2024年3月号
特集
丹田常充実
インタビュー②
  • 車いすインフルエンサー梅津絵里

人々の心に
笑顔と希望の
灯を届けたい

愛する人との結婚生活がスタートし、人生の幸せを噛み締めていたまさにその時、難病の全身性エリテマトーデス(SLE)を宣告された梅津絵里さん。6年間に及ぶ壮絶な入院・闘病生活を経て、いま人々の心に笑顔と希望の灯火を届けたいとの思いで社会活動に尽力する梅津さんに、絶望の中で掴んだ暗闇を突破する心の持ち方、自分らしい人生を生きるヒントをお話しいただいた。

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病は幸せの中で突然訪れた

──梅津さんは難病の全身性エリテマトーデス(SLE)にも負けることなく、車いすモデルやSNSでの情報発信など、様々な活動に取り組まれています。最初にSLEとはどのような病気なのか教えていただけますか。

SLEはめんえきしっかんとも言われるこうげんびょうの一つで、本来ならウイルスなどを撃退して自分を守ってくれるはずの免疫機能がバグを起こし、自分自身を攻撃して体のあちこちに炎症が起こってしまう難病です。特にSLEは皮膚や関節、内臓やちゅうすう神経……ありとあらゆる場所に炎症が起こり、ほっしんや強いけんたいかん、発熱や痛みといった様々な症状が一度に、あるいは経過と共に現れてきます。
また、関節リウマチやベーチェット病など様々な種類がある膠原病の中でも、SLEは2番目に患者数が多く、そのほとんどが10代から40代までの女性です。
9対1の割合で圧倒的に女性患者が多いので、おそらく女性ホルモンが発症に関わっているのではないかと言われています。

──治療法はあるのですか。

基本的にはふくじんしつステロイド薬や免疫抑制剤を服用することで症状をコントロールしていくしかなくて、いまのところ完治させる方法はないんですよ。ですから、画期的な新薬が開発されない限り、SLEとずっと向き合っていかなくてはいけないんです。

──SLEを発症したのは何歳の時だったのですか。

私は秋田の田舎育ち、外で遊ぶのが大好きな子供で、病気とは無縁の子供時代を過ごしました。上京し短大卒業後は、フィットネストレーナーを経て幼稚園に転職。とても充実した毎日を送っていた2003年の結婚を機に、東京から福岡に引っ越しました。プロになることを考えるほど夫とサーフィンに熱中し、仕事も趣味も充実して毎日がすごく幸せ、私の人生はこれからという感じでした。
ところが、25歳頃だったと思います。顔に蝶々の羽みたいな赤い湿しっしんがパーッと出てきたんです。あとは関節が痛かったり、強い疲労感もありました。でもサーフィンをやっていましたから、日焼けかな、夏バテかなくらいの認識で済ませていました。思えば22歳頃から頭痛や体の痛みが続くなどちょうこうはありました。その都度、近くの病院で処方された薬で対症療法的にやり過ごしていたんですが、これが結果的にはSLEを悪化させてしまったんです。

──最初は体の不調を深刻には受け止めていなかったのですね。

そのうちに日常生活が送れないほど倦怠感が強くなり、さすがにこれはおかしいということで、じんしんで夫が内科に行くことになった際に私も一緒に受診しました。すると、病院の先生に「膠原病かもしれない」って言われたんです。

──SLEの可能性があると。

初めて聞く病名ですので、この先どうなるのかなって不安と恐怖感に襲われました。両親になんて伝えたらいいのだろう、子供は産めるのだろうかとか、そういうことで頭がいっぱいになりました。ただ、もっと早く受診すればよかったと思う一方で、病名が分かってほっとする気持ちもありました。精密検査を受ける間、インターネットで膠原病を調べたところ、SLEの診断11項目のうち、ほぼ症状が当てはまっていたので、これだと思うと共に、免疫抑制剤などを飲めば症状が楽になるのも分かり、希望が持てたからです。
精密検査には夫も付き添いで来て、SLEの告知を受けた時は残念そうでしたが、一緒に乗り越えていこうと前向きに受け止めてくれました。

車いすインフルエンサー

梅津絵里

うめつ・えり

1977年秋田県生まれ。聖徳大学短期大学部保育科卒業後、フィットネストレーナーや保育士を経て幼稚園教諭に転職。2003年結婚を機に東京から福岡に移住。2005年難病で膠原病の一種である全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。6年にも及ぶ壮絶な闘病、リハビリを経て退院。その後は、病気や障碍を抱える大人の女性が交流する自主コミュニティ「Handycapped Womenオトナ女子」を立ち上げる。2018年から車いすタレントとして活動。車いすチャレンジユニット「BEYOND GIRLS」の結成を通じて、人々に笑顔と希望を与える活動に取り組んでいる。