶するような努力を重ね、女性アスリートとして我が国で初めて一大会で2個の金メダル獲得という偉業を成し遂げたんです。その彼女の話をじかに聞いて、学生たちは随分勇気をもらったようでした。
私はさらに語り聞かせました。
「諸君はよくぞ今年入ってきた。これからこの大学は大きく変わる。2025年には関関同立かんかんどうりつ(関大、関学、同志社、立命館)を抜く。その後京大も抜いて、ハーバードも抜く」と。

名和 理事長の並々ならぬ決意が伝わってきます。

永守 こんなことを言うと、ホラ吹きだと言われますが、私は絶対にできると確信しています。49年前にたった4人で日本電産を立ち上げた時には、世界一になると言っても皆からバカにされました。けれども私はこれを実現してきた。京都先端科学大学も、必ず世界一の大学にしてみせます。
この話に一番喜んだのは保護者の皆さんでした。先生も喜んだ。学生たちの顔を見たら、来た時とはガラッと変わっていましたよ。

京都先端科学大学客員教授

名和高司

なわ・たかし

昭和32年熊本県生まれ。昭和55年東京大学法学部卒業、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカースカラー授与)。三菱商事の機械部門(東京、ニューヨーク)に約10年間勤務。マッキンゼーのディレクターとして、約20年間コンサルティングに従事。平成22年一橋大学ビジネス・スクール(国際企業戦略科)教授。令和2年同客員教授。4年4月より京都先端科学大学国際学術研究院教授に就任予定。著書に『稲盛と永守』(日本経済新聞出版)など。