2022年4月号
特集
山上 山また山
  • 小平市平櫛田中彫刻美術館館長平櫛弘子
守拙求真の求道者

平櫛田中に学ぶ

「六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは 百から百から」。この気迫に満ちた言葉を実証するかのように、107歳で世を去るまで仕事に打ち込み続けた不世出の彫刻家・平櫛田中。生涯に世に送り出した作品は数百点にも上るという。その尽きることのないエネルギーの源と、知られざる横顔について、田中の令孫・平櫛弘子さんに伺った(写真©小平市平櫛田中彫刻美術館)。

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生誕150年を迎え顕彰活動に一層尽力

転生てんしょう」「五浦釣人ごほちょうじん」「鏡獅子かがみじし」「尋牛じんぎゅう」など、生涯に数百点もの傑作を生み出した彫刻家の祖父・平櫛ひらくし田中でんちゅう。その燃え上がるような創作意欲は最晩年まで衰えることなく、107歳で亡くなった時には、その先2、30年間は創作を続けられるだけの材料を用意していました。

山上 山また山─これはまさしく、越えても越えても現れる峻険しゅんけんな山に挑み続けるように、最後までのみを振るい続けた祖父の生涯を表現するに相応ふさわしい言葉と実感します。

私は現在、祖父が最晩年の10年を過ごした東京都小平市こだいらしの邸宅に開設された小平市平櫛田中彫刻美術館の館長を務め、顕彰活動に取り組んでいます。当時、豊かな水量をたたえていた玉川上水じょうすいの流れるこの地をことほか気に入った祖父は、98歳で新たに構えたこの邸宅を、九十八叟院きゅうじゅうはちそういんと名づけました。本年はその祖父の生誕150年の節目にも当たり、私は顕彰活動に一層力を注いでいます。

ありがたいことに、近年になって散逸さんいつしていた初期の貴重な作品が何点も見つかっており、それらを新たに収蔵品に加えて披露できるようになりました。

最近特に力を入れているのが、書簡の整理です。耳が遠かったため、手紙を主な通信手段にしていた祖父は、平素から美術関係者に仕事の進捗しんちょくを事細かに書き送り、また旅行の際には私たち家族一人ひとりに便りを寄こしてくれていました。それらを辿たどると、祖父の知られざる日常や創作の足跡が鮮やかに浮かび上がってくるのです。

記念事業の柱として、こうした書簡と共に、未公開の取材原稿を整理編集して出版する準備を進めています。また、古い制作資料の写真、日常の祖父を写した写真などの整理も行っています。

既に祖父を直接知る人がほとんどいなくなったいま、その人となり、そして作品の魅力を後世に伝え残していくことは、身近に接してきた肉親である私の使命と考えているのです。

小平市平櫛田中彫刻美術館館長

平櫛弘子

ひらくし・ひろこ

昭和15年生まれ。彫刻家・平櫛田中の孫。千葉大学園芸学部卒業。昭和59年に東京都・小平市に平櫛田中の旧宅を公開し、「小平市平櫛田中館」(現「小平市平櫛田中彫刻美術館」)として開館、相談役に。平成18年館長に就任。