2021年4月号
特集
稲盛和夫に学ぶ人間学
対談
  • (左)日本航空元会長補佐専務執行役員大田嘉仁
  • (右)作家北 康利

善きことを思い
善きことを行う

世のため人のため、善きことを思い、善きことを行う。この信念のもとに京セラを世界的優良企業に育て上げ、第二電電(現·KDDI)の創業に挑戦し、日本航空を不死鳥の如く難らせた稲盛和夫氏。この稀有なる人物を育み、規格外の成功へと導いたものは何か。稲盛氏の傍に長年仕えてきた大田嘉仁氏と、評伝の執筆を通じて稲盛氏の実像に迫ってきた北 康利氏に、語り合っていただいた。

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一所懸命働くことの尊さを伝えたい

大田 北さんがお書きになった『思いよこしまなし 京セラ創業者稲盛和夫』を拝読しました。私は長年稲盛さんの傍に仕えてきましたけれども、そんな私でさえ知らなかったエピソードがたくさん書かれている。いやぁすごい取材力ですね。き思いを持たなくちゃいけない。邪な思いを持っちゃいけない。稲盛さんが説き続けてきたことが全編から伝わってきて、心に深く響くものがありました。

 稲盛フィロソフィの伝道師である大田さんにそう言っていただくと、とても嬉しく思います。
実はこの本は、出版界で初めて日本、中国、台湾、韓国同時期発刊というのをやって、おかげさまで海外でも結構売れているんです。これは稲盛さんの評伝だからこそ可能になったことで、ここまで世界から広く敬意を集めている人物というのは、日本人の中でも限られていると思います。

大田 確かにそうかもしれません。

 何より嬉しかったのは、その稲盛さんが、私が『思い邪なし』というタイトルをつけたことをとても喜んでくださったことです。やはりご自身が後世に残したいのはビジネスのノウハウではなく、仕事を通じてつかんだものの考え方や哲学なのだなと実感しました。
実は稲盛さんを取り上げようと考えた時、いまの若い人はあまり感情移入してくれないのではないかと危惧きぐしていました。稲盛さんの命懸けの働きぶりの表面だけを見て、これはブラックだと引いてしまうのではないかと。
それでも執筆に踏み切ったのは、稲盛さんの生き方を通じて、いまの日本人に一所懸命働くこと、人生を熱く生きることの尊さをもう1度み締めてほしいという願いがあったからです。
大変失礼な言い方かもしれませんが、稲盛さんは決して天才じゃない。努力であれだけの成功を収めた方なので、読んでいただくと希望が持てると思うんです。

大田 頑張れば自分も稲盛さんのようになれるんじゃないかとね。
稲盛さんの信奉者というのは、エリート然とした人よりも、昔は不良でしたというような人が多いんですよ(笑)。そういう方ってものすごく純粋で元気があるし、地元に根を張って頑張っていらっしゃる。稲盛さんがご自身の教えを通じてそういう人たちのモラルを高め、いまもエネルギーを与え続けているというのは素晴らしいことだと思いますね。

日本航空元会長補佐専務執行役員

大田嘉仁

おおた・よしひと

昭和29年鹿児島県生まれ。53年立命館大学卒業後、京セラ入社。平成2年米国ジョージ・ワシントン大学ビジネススクール修了(MBA取得)。秘書室長、取締役執行役員常務などを経て、22年日本航空会長補佐専務執行役員に就任(25年退任)。27年京セラコミュニケーションシステム代表取締役会長に就任。現職は、㈱MTG取締役会長、学校法人立命館評議員、鴻池運輸㈱取締役、㈱新日本科学顧問、日本産業推進機構特別顧問など。著書に『JALの奇跡』(致知出版社)がある。

「俺とおまえは一心同体でなければならない」

 大田さんが稲盛さんの秘書になられたのはいつですか。

大田 京セラに入社して13年目の1991年、36歳の時です。
私はその前年まで、京セラの海外留学制度に応募してアメリカのビジネススクールで学んでいました。運よく首席で卒業することができ、帰国して稲盛さんに報告に伺うと、いい成績で卒業したんだから、京セラの中で何か事業をしなさいと発破はっぱをかけられました。近しく言葉を交わしたのは、その時が最初でした。
それからしばしばお目にかかるようになったのですが、翌年に稲盛さんが第3次行革審の「世界のなかの日本」部会の部会長に就任された時に急遽きゅうきょ呼び出されて、特命秘書になれと。

 あぁ、特命秘書に。

大田 青天の霹靂へきれきでした。他の部会メンバーの秘書の方は大企業の役員クラスでしたから、身の引き締まる思いがしました。
その時から私は、稲盛さんと一緒に毎週2、3日東京へ行って、行革の事前レクチャーを受け、部会に出席し、終わった後にレビューをするようになりましたが、とにかく緊張の連続でした。

 身近に接した稲盛さんの印象はいかがでしたか。

大田 遠くで見ているうちは、スーパーマンのような印象を持っていました。ワンマンで即断即決で何もかも強引に進めていくのではないかという先入観を持っていました。ところが傍で仕事をするようになると、強烈なリーダーシップはあるものの、相手の話を一つひとつ丁寧に聞きながら仕事を進めていかれる。周りの人への配慮も忘れない。稲盛さんのそんな仕事ぶりを間近に見て、驚くと共に先入観をくつがえされましたね。
私みたいな若造の意見もよく聞いてくれるので驚きました。「おまえはどう思うんだ?」としょっちゅう水を向けられて、ふところが深い方だなと感動したものです。

 稲盛さんから学ばれた心得のようなものはありましたか。

大田 最初に、「俺とおまえは一心同体でなければならない」と言われました。
「俺の代わりに外部の人と会うことも多くなると思うが、おまえが話したことを外部の人は俺の意見だと思うだろう。だから考え方も何もかも合っていなくてはいけない」と。
そのためにも、まずは謙虚になってほしいと言われました。
「おまえが少しでも傲慢ごうまんになれば、おまえの上司である俺までもそう思われる。だから、まずは謙虚さを大切にしてほしい」
稲盛さんは、謙虚である限り失敗することはないし、悪い人間も寄ってこない。「謙虚さは魔除けだ」と教えてくださいました。

 大変含蓄がんちくのある訓戒くんかいですね。
稲盛さんと二人羽織ににんばおりのように一心同体になれる人ってそうたくさんはいないと思うんですが、大田さんは稲盛さんの眼鏡に見事かなったわけですね。
これは稲盛さんを取材させていただいて感じたのですが、ご自身が心底信じている人はやっぱり同郷の鹿児島の人なんですよ。大田さんは、稲盛さんと同じ鹿児島のご出身で、しかも同じ町内に生まれ育ち、同じ小学校に学ばれている。自分と同じ環境で生まれ育った大田さんに対する安心感は、間違いなくあると思うんです。

大田 稲盛さんとは年齢差が22歳ありますから面識はありませんでしたけど、実はお互いの実家も歩いて5、6分の所にあったんです。本当に不思議な縁ですよね。

 司馬遼太郎が、西郷隆盛や大久保利通など、幕末、明治の英傑えいけつを輩出した鹿児島の加治屋町かじやちょうについて、明治維新から日露戦争までを一町内でやったようなものだと書いていますが、行革やJALの再生に一緒に取り組まれた稲盛さんと大田さんは、それに重なるものがありますね。

作家

北 康利

きた・やすとし

昭和35年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券業務企画部長等を歴任。平成20年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社)で第14回山本七平賞受賞。著書に『日本を創った男たち』(致知出版社)『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)など多数。近著に『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』(KADOKAWA)がある。